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想いが死ぬ時~妻の選択 夫の選択~

 前触れは何もなかった。

 その日はリーンリアナの日だからと、アルバートはハルスタッド一族の女が住む離宮に足を運んだに過ぎなかった。


 いつもはリーンリアナの居間に入れば、父親に気付いた娘が喜びの声を上げて飛び付いてくるのに、その日はなかった。

 冷めきった夫婦の間に生まれた愛らしい娘の姿がないことにアルバートは眉を顰める。

 妃たちが産んだ王女の中で一番天真爛漫に育ち、嫁に出せるかどうかもわからないほどのじゃじゃ馬ぶりを見せるローズマリーは父親に対する愛情を全力でぶつけてくる。そんな娘を愛せない筈がない。今や、ローズマリーはアルバートの心を慰めてくれる存在になっていた。


 そんな娘を見るたびに、表面上は笑顔を浮かべていても冷めた目でアルバートを見ているリーンリアナも昔は違ったのだろうと思いに駆られる。

 ローズマリーが自分に似ていたのなら、自分はリーンセーラに対して好意をあからさまに曝け出していて、彼女と一緒にいた妻はそれを目の当たりにしていた筈だ。そう考えたら、リーンリアナがこのようになってしまった原因が自分にあることは誰に言われなくてもわかる。


 夫や婚約者が自分以外の女性に熱を上げている姿を見て、幻滅しない人物はいない。

 もし、妻が他の男に熱を上げている姿を見たら、ショックを受けないわけがない。生憎、リーンリアナはあれから離宮を出ることはなく、訪問者と呼ばれる話し相手も私の脅威になるような人物は報告されてきてはいない。


 もし、娘が妻に似ていたのなら、自分がどんなにリーンセーラにのぼせ上がっていて、無視できないほどの好意を見せていたリーンリアナに気付かないほど、妻を見ていなかったのかわかりすぎて良心が痛んだ。


 無邪気な幼い娘の姿が不審に思いながらもアルバートが部屋の中を見渡すと、その部屋にいるのは一人だけ。

 長椅子に座って、本を読んでいたのはこの部屋の主ではなく、アルバートが離宮を訪れると頑ななまでに姿を見せなかったリーンセーラがいた。

 リーンセーラは手にしていたを閉じて言った。


「こんばんは、殿下」


 挨拶をされながら、アルバートはリーンセーラがここにいる理由を推測した。

 アルバートが離宮を訪れる時にはアルバートのおとないに気付いた侍女たちがリーンセーラにそのことを告げに走っていく。普通科を首席で卒業したアルバートは鍛錬以外では余程の事態が起きない限り走ることはない。なので、学校で落ちこぼれていた女生徒たちがまた常識はずれなことをしているとしか見ていなかった。

 そこまでしてアルバートを避けているリーンセーラだが、リーンリアナと話が弾んでいてアルバートが来る前に立ち去れなかったに違いないと。

 アルバートが来ることはあらかじめわかっていても、女のおしゃべりが切りよく終わらないことは公務で社交を行うアルバートはよく実感している。


「こんばんは、リーンセーラ。どうして、ここに?」


 退屈させない為にここにいる理由を尋ねたアルバートにリーンセーラは意外なことを言われたとばかりな表情をした。


「あら、わたくしがここにいることが不思議かしら?」

「ああ」


 リーンセーラは立ち上がると座って乱れた服を整えて一礼した。


「わたくしがここにいるのは殿下とお別れを言う為でございます」


 別れと聞いてアルバートがまず思ったことは、病で儚くなること。一回は毒で死にかかったリーンセーラだが、病だとは聞いていない。リーンリアナも姉が病に蝕まれているなら、それくらいは話してくれた筈だ。

 それとも、今日リーンリアナに告げられる筈だったのか。


「別れ? 病か?」

「いいえ」


 それ以外の別れは普通の妃同様、実家に戻ることや、刑を受けてのこととなる。リーンセーラが刑を受けたというのは、アルバートもまだ耳にしていない。リーンセーラの夫である父なら耳にしているかもしれないが。

 だが、アルバートはリーンセーラが罪を犯したなどとは考えたくなかった。彼女はアルバートにとって、手が届かなくて諦めなければいけない存在であっても、そんなことは考えたくはない。それどころか、離宮から出るには許可が必要で、言づてる相手もいない彼女が罪を犯す筈もないと身の潔白を盲信してしまう。

