妻が悪女に変わる時4
事件が露呈化しても表面上はリーンリアナに罪を擦り付けてしまえば良いという考えで計画されたものは、きっちり首謀者の身に倍返し以上になって戻ってくることになった。
この事件の収め方に不満を持っていたアルバートも、今回の『国王暗殺未遂事件』の告発劇で溜飲が下がった。
少なくとも関与していたのがハルスタッド伯爵一人だけではない告発劇に、娘たちの合同誕生会の開催自体までもがその為に用意されたのではないかとアルバートは推測した。その答えは欲しがることも、もらうこともできないものだったが、アルバートは自分の推測が間違っていないと感じた。
最後の伯爵の挨拶が終わり、国王から開会の挨拶がなされると、次はダンスの時間だ。
国王夫妻のファーストダンスが終わると、次は王族も加わったダンスになる。アルバートは正妃の手を引きながら、舞踏用に空けられた大広間の中央に移動する。他の王族たちもその周囲に陣取る。
リーンリアナのような王族の側妃たちは自分をエスコートしてきた親族たちとそれを眺め、三曲目から夫か親族と踊り、夫の後にそれ以外の男と踊る。あくまで側妃は側妃であり、王族に嫁いだ側室という立場で正妻と夫を立てなければいけない。一介の貴族の側室なら夫に連れられていても、この公式の場に入ることさえ、許されていないのだから。
告発劇の影響かリーンリアナの周りを取り囲んでいる男の数は減ったものの、相変わらず、どこの社交界の華かと思う人だかりだ。
叔父からの忠告もあり、アルバートは側妃たちの最後にリーンリアナを誘うか、誘わないことにして身分の高い家の側妃から順にダンスに誘う。
踊りながら時折見えるリーンリアナは、社交界には出たことがない筈なのに、嫌になるほど絵になっている。崇拝者たちに取り囲まれて、それをうまくあしらっているところなど、社交界の華と呼ばれるにふさわしい感さえある。
それがアルバートには癇に障る。
リーンリアナはアルバートの側妃だ。王族の側妃の中でも、国王の次に身分の高い人物の側妃だというのに、それを取り囲んでいるとは何事だ?!
物憂げな表情を浮かべる退廃的な空気を漂わせる黒髪の美女。ドレスの襟ぐりが深ければ深いほど、その白い肌の露出が高ければ高いほどよく似合うリーンリアナはまさに魔性の女といった感がある。
父親であるハルスタッド伯爵も物語に出てくる女を惑わせる妖艶な魔物のように見える人物だ。
隣にいるハルスタッド伯爵夫人の存在感など、この父娘の存在で忘れ去られてしまっている。
こうして離宮以外で彼らを見ていて、ハルスタッド一族が魅了の力を持っていると言われる理由がわかるとアルバートはつくづく思った。
もし、離宮でハルスタッド一族の女たちと事前に顔を合わせていなければ。
もし、リーンセーラに恋していなければ。
あの妖しい魅力を持つハルスタッド一族の女を忘れられなくなったことだろうと、アルバートは思った。
侍女たちが言うように格の違いを見せつけることがこんなにうまくいくとはリーンリアナは思ってもいなかった。
男たちが次から次へと父親に挨拶に来て、両親に連れられているにもかかわらず、周りに留まっていて外側が見えなくなっている。
リーンリアナに男をけしかけたアルバートの妃たちがどこの誰かは知らないが、これほど人に囲まれてはいない筈だとリーンリアナは思った。
だが、一つだけ問題があった。
リーンリアナは実家で暮らしている時ですら、一族の若者以外の同世代の異性と顔を合わせることは稀で若い男性に免疫がなく、アルバートと出会った時に一目で恋に落ちてしまったくらいだった。
その為、名前と顔が一致しない会ったばかりの大勢の若い男に話しかけられたリ、飲み物を取って来てもらったりしているうちに、だんだん疲れてきてしまった。
王への進言もどうにか終えたリーンリアナが離宮に早々に戻りたいと思っても、また周りを囲まれてしまい、両親がどうにかしてくれないと戻れそうにない。
困って父親を見れば、ダークブロンドの若い男に声をかけられていて、すぐには話しかけられなさそうだ。
溜め息を吐いて母親に目を移せば、視線に気付いたのか父親の隣から宥めるように微笑みかけられる。
わけがわからない。
元々、リーンリアナは両親と親しいわけではない。どちらかといえば、実家にいる時は子ども部屋で家庭教師や侍女たちに囲まれて暮らしていて、顔をおぼえている程度にしか両親とは会ったことがない。離宮で暮らすようになって初めて出会ったアルバートとのほうが話した時間が長いのではないかと思えるほど、話した記憶がない。
だから、両親が何を考えているか見当もつかない。
リーンリアナは父親の話が終わるのを待ちながら、話しかけてくる若い男たちの相手をしていることにした。
「リーンリアナ」
「父が呼んでいますので、失礼いたします」
呼ばれたリーンリアナはそれまで話していた相手に断って、父親のところに向かった。
「何でしょうか、お父様?」
