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他には特に手がかりのようなものは見当たらなかったので、百合センパイのお母さんにお礼を言って部屋を出た。次はやっぱりあの男性の家だ。
(写真をしっかり写メで撮ってきた私はエライ!!)
写真をそのまま持っていけば?という短絡的な意見を述べたのは、キノコだったので却下した。さすがに人様のものをそのまま持ち出してはいけないだろう。
「村山さん、あの男性の家分かる?」
「……うん」
「よし。じゃあ行こう」
伊吹を先頭に歩き出す。
さっきと比べて、そんなに日差しは強くはなっていなかった。全体的に白い空で、太陽があるらしき所がしらじらとひかっている程度だ。
しばらく歩いて、一応貴一の方を見やると、なんと歩いていなかった。膝を折って蹲っていたので急いでそっちに向かう。先頭集団には吉本が声をかけてくれてる。
「大丈夫?」
「……んん-ーっと」
「わわわ」
一応立ち上がってはみたが、失敗して地面に激突しかけたのでまことがそれを支えた。まだ身体はすごく熱かった。いつも思うが、骨の分の細さしか感じられない身体を抱くのは、こっちがいたたまれない気分になる。しかも寄りかかってる身体はあり得ないくらいの軽さしか感じない。人間はこれでも生きていられるものなんだなぁ、という気持ちと、無理だからどうにかしてでもなんとか人間らしい体格に今すぐにでもすべきだという気持ちが同じくらいにある。
そういえば研修医に、彼みたいなのは人間っぽくなるまで入院加療みたいなのをさせないのかと聞いた時、本人がすごく嫌がるのでやってないと言っていた気がする。本当なら、体重的には強制的にでも入院させるべきらしい。「まぁ、体重的にもっていうか症状的にもっていうか……」と研修医が悩ましげに呟いていた。
「大丈夫なのか? もうそろそろ歩けないのではないのか?」
「んや、まことちゃん、肩貸してもらっていい?」
「全然いいけど……帰った方がいいんじゃない?」
貴一は首を横に振った。仕方ないのでまた歩き出した。吉本に言わないのは、圧倒的な身長差があるからだった。吉本は吉本で背が高い方だし、貴一は貴一で一般的な中学生男子に比べて低すぎるのだ。
「先頭のふたりー、ちょっとゆっくりね」
「馬鹿者! オレ様の歩みにペースダウンなどという言葉はない!!!!」
伊吹はこちらをチラリと見てから、ゆっくりと歩き始めた。
「キノコ。場所が分かるならお前だけでもペースダウンなどしなくていいのだが、分からないのだろう? 諦めて、村山さんの後についていったほうがいいんじゃないのか?」
的確な吉本の台詞に、「じゃあ反復横跳びしながら進む!!!」と横(若干斜め前)に向かって反復横跳びをしながら徐々に前に進むという奇態な行動をとっていた。キノコはキノコで思考回路が常人とはまったく異なっている。
「賢いはずなんだがなぁ……」としつこく吉本は悩んでいた。
そしてまことは伊吹の方に視線を向けた。ゆっくりとだが、ただ前を向いて歩いている。
先ほどこちらを見た時にも、なんの言葉もなかったし表情に変化もなかった。
どういう事だかまったく分からない。どういうつもりなのだろう。このまま何も言わずに貴一を歩かせて良心の呵責とかはないのだろうか。
キノコはただの変人だが、それでも伊吹の変さ加減には到底敵わないとまことは思っていた。
『変というか、ほんとに意味不明。人間かどうかも怪しいレベル』という謎の称号が伊吹に与えられた瞬間だった。
一度面と向かってどういう事なのか聞いてみたいが、おそらくまた無言で通すのだろうと思うとこの苛立ちをどこに向けていいのか分からなくなる。
まことの親が看護師をしてるのがあるのと、貴一を間近で見ているのもあって、まことは将来は看護師になろうと決めていた。だからここまで伊吹に憤りを感じるのだろうか。
ところで吉本は何を考えてるのだろう。彼は聞いたら答えてくれそうだが、聞くチャンスがない。
あとで聞いてみようと思い、貴一をかばいながらゆっくりと歩を進めていった。
☆ ☆
伊吹が、とある家の前で止まった。こちらは少し古びたアパートだった。伊吹の家と貴一のアパートの真ん中くらいだろうか。
「ゴールはここなのか!? いえええええいい!!!」
と、アパートの壁にキックをかました。直後に吉本に頭を拳骨で殴られていた。「人様の建物になんということをするのだ」