 残るは実家に戻ること。

 離宮の女がハルスタッド一族の館に戻るという話などアルバートは聞いたことがなかった。


「リーンセーラはどこに行くつもりだ?! 実家に戻るのか?!」

「いいえ。わたくしは戻りませんわ。わたくしがお別れするのは殿下のほうでございます」


 リーンセーラが何を言いたいのか、アルバートは理解できなかった。


「私と別れする? リーンセーラ。私とお前はそんな仲ではない筈だが。それにしても何を言っているのだ?」

「こう言えばわかりますか? リアナがいない今、殿下にはもう、この離宮に入る資格はなくなりました」

「リーンリアナがいない?」


 アルバートは愕然とした。

 考えてもいないことだった。

 リーンリアナとの仲は冷え切っていても、娘の前では友好的にふるまっていた。

 それなのに突然いなくなる。

 他のハルスタッド一族の女が実家に戻った例を知らないアルバートは今の事態に驚き、困惑した。


 王女を産む役目は放棄したのか?


「ええ。妹は実家に戻りました」

「だが、それは役目を放棄したことにはならないのか?」


 妻の心を拒絶したことのあるアルバートがリーンリアナを引き留めるには王女を産む義務しかない。それ以外の方法は思い付かない。

 それほど、二人の間は冷めきっていた。

 アルバートが一人でそれを変えられるような段階ではなくなっていた。

 まだ、妻が歩み寄ってくれている段階ならよかったが、アルバートがリーンリアナとまともに向き合おうとした時期には、取り付く島もない状態だった。


「いいえ。リアナは王女を産みました。末妹が王族に嫁ぐ必要がない今、リアナが王女を産む必要もありませんが、あの子はハルスタッド一族の当主の娘として自分の役目を果たすことを望んだのです。末妹のことがなければ、あの子は今もそれを果たそうと努力していた筈です」


 今朝聞いたばかりのハルスタッドの末子が攫われたという話がアルバートの脳裏をよぎる。

 ハルスタッド一族はその仕事の性質からか何事も秘密裏に隠してしまうことが多い。国王に対しては忠実だが、それでもすべてを報告しているわけでもない。

 それなのに、当主の末子が攫われたという話は貴族の家で起きた事件の一つとして普通に報告されてきていた。潜入活動で集めたわけではないこういう情報は噂話として耳に入って来る場合もあるが、今回はハルスタッド伯爵の事後報告という形で国王や各部署に伝えられている。


 そう、攫われて救出した後の事後報告なのだ。親族が事件に関与して消えた貴族には悪いが、国を守るという大義名分のもとに事故や自殺で処理している彼らだ。自らの一族に手を出されれば、同様に手を下してしまうので、そのあたりは黙認するしかない。

 情状酌量が欲しいなら、国王やハルスタッド一族の目について、ハルスタッド一族が動くようなことをしないようにしなければいけないのがこの国では鉄則だ。


 他国では王侯貴族の正当性を証明する為に、王侯貴族が大罪を犯した場合は自殺やそれに見せかけて殺すことが多い。王侯貴族は民衆を守り、導く存在で殺す存在ではない。だから、彼らの支配が正当であるというのがその根拠だ。

 民衆が苦しい思いをしていても、それは正当な理由があって王侯貴族がしているから耐えるように。そう言う為に、民衆の怒りを買いすぎた王侯貴族以外は処刑されることはない。

 つまり、王侯貴族で民衆の目前での処刑は王や国への反逆を問う時か、国が多くの民衆を苦しめる悪徳貴族を罰するパフォーマンスで支配階級への不信感を拭う時しか行われないということだ。

 それ以外は秘密裏に処分しており、我が国はハルスタッド一族なだけで、他国では国王配下であったり、宰相配下であったり、国王の密命を受けた騎士団であったりする。


「それで何故、リーンリアナが実家に戻ることになるんだ?」


 末妹が攫われたからといって、それがどうしてリーンリアナが実家に戻ることに繋がるのかアルバートにはわからない。

 ハルスタッド家で当主の娘が家族の愛情に飢えさせられているのを知らないのだから、それは仕方がない。だからといって、それをアルバートに教えるほどリーンセーラはお人好しではない。

