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バイト・オブ・ヴァンパイア  作者: イツロウ
ヴァンパイア・ヘルパー
5/7

誘拐


  15


 あれから2週間。

 私は磯城島先輩に言われた通り、4人のヴァンパイアの家事代行を行なっていた。

 相変わらずクローデルさんは扱いにくいが、料理を出すと美味しそうに食べてくれるので一応は満足だ。でも、クローデルさんは頻繁に私の首元に目を向けている。磯城島先輩の言ったとおり、血を吸う機会をうかがっているのかもしれない。

 ぶっちゃけ、クローデルさんならすぐにでも駆除してくれてもいい。チャンスがあれば棺ごと外に放り出して私が殺してやってもいいくらいだ。

 殺されるに値するほど私はクローデルさんからセクハラを受けている。でも、あれだけ注意しても懲りずに迫ってくるクローデルさんのバイタリティはすごい。憎まれっ子世に憚るとはこの事を言うのかもしれない。

 クローデルさんとは違ってドナイトさんはとても紳士な人だ。

 この間は大学図書館から本を借りてくるように頼まれたのだけれど、本を数冊借りてきただけでかなり喜ばれてしまった。長い間、本を手に入れる機会に恵まれなくて困っていたらしい。昼間に本屋や図書館に行ける私の存在はありがたいらしい。

 彼は本当に本の虫という感じで、私が掃除や料理を作っている間もずっと古椅子に座って本を読んでいる。筋骨隆々な体からは想像できないくらいのインドア派だ。

 ヴァンパイアは全員インドア派なんだけれど、ドナイトさんは特にそんな感じがする。

 4人の中ではドナイトさんが最年長らしく、年齢は800を越えているらしい。長い時間を過ごす手段として読書という行為に落ち着いたと教えてくれた。片手どころか二本の指だけで本を読み進められるのだから相当ページをめくる行為に慣れているみたいだ。

 電子書籍を使えばいつでも新しい本を手に入れられると提案してみたのだけれど、ドナイトさんはパソコンとかテレビとか言った類の電子機器には弱いらしい。今度、パソコンの入門書を買ってあげるつもりだ。

 そんなドナイトさんとは違い、アハトくんはパソコンやゲーム機といった現代ツールを上手く使いこなしている。お金が沢山あるので興味があるものは何でも通販で手に入れてるみたいだ。

 宅配ボックスには常に大小様々なダンボールが入っている。

 実際一番お金をくれているのはアハトくんではあるが、仕事が一番楽なのもアハトくんだ。大体は一緒にゲームをしたり映画を見たりとのんびりと過ごしている。料理に関しても何を作っても嬉しげに食べてくれるので私も満足だ。

 外見が少年ということに加え、かなり懐っこい正確をしているので、なんだか新しく弟ができたような気がしてならない。私は一人っ子だったので新鮮な気分だ。

 その他にも、この前バイトに行った時には通販で高級食材を取り寄せてくれていて、おかげで楽しく料理できた。あれだけ期待されると私もレシピ本などを買って勉強したほうがいいかもしれない。適当に料理すると逆に失礼だ。

 そして、一番気兼ねなく行けるのがレティシアさんの部屋だ。

 家から近いこともあり、他の3人とは違って結構遅くまで内職を手伝ったりお喋りしている。レティシアさんの内職技術はもはやマスターレベルに達している。

 私も結構細かい作業には慣れている方なのに、レティシアさんは私の5倍くらいのスピードで作業をこなしてしまうのだ。

 おまけにヴァンパイアは力が強いので、ペンチとか工具が必要な作業も全部指だけで素早く済ませてしまう。動体視力も高いみたいで、乱丁チェックも瞬時に終了するのだ。

 容姿にも当てはまることだが、ここまで宝の持ち腐れという言葉が似合う人もそうそういない。この間はもらったお金を使って古着屋で彼女のために服を買ってみたけれど、何を着せても似合っていた。ああやって慣れさせていけばいつかは一緒に夜のカフェに一緒に行けるかもしれない。

 ただ、そんな日が来る可能性は極めて低かった。 

「はぁ……。」

 磯城島先輩がハンターだということが分かってから今日で2週間だ。ヴァンパイア殲滅用の武器は2週間で準備できるなんて言っていたし、ヴァンパイア達もそろそろ危ないかもしれない。