「ここの、一階。階段いったらすぐ右」
入り口の所に五人が集まった。
アパートの名前が書いてある壁の内側の方に、椅子があったらしく、貴一が座れることを確認してからそこに座った。
「オレ様がチャイムを鳴らせばいいのか!?」
「キノコじゃない。鳴らすのは、村山さんです。あんたはちょっと大人しくしてなさい」
「むうう。つまらないのぉ」
何キャラ。
伊吹は一歩ずつ地面を踏みしめる感触を確かめながら歩いているかのように足を動かしていき、階段の所でまた止まった。
早くして、といいたい所だが、万が一百合センパイが男性の家にいたとなれば相当なショックだろうから、そこは本人の満足のいくやり方でやってもらうのがいいと思った。
と、貴一が立ち上がった。よろめきながら何歩か歩いて、
「村山さん。カタ、つけるんでしょ? 頑張って。泣いたら、慰めてあげる。ショックで倒れたら……うーんと、救急車呼んであげる。村山さんがどうなっても、大丈夫だから。そのために、来たんだから。だから、最後、頑張っておいで」
少し苦しげな息づかい。そうか、このために貴一は頑張ってここまで来たんだ、とまことはなんとなく納得した。反面で、伊吹のために貴一はそこまでするのかと、お腹の中に溜まってる気持ちが抑えきれないくらいに膨らんできた。爆発しそうだけど、このままだと不完全燃焼してしまう気もした。不完全燃焼したら、誰が片付けてくれるんだろう。きっと、自分で片付けないといけないんだろうな。
爆発したものの後処理ならいいが、爆発するのに失敗したものを片付ける事ほどみじめなこともない。
貴一の言葉に、伊吹はしっかりと首を縦に振った。
再度階段の方に向かい、両手は拳を握った。
階段を上って、どうやらチャイムを押してるらしい。
☆ ☆
「あ、あの……鈴音センパイはここにいますか?」
「うん? ああ。……おい、鈴音、誰か来たぞ」
「だぁれ? あ! …………伊吹」
「知り合い?」
「うん、ちょっと中入ってて」
「伊吹、ごめんね」
「ううん。知ってたから」
「気づいてたの?」
「うん。結構前から」
「うそ!」
「……ほんと(笑)」
「………ほんとにごめんね」
「だからいいって」
「ごめん」
言って、彼女は伊吹を抱きしめた。
伊吹もそれに応えて鈴音の背中に手を回した。
ぎゅっと抱き合う二人。
おそらくこれが最後の抱擁になるだろうことを知って、伊吹は最後に一番の力を入れた後で回した手をほどいた。
離れた二人。
百合センパイはごめんなさいと目を潤ませ、伊吹は、今日の空模様とはまったく正反対の、ぴかぴかの太陽のような笑顔を彼女に見せた。
大きな百合の花は、二人が違う方向を見た隙にとっくに落ちてしまっていた。
☆ ☆
「何やら抱き合っている模様だぞ」
四人がじっと抱き合って、離れる二人を見ていた。
(百合って……なんか……いや……私の知らない世界があそこに広がってるのよね)
伊吹がこちらを指さしたので、二人が降りてきた。
「こちらが、鈴音センパイです。こちらは、クラスメート。センパイを探すの手伝ってくれたの」
「あー、ほんとにすみません!!! 母に連絡するのすっかり忘れてしまっていて……。ほんっとにすみません!!!」
「まぁ無事に見つかったので、良いのではないのか? さっさと家に帰るなり電話するなりしたほうがいいと思うぞ」
「あー、つまんね。もう終わりか。このオレ様の実力を見せずに終了か。くそ!!!!」
「じゃあ無事に終わったので、ここで解散しますか。あっちゃんは病院に連行します」
「あ……っ! あの……っ!!」
伊吹が周りを見渡して精一杯の大きな声で、
「あっ、ありがとうございます。本当に」
実は、まことは言われるとは思っていなかったので、意外だったが、「別にいいわよ」とだけ言って、ニコリと微笑んでアパートを後にした。吉本は後ろ向きのまま二人に手を振っていた。
さっさとここを去りたかった一番の理由は、ここでトロトロしていたらこの女と貴一がどうにかなっちゃいそうで怖かったからだった。
この件は、これで万事解決ということにしたかった。
(もともと百合のひとたちには興味ないのよね、私)
結局役に立たなかった写メは速攻で削除した。
今日の顛末も、記憶の中から削除してしまいたかった。
結局あの女であるところの伊吹は、彼になんの言葉もかけてない。チャイムを押す後押ししたのは貴一だというのに。
とにかく不完全燃焼のままで、まことの気持ちはぷすぷすと黒煙を上げていた。