 リーンセーラはもう妹をアルバートに傷付けられたくはなかった。

 リーンリアナの味方をしたアルバートに妹が心揺るがされる機会など与えたくない。


「リアナは末妹の傍にいてやりたいと申しておりました。殿下、あなたではなく、妹を選んだのです」

「?」


 意味の分かっていないアルバートの様子を見て、リーンセーラは溜め息を吐く。


「殿下はリアナから何もお聞きになっておられないのですね。陛下はわたくしたちを疎んでいらっしゃるから、詳しいことを話す気もないでしょうし、殿下にもわたくしたちとは関わりあって欲しくないと思し召しのようです」

「父上がお前たちを嫌っているというのか?」


 それはアルバートにとって初耳だった。

 叔父たちの中にはハルスタッド一族の女たちを気遣っている者もいるとは思っていたが、父である王が国の為に娶っている妻たちをそんな風に考えているとはアルバートには思いもよらなかった。


「はい。リーンリアナが殿下を選んだことも面白くなかったようです」

「どうしてだ? 何故、そのようなことを? リーンリアナを私の妻にと決めたのは父上だ」


 リーンリアナが実家に戻った話から、ずっとアルバートにはわからないことだらけだ。

 彼女が妻になるまでの経緯は父が決めたことだ。

 すべてが略結婚だった。

 それにもかかわらず、父がハルスタッド一族の女たちを嫌いながら、自身は二人も妻にし、アルバートにも娶らせている。王女の数は諸国で足りているというのに。


「リアナが殿下の妻となったのは、王となる王太子がハルスタッド家の娘を娶らないわけにはいかないからです。わたくしたちハルスタッド一族の女は王族に嫁ぎます。しかしそれは形式上の夫。事実上の夫は自分で選ぶのです」


 形式上の夫?

 事実上の夫?

 自分で選ぶ?


「選ぶと言っても、この離宮には王族の男しか入れない筈だ。まさか、抜け道でもあって、誰かを引き入れているのか?」


 アルバートは疑問をそのままリーンセーラにぶつけた。


「いいえ。わたくしたちの夫は形式上も、事実上も王族の殿方ですわ。殿下も結婚前に何度も皆様をお呼びしたお茶会ををおぼえていて?」


 その時のことは忘れられなかった。アルバートにとってそれはリーンセーラと会えるかけがえのない機会だったからだ。


「ああ。最初のほうは父たちがいたが・・・」

「あれはリアナが誰を事実上の夫とするか選ぶ為のお茶会でした」


 その時はリーンリアナが離宮に来る王族の顔をおぼえる機会なのだとアルバートは思っていた。


「!! あそこには大叔父すら出席したいたのだぞ?!」


 大叔父たちはリーンリアナとは祖父と言ってもいいほど歳が離れている。


「ええ。リアナの選択肢を広げる為に皆様に出席して頂いたのです」

「リーンリアナに選ばせたのか?」

「それが取り決めですわ。わたくしたちハルスタッド一族の女は王女を産まなければいけません。産む相手が一番気に入った相手ぐらいの自由がなければ耐えられませんもの。この離宮に閉じ込められ、息子は取り上げられ、娘だけを産まなければいけないわたくしたちに許されたささやかな自由。それが事実上の夫選びです」

「・・・」


 愛していた女性から改めて語られた義務の内容にアルバートは衝撃を受けた。

 

 私は夫として選ばれていた。

 婚約者だからという理由ではなく、リーンリアナは私を選んでいた。


「リアナはこの事実上の夫に形式上の夫でもある殿下を選びました。自分を見てくれない殿下に見てもらおうと、リアナは頑張っていました。頑張って頑張って、絶望して、それでも尚、事実上の夫を変えることをやめませんでした」


 ついさっき、気付いたばかりだが、妻がどれほど傷ついたのかはリーンセーラに言われなくてもわかる。

 幼い娘を可愛がっているところから見ても、昔から皮肉家だった筈のない妻を今のような姿にしたのは自分だ。


「・・・夫を変えることができるのか?」


 自分が夫としてどこまでも残酷な仕打ちをした自覚のあるアルバートの口は重い、


「はい。よく知るうちにどうしても無理だと感じるようにもなりますから。なのに、リアナは意地を張りました。苦しくても、辛くても、殿下ではない別の殿方を夫にしたくなかったのです」

「だが、リーンリアナは実家に戻ったではないか」

「そうです。リアナは事実上の夫である殿下よりも、顔も見たこともない妹をとりました。リアナにとって、殿下は自由を諦めてもいい存在ではなかったのですよ。王女を一人さえ産めば、わたくしたちの役目は終わります。この離宮に残っているのは、事実上の夫への情。この離宮を出てしまえば、形式上も事実上も王族とは縁がなくなる身。離縁の身となってしまってからでは、もうこの離宮に戻ることも、事実上の夫と会うことも叶わぬ身となりますから」


