7
「学校はまあ、気にするな」
「いや気になるけど」
キノコの言葉に、貴一は何かを求めるようにまことたちに順番に視線を送った。伊吹も同じように見ていたが、目が少し赤くなっていた。
赤い目の伊吹と、緑の目の貴一。
まことが見たあの家と貴一が重なった。あの薄暗い部屋の中で、彼は何を思って生活を送っているのだろう。学校にあまり来ないという事は、それ以外の時はあそこにいるという事だ。
それがただ、信じられなく、信じたくなかった。
貴一の顔に見える二筋のキズの理由も知りたくなかった。
ほんとに彼が心を読む事ができるのなら、今、自分の心の中で何を思っているかも彼は気づいているのだろうか。
「お前らは二人で何をしているのか良かったら聞かせてもらってもいいだろうか」
吉本の台詞に、貴一は少し考えるような視線を伊吹に送った後、ゆっくりと言った。
「村山さんの……仲良くしてるセンパイが、昨日から家に帰ってないみたいで、心配で探してるみたい」
「貴一も一緒に探してるのか?」
「うーん、まぁ、さっき偶然会ったんだけど。探そうかと」
「そうか」
「探すっつったって、どこ探すんだ? どこに行ったとか当てはあるのか?」
キノコの台詞に、伊吹が俯いた。長い髪がさらりと肩から落ちて、いつも学校で見ているみたいな姿勢になった。
「ないみたいなんだな、これが」
「じゃあどうしようもないんじゃないか?」
「その……センパイの家には行ってみたの? なんか手がかりっていうか……ないのかな?」
みんなの視線が伊吹に集まる。集まった視線で焼かれてるように身体を縮めた伊吹は、小さくだがハッキリと首を横に振った。
「じゃあ、行ってみようか?」
貴一は大きく息を吸い込んでから言って、伊吹に意見を求めるようにした。まことの位置からは、彼女の長い髪が顔を隠してるのでどんな表情をしているか分からないが、隣にいる貴一には見えてるのだろうか。
今度は首は横にも縦にも動かさなかった。
少し間を置いてから、貴一は噛んで含めるように更にゆっくりと言った。
「どうしたいのか、こればっかりは、ちゃんと村山さんが決めないと」
また間を置いてから、
「言葉で言ってくれないと、分からないから」
貴一の言葉に、三人の視線が空中で絡み合った。
『言葉で言ってくれないと、分からないから』
と確かに言った。
当たり前の事を言った。
当たり前だった事に、まことは少し笑いたくなった。
二人も少し笑っていたようだった。
言葉で言わなくても、分かる事もある。そして、分からない事も。
どうしようもなく当たり前だった。誰だってそうだ。当然だ。
もやもやしていた黒いものが一気に粉みじんになって吹き飛んだ。さっきまでは、見る物すべてがずっとあのアパートの色をしていたのが、途端に目映いまでの明るい色彩に変化した。現金なものだと自分でも可笑しくなった。
「よし!!」
気合いを入れるように、まことが大声を出した。
「行ってみよう? せっかくこんなに人数いるんだからさ。みんなで考えたら見つかるかもよ?」
「というか、一日いなくなるくらい大げさにしなくてもいいのではないのか? 今日あたり普通に帰ってきそうな気もするが」
吉本はまだ難しい表情をしていた。
☆ ☆
結論から言うと、早いうちになんとか探したほうがいいようだったので、みんなでとりあえず急いでそのセンパイとやらの家に向かった。
伊吹の言葉は切れ切れで、途中で泣いてたりもしたのでお世辞にも分かりやすい説明だったとは言えないが、なんとか総合すると、センパイ(仮)は俗に言う引きこもりのようだった。
たまに外出する時もあるが、滅多に外には出ない。
センパイ(仮)は引きこもってもう1年以上たっていて、部屋の中に入れてもらえるのは伊吹だけらしい。
伊吹だけは入れてもらえる理由については、親友だからかなとぼんやりと思い、伊吹に親友と言える人がいた事が、まことには驚きだった。
(失礼な事だとは思うんだけど)
伊吹はそのセンパイ(仮)の前ではどのような表情で、どのような事を話すのだろう。少なくとも、冗談を言って誰かと笑い合う伊吹というのが想像できない。
センパイ(仮)は他には友達はいないようで、たまにする外出なども一時間ほどで帰ってくるのが常のようだった。行き先も、コンビニか書店など決まり切った場所らしい。
一晩も帰って来ないなどというのはかつて今まで一度もなかったし、今回家を出て行く時も、いつものようにふらっと出て行っただけで、両親に何かを告げて行った訳ではないようだった。だからすぐに帰ってくるものと思っていたら夜中になっても帰ってこないので、唯一の友達である伊吹に連絡を入れたらしい。
友達というフレーズに、貴一は少し微妙な表情をしていたような気がしたが、彼についてはまことは別の事を考えていた。心が読める云々ではない。
じゃあ行ってみようか、と言って貴一は重たげに立ち上がった。
天気は随分よくなって日差しもでてきたにも関わらず、彼は寒そうに身体を震わせていた。よく見たら、汗が首筋や顔に浮かんでいる。
「春彦、上着寄越しなさい」
「へ?」
吉本の上着をぶんどって、貴一の肩にかけた。
「着なよ。寒いんでしょ? 春彦は暑いみたいだから」
暑いなんて一言も言ってないが、と言いかけたが、吉本は途中で言葉を切って、「まぁ大人しく着てるがよい」と言い換えた。
「さんきゅ」と貴一は上着に袖を通した。センパイ(仮)の家に向かって歩いている時も、細い彼の身体に1人だけみんなの10倍の重力がかかっているかのような足取りだった。上着のポケットに両手を突っ込んで、苦しげに肩で息をしていた。
あとは自分たちに任せて家に帰って休んだ方がいいと言うのか? あの家に?
何も知らなかった頃なら言っただろうが、今はとてもじゃないけど言えなかった。このまま人を探して歩き回るよりはいいのかもしれないが……。
結局何も言えないまま、センパイ(仮)の家に到着した。瀟洒な佇まいの一軒家で、貴一の住んでいるアパートとはまるで比較にならないところが、今はなんとなく居心地の悪い気分になった。