アーガイルの前にいるのは先程挨拶をしていた相手であるダークブロンドの青年とその連れらしいプラチナブロンドの青年だった。20代半ばぐらいのダークブロンドの青年は人の好さそうな顔立ちをしていて、琥珀色の優しそうな目をしている。プラチナブロンドの青年はダークブロンドの青年より少し歳下でリーンリアナと同じくらいの歳に見えた。強い意志を感じる緑の目をしていて表情が硬い。
「王太子殿下の側妃をしている三女のリーンリアナです。リーンリアナ、こちらはベッケンバウアー公爵とイオン卿だ」
紹介された時に目礼してきた様子からベッケンバウアー公爵はプラチナブロンドの青年でイオン卿はダークブロンドの青年らしい。
「お初にお目にかかります。公爵様。イオン様。ハルスタッド伯爵の三女リーンリアナです」
挨拶をしながら、リーンリアナには父親が彼らを紹介した理由がわからなかった。
姉や叔母たちによると積極的に外の人間とは関わらないほうがいいと夫たちから言われたそうだ。そういったことは夫やハルスタッド伯爵に任せておけばいい問題で、自分たちが関わり合うことで夫や一族に迷惑がかかるから気にしないのが一番だとか。
父親であるアーガイルもそれをわかっていて紹介しているのだ。
リーンリアナは父親の意図を読もうとした。
何らかの理由があって、ハルスタッド伯爵はリーンリアナに彼らを紹介しようとしている。
「初めまして、レディ・リーンリアナ。エドモント・ベッケンバウアーです」
プラチナブロンドの青年は完璧な笑顔で言った。しかし、その声にはどこか冷めたところがある。
「同じくお初にお目にかかります。イオン・タルスタッドと申します、レディ・リーンリアナ」
顔立ちと同じようにダークブロンドの青年は人好きするような笑顔をして言った。
ベッケンバウアー公爵とは違って友好的だとリーンリアナは思った。
「ベッケンバウアー公爵はリーンセーラが命を落としかけた病でお父上と姉君を亡くされて、しばらくは大変だった方だ。ようやく、ここ一、二年、落ち着いてきたそうだ」
父の説明にリーンリアナは怪訝に感じる。
リーンセーラが病で命を落としかけたことなどリーンリアナは知らない。リーンセーラが離宮に移り住み、まだリーンリアナが実家にいた頃の話だろうか、と思ったが、ベッケンバウアー公爵の感情の読めない緑色の目に何がしかの強い感情がよぎったのを見て、違うと感じた。
同じ病で死にかかったのではない。
何らかの理由でリーンセーラと前ベッケンバウアー公爵とその令嬢の死に関連があると父が言っているのだ。
そう考えてみたら、リーンセーラが死にかかった時に公爵父娘が亡くなったと聞いたのはあの毒殺事件だった。
リーンリアナに対して盛られた毒でリーンセーラが死にかかった、あの事件。犯人はアルバートの正妃になる筈だった公爵令嬢だということは、リーンリアナもアルバートから聞かされている。
「それはお気の毒に」
「痛み入ります。姉が生きていれば、同じ王太子殿下の妃でした。あなたを見ていると、姉が寵を競うのがどれほど大変かわかります」
ベッケンバウアー公爵の発言でリーンリアナは推測が当たっていたことを知る。
しかし、何故、父親がベッケンバウアー公爵を紹介したのか、リーンリアナにはわからない。
彼はリーンセーラに毒を盛った首謀者ではないが、その家族だ。
政治的なことや家同士の話には口を出してはいけない自分にどのような理由で紹介してきたのかリーンリアナは不可解に思ったが、今はベッケンバウアー公爵への対応が先だ。
「それは・・・私もわかります」
アルバートに愛されなかったリーンリアナは亡くなった公爵令嬢の気持ちが痛いほどよくわかる。
だからといって、アルバートがリーンセーラを愛している事実や愚痴をここで言うほど間抜けではない。
それを言えば、亡き公爵令嬢が哀れすぎる。
間違った相手に嫉妬して、毒を盛ってしまったなど恥ずかしいとしか言いようがない。本人が死んでから、それを身内に知られる屈辱を与えたいほど彼女をリーンリアナは憎んでいなかった。
リーンリアナにとってあの公爵令嬢は自分の分身に近い。
愛して欲しい相手を振り向かせようと、相手の愛する女を殺そうとまで思い詰めた彼女は他人事ではなかった。
「あなたのように美しい方でも、そう思うのですか?」
その皮肉にリーンリアナは微かに笑った。
馬鹿なことだと思われるかもしれないが、リーンリアナも公爵令嬢も愛してくれないアルバートの愛を求めて苦しんだ同士。求めるあまり過ちを犯したことなど、この若い公爵にはわからないだろう。
「美しさは関係ありません。恋に落ちてしまえば人はその相手しか見えなくなりますから」
本当のことは口に出せないので、リーンリアナは別の事実を言ってあげることしかできなかった。自分と公爵令嬢、二人が共に持っていた想いを。
それが被害者であるリーンリアナが加害者の残された家族にできる唯一のことだから。