 この場合私はどちら側に付くべきなのだろう。

 クローデルさんやドナイトさんには危ない所を助けてもらったし、恩は感じている。それはもちろん、アハトくんの高給も魅力的だ。たったの2週間でだいぶ生活が楽になった。

 でも、お金よりも自分の命のほうが大事だ。

 このまま騙されて血を吸われるような事がないとも限らない。磯城島先輩の言う通りに殲滅に協力するのがいいのかもしれない。

(どうすればいいんでしょうか……。)

 色々思い悩みつつ大学構内を歩いていると、男口調の女性の声が背後から聞こえてきた。

「どーしたんだ松乃木ー。」

「赤嶺先輩……。」

 それは同じボランティアサークルの赤嶺先輩だった。

 赤嶺先輩は遠慮なく私に寄りかかってきて、だるそうな口調で話す。

「そんな顔してると心配しちゃうじゃないかー。何かあったのか?」

「何でもありませんから離れてください。」

「金がなくて困ってるんだろ。少しなら貸してやってもいいぞ?」

「大丈夫です。あの後で条件がいいバイトを見つけましたから。……重いですから離れてください。」

 そう警告してからぶっきらぼうに身を剥がすと、赤嶺先輩は私の顔を覗きこんできた。

「……もしかしてまだ賭博場のことで怒ってる? ……ゴメン!! あのクローデルって奴と勝負させたのは謝るからさ、許してくれよ松乃木ー。」

「……。」

 赤嶺先輩は両手を合わせて頭の上に構えると、腰を曲げてお辞儀をしてきた。

 そもそもこの人に違法賭博場に連れて行かれなければこんなに悩むことはなかったかと思うと、少しだけ腹が立ってきた。

 無言のまま赤嶺先輩の謝罪を眺めていたのだが、数秒もしないうちに先輩はまたしても私に身を寄せてきた。

「そうだ、このまま食堂に行くんだろ? 何でも奢ってやるから機嫌直して……」

「いえ、私は部屋に戻って料理しますから。」

 即、拒絶の言葉を口にすると、先輩はしばらく指を唇に当てて視線を泳がせる。

 私の機嫌取りの方法でも考えているのだろう。暫くすると先輩は先ほどとは違う方法を提案してきた。

「アタシ、料理手伝おうか?」

「結構です。それより赤嶺先輩はちゃんと学校に来てください。磯城島先輩も怒ってましたよ?」

 話題を無理やり変更すると、赤嶺先輩もその話題に乗ってくれた。

「アイツが怒ってるのは知ってる。……と言うか、アイツに怒られたからこうやって謝りに来たんだよ。」

「そうでしたか。……それじゃ許してあげますから、もう金輪際ああいう所に誘わないでくださいね。」

「なんだよ松乃木、賭博場のこと話した時はそっちも結構乗り気だったくせに……。それに今日はなんだか苛立ってんなー。――もしかしてアノ日か?」

「違います。」

 どこまでも失礼な人だ。クローデルさんとは別ベクトルの苛立ちを感じさせられる。

「そろそろ失礼します。……あと、サークルにも顔出してくださいね。」

「はいはい。」

 全く困った先輩だ。初めて会った時には“頼れる姉貴肌の先輩”だと思ったのに、今では“だらしない遊び人”だ。

 外見だけで人を判断してはいけないという最たる例だと思う。

 格好だけを見ると何でもできそうな強い女性に見えるのに、なんだか色々残念な人だ。

 そんな赤嶺先輩と別れて私は構内から外へ出る。

 今日はドナイトさんの家に行く予定なので、作った料理をついでに持って行こう。今からだと少し早いけれど問題ないはずだ。

 ちょうど2週間経っているので、今日で最後かもしれないと思うと行き難かった。

 だが、行かないと不審に思われるので、いつも通り振る舞うように努めることにした。


  16


 ドナイト邸。

 食事を用意して本の整理も済ませた後、私はドナイトさんの隣で学校から出されたレポート課題に勤しんでいた。

 古めかしい机の質感は良く、古椅子も座り心地がいい。これなら何時間でも座って勉強できそうな気がする。

 ただ、あまりいい気分ではなかった。

「すみません、私が助けてもらうなんて。」

「構わない。私が言い出したことだからな。