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「キノコの馬鹿野郎」
自分の言葉に起こされた。一瞬、貴一は自らがどこにいるのか分からなかったが、隣でアルコールの匂いをぷんぷんさせて、片腕だけをはだけさせたまま眠りに落ちている女性を見て思い出した。
(今のって俺の寝言だったのか……)
いつの間にか寝ていたらしい。記憶にはないが、布団もかぶっていた。無意識だったのだろうが、もしも布団をかぶってなければ大変な風邪を引いてしまっていた可能性もある。自分の無意識に感謝した。
時刻は午前の5時すぎ。どのくらい寝ていたのか分からなかったが、坐薬のおかげか熱はどうやらひいてきてるようだ。気管支はまだぜいぜい言っているが、先ほどの苦しさから比べれば随分ラクになってきている。何度か咳をしてから、また母親の服を脱がせるべく手をかけた。こう表現するとまるで犯罪のようだが、もうすっかり慣れてしまっているし、いくらなんでも母親の裸体に変な気持ちになったりはしない。
なんとか部屋着に着替えさせ、仕事用の服は洗濯かごに放り込んで一段落。時計を見たら、6時をまわっていた。
一仕事終えてどっと疲れた身体を横たえた。小さい窓が朝陽で白くなっている。電気を消さないといけないと思ったが、指一本動かす事もできないくらいに疲れてしまっている。
目を閉じると、喉から鳴る音と心臓が滅茶苦茶なテンポで踊り狂ってる音がうるさいほどに聞こえ、その向こうで母親のいびきが聞こえる。
母親の目が覚めた時、感情のメーターがどこを指しているかは日によって違う。眠れそうにはなかったけれど、少しでも休んでおかなくてはいけない。
(明日は……てか今日か。学校は無理そうだな)
数時間しか寝ていない状態で学校に行くのは無茶だったし、母親を一人にしてはおけない。
☆ ☆
お昼休み、いつものようにまことは友達と他愛もない雑談に興じている……ように振る舞いつつ、心は別の所にあった。
ちらりと視線を向けた先は、いつもなら喧噪のエアポケットのような雰囲気を醸し出している伊吹の机とその隣。今日は両方ともが、持ち主不在の状態だった。
貴一が休むのはよくある事で、彼一人であれば、今日も調子が悪いのかな、で済むのだが、珍しい事に伊吹も欠席しているのだった。伊吹は友達といる所などは見た事もないくらいいつもずっと一人で過ごしているのだが、欠席した事は思い出せる限りにおいて一度もない。二つの席が同時に空席である事に、まことの気持ちはざわざわして落ち着かなかった。
「珍しい事もあるものであるな」
「び……っくりした。急に声かけないでよ」
「うむ」
不意に後ろから振ってきた声は、まことの内心と見事にマッチした内容だったので驚きもひとしおだった。
「どうしたのであろうか。常時発動型時を止める少女は」
「分かりづらいでーす」
「完全無風しかし心の天気はいつも雨模様」
「このタイミングで天気について語らないで」
「完全無風少女(雨バージョン)」
「なんかメカっぽいし」
「うーむ、こういうのは意外に難しい。どうにかして貴一まで繋げたかったのだが」
「やり始めた本人が投げ出さないで! 最後のオチまでちゃんとやって!!」
「単品で休むならともかく、セットであるからな。前に学校脱走して捜し物やってたって話ではないか。意味ありげな空席であるな」
「あたしもそれを悩んでるのよね~」
「あんたがた楽しそうね~」
『うわっ』
同時に悲鳴をあげた。後ろから声をかけてきたのは、身体のラインが魅力の国語の先生。170を超えると言われてる自慢の長身を折り曲げてまことたちの視線に合わせているため、後ろから写メ激写されていた。そのプロポーションは中学校では犯罪の域にあるという事に先生方は本当に気づいてないのだろうか。
急いで二人は席についた。
「はーい、出席とりまーす。って敦実以外に欠席してる人はいませんかー。……ん? あら? ……あら?」
国語の先生は大きな目を更に大きくさせて、出席簿と空席を交互に見ていた。何回か往復させて、そろそろまことが目が回るのではないかと心配になってきたころ、「伊吹……さんが欠席、と」と、やっと現実を認めたようだった。
まことは二つの空席をまた見つめた。
今の所二日休んで、二日とも二人同時。それを思って、まことは胸の中にざらりとしたものが落ちてくるのを感じた。