 嫁いだ王族とは別の王族にまた嫁ぐのは大変ではある。嫁いだ相手が死んだ場合、その兄弟がその妻を娶ることを悪くいう者はいないが、離縁した相手の身内との再婚は醜聞にしかならない。これは貴族も同様だ。


「・・・リーンリアナは私とやり直す気ではなかったのか?」

「リアナは殿下とやり直す気などなかったと思います。殿下はあの子が体調を崩したあとから優しくしてくださるようになりましたが、それまであの子の心の支えになったのは殿下ではございません。わたくしたちです。何年もあの子を無視してきたあなたが、リアナの心の支えになるとでも思っていたのですか? リアナはわたくしたちと、侍女、女騎士を心の支えにしてきました。夜会を出て以降は訪問者たちも。リアナの心をズタズタに引き裂いたあなたをあの子が今更、自分の心の中に入れるとお思いですか? そう思える根拠を教えて頂けませんか?」

「・・・」


 アルバートは何も言えなかった。

 妻の姉から言われたことはすべて事実だった。

 リーンセーラに心奪われている時は勿論、自分の過ちに気付いた後はどうすればいいのか方法がわからなかった。

 自分の側近や王の側近に相談しても、アルバートとリーンリアナの関係は改善できなかった。彼らもこれほど拗れた人間関係を修復する方法など知らなかったのだ。

 硬く心を閉ざして歪んだリーンリアナの気持ちを解きほぐすことは、重い責務のあるアルバートには時間が足りなく、リーンリアナの傍にいる侍女や女騎士たちはアルバートの所業を許したりはしなかった。


 ただの誤解やすれ違いから浮気をしてしまったのならまだ許される余地があるだろう。

 アルバートは侍女や女騎士たちの愛すべき主人であり、友人を何年もぞんざいに扱った挙句、二度も殺しかけたのだ。


「では、お帰り下さい。わたくしは名前を呼ぶことすら厭わしい殿下とお別れできるとあって嬉しいかぎりです。あなたがリアナの夫でなければ、顔もあわせたくありません」


 愛していた相手から名を呼ぶことすら厭われていた事実を知らされ、アルバートは頭を殴られたようなショックを受けた。目をつむり、歯を食いしばってそれに耐える。

 深夜の暗闇の中で逢瀬を交わした相手もリーンセーラではなかったのだろう。名を呼ぶことすら嫌がるリーンセーラがそんなことをする筈もない。

 甘くねだられ、熱い想いを交わし合った相手こそが自分が愛そうとしなかった妻だった事実にアルバートは打ちのめされた。


「・・・。・・・もし。もし、私をリーンリアナが選んでいなかったら、お前は私を選んでくれていたか?」


 ありえないこと。

 ありえなさすぎて、笑いがこみ上げてきそうな仮定をリーンセーラに問うた。

 娘であるローズマリーと同じように自分を愛してくれていた妻を裏切り続けた自分と決別する為に。

 アルバートが望む言葉をかけてくれるだろうリーンセーラに言ってもらわずにはいられない。

 自分の想いを終わらせる為に。

 愚かな想いが二度と蘇らないように殺してもらう為に。


「・・・可能性はございます。ですが、リアナにした仕打ちを見ておりますから、今は微塵たりともございません。死んだほうがましです」


 リーンセーラの言葉を聞いて、アルバートの中ですっきりした。

 死んだほうがましだとまで嫌われているにもかかわらず、熱烈に愛してくれていた妻を蔑ろにし続けたアルバートの愚かな想いが木っ端みじんにされたのだ。

 リーンリアナに対する罪悪感の必要な想いもなくなり、アルバートはリーンセーラと出会ってから20年近く悩まされていた地獄からようやく自分を解き放つことができた。


「私も、お前をどうこうしたいという気持ちはもうない。だが、知っておきたかった。ところで、ローズマリーはどこにいる?」

「王女もリアナと一緒です。ハルスタッド一族の血を引く王女は諸国に増えすぎました。あの王女も一族の中で生きていくことになるでしょう」

「ローズマリーも連れて行くのか・・・」


 あの無邪気な娘と会えなくなるのはアルバートにとって痛恨だった。

 妻と離縁したとは言え、ローズマリーが王女であることは変わらないが、この離宮で暮らしていない娘に会えるのは年に数える程度しか無理だろう。

 それに数年もすれば幼い娘が父親であるアルバートのことを忘れる可能性は大きい。

 その上、10年もしたら一族の中に嫁してしまい、二度と会うこともなくなる。


「子どもを残していくほど、身勝手な行動をリアナはとりませんわ」

「・・・」


 ローズマリーを置いて行って欲しかった。

 リーンリアナの無邪気さを奪ったのは自分だったが、無邪気なローズマリーを奪っていったリーンリアナが恨めしかった。

 自分が招いたこととはいえ、愛してくれていた妻が死に、自分が愛している娘を連れて行かれた現実がアルバートに圧し掛かって来る。


「ごきげんよう、殿下。リアナのことはもう放っておいてください。あの子が閉ざした心を開き、新たな恋ができるように放っておいてください」


 リーンセーラに言われなくてもわかっていた。

 すべて、自分が間違った選択をした結果だった。

 リーンリアナに娘を連れて逃げられたことも、彼女が別の男を夫に選ぶ自由を欲しがったことも。


 自分では駄目だったのだとアルバートは受け入れた。

 リーンセーラに心奪われ、リーンリアナが会ったこともない妹を選んで捨てられるようなくらい愚かなことを繰り返した自分では。

 あの行方のわからない息子を探し出せれば、リーンリアナを取り戻せるだろうか?







 アルバートは変わらなかった。

 以前のように夜半に姉のふりをしても、まだ騙されていた。

 リーンセーラの訪れを喜ぶ夫に、リーンリアナは何も変わっていないと思った。


 離宮に夫たちが訪れる際、アルバートを避けるリーンセーラのようなことをハルスタッド一族の女たちはしない。

 お茶会の傍を通られたら挨拶と世間話をし、廊下ですれ違う時にもちょっとした立ち話をする。事実上の夫が変わるのは、こうした時の積み重ねで好意が変わっていくからだ。

 それをリーンセーラは拒否する。

 リーンリアナを傷付けたアルバートに少しでも好意を持ちたくないからと、アルバートの訪れを知らせてもらって、自室に逃げ込む。

 リーンリアナはそんな姉に感謝していた。

 その心遣いが嬉しかった。


 嬉しいと言えば、義務だった王女が生まれるとアルバートが夫の権利を主張しなくなったのも嬉しかった。

 おかげで娘と一緒にベッドを使うこともできた。

 ローズマリーが両親の間で眠るのが大好きなのも良かった。

 リーンリアナやその姉妹たちは両親や弟と仲良くした記憶がない。自分に無関心な両親。幼すぎて両親の意向で会うことのなかった弟。

 使用人と一族の人間だけが優しかった思い出の家で、姉妹は互いに寂しさを感じさせないように仲良く育った。


 王女としての教育が幼いうちからある娘を起こし、朝の身支度を侍女に手伝ってもらいながらしていたら、下働きの侍女が訪問者の取次ぎをしてきた。

 こんな時間にやって来る訪問者にリーンリアナには心当たりがなかった。

 アルバートなら夫としてこの離宮に自由に入ることが許されている。それ以外の訪問者たちはリーンリアナが女騎士たちと話をする午後に現れて、こんな時間帯に「会いたい」などと言ってきたりはしない。


「それは誰だかわかる?」

「ベッケンバウアー公爵です」

「ベッケンバウアー公爵が?」


 因縁浅からぬ間柄であるベッケンバウアー公爵の予想外の時間の訪問にリーンリアナは首を傾げた。

 未だに彼が会いに来る理由もわからないが、今回の訪問の理由もまったくわからない。


「わかったわ。とにかく会うわ」


 娘の身支度を侍女たちに任せ、リーンリアナはベッケンバウアー公爵の待つ中庭と外界を隔てる門へ向かう。

 離宮の外へ教育を受けにローズマリーが部屋を出るまでに戻るつもりなので、愛用の椅子は持ち出さない。


 アルバートと同い歳のベッケンバウアー公爵はそろそろ結婚していてもおかしくない歳なのに未だに独身だ。他の訪問者たちもあれから何年も経ったせいか、妻を娶って来なくなった者もいる中、ベッケンバウアー公爵と一緒に来ているイオン卿は30を越してしまって、こちらもまだ独身である。

 侍女たちに不評な話題をしにくる文官たちとは違って、いくらでも結婚話があるであろう彼らが何を考えて独身なのかはわからない。

 未だに来てくれる訪問者の中にあのダグラス・ベルガーがいるのも不思議だ。


 離宮で死ぬだろうリーンリアナにとって、彼らが来ようが来なくなくなろうが、話す相手が減るくらいしか変わりはない。

 侍女や女騎士たちも嫁に行ったり、新しく入ったりと入れ替わった。

 リーンリアナたち離宮で暮らすハルスタッド一族は時の流れに取り残されているようだ。


「お待たせしたかしら、ベッケンバウアー公爵。娘が出かける最終確認がしたいから時間がありませんの。よろしくて?」

「こちらこそ時間を選ばずに来て申し訳ありません」


 時間がないリーンリアナの皮肉にベッケンバウアー公爵は焦るかのようなやや早口で答える。


「今日はイオン卿はおられないのかしら?」

「このことを早く報せなければいけないと思って、イオンは置いてきてしまいました」


 腹心ともいえるイオン卿まで置いて慌てて来るような報せにリーンリアナの興味が引かれた。


「そんなに慌てて私に何を報せたいの?」

「落ち着いて聞いてください。ハルスタッド伯爵の末子が攫われました」


 ハルスタッドの末子と聞いて、リーンリアナは姉の夫経由で誕生を知った妹のことを思い出す。歳の離れた弟とも更に歳の離れた妹。リーンリアナの娘と言ってもいい年齢の妹。


「それは本当のことなの?!」


 驚きでリーンリアナの言葉遣いが崩れる。


「ええ。無事に救出されたということです。やはり、あなた方には知らされていなかったか」


 昨夜、離宮に泊まった王族は攫われたことは知っていても、吉報が届くまで黙っている気でいたのだろう。

 侍女や女騎士たち経由で知るか、訪問者たちが持って来るか、今夜来るアルバートを待たなければ知ることはできなかったに違いない。


 自分や姉たちと同じように育てられたのなら、妹もまた両親や男兄弟から無視され、使用人たちや一族を親代わりに育ったのだろう。自分たちと違って、姉妹で寂しさを慰め合うこともできずに。

 そして、今は家族の誰にも顧みられずに攫われた恐怖で怯えているかもしれない。


「ありがとう、ベッケンバウアー公爵。あなたが教えてくれなければ、私たちが知るのは午後になってからだったわ」

「いえ。余計なこととは思ったが、残してきた家族のことは気になるだろう」


 残された家族だったエドモントは姉の罪を知らされていた。知らされた上で、その責を負うことを求められた。

 姉が罪を犯すことを知っていれば、エドモントと父は全力で止めただろう。

 だが、エドモントと父が知らない間に姉は罪を犯し、父は姉の罪を止められなかった責任を取らされ、エドモントは父と姉と王家からの信頼を失った上で爵位を継ぐしかなかった。

 姉を恨まなかったというなら嘘になるが、それでもエドモントは姉が犯行に駆り立てられた時に気付いていたらと思わずにはいられない。


「本当にありがとうございます、ベッケンバウアー公爵。教えて頂いたあなたに失礼なお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「何でしょうか?」

「父・ハルスタッド伯爵にここに来るように伝えて頂けますか?」

「それはいいですが、何をなさるつもりですか?」


 義務である王女は産んだ。

 諸国に今のところ王女はいらないと姉や叔母たちは話していた。

 なら、私とローズマリーがここにいる必要もない。

 父に言えば離宮を出ることもできるかもしれない。

 姉や叔母たちは教えてくれた。夫への情こそが王女を産む義務を果たした後もこの離宮に留まる理由になることを。


「家に戻ります」











 さようなら、アルバート。






形式上の夫。事実上の夫。・・・『夫の愛情は不要な妻』の中で勘のいい方は気付いたかもしれません。国王の妻たちの立ち位置がヒントです。

リーンリアナが選んだ夫・・・『夫の償い2』以降で何度か出てきます。


リーンリアナたち本家の娘は今回攫われたと言われた妹と同様に、攫いやすい状況で囮として育てられました。

妖艶で有名な一族を狙う者に対する囮として一族の特殊性を教えられず、両親や男兄弟との絆は弱く、使用人の憐憫を買いながらも、他の一族が住む場所に行く際に攫いやすいようにと。

教育が中流階級並みで貴族らしい知識に欠けているのは、与えられたものに満足し、夫である王族にとって興味を引く貴族らしくない特徴を作り出す為でした。

詳しくは『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』のアライアスの章『オスカー視点』をご覧ください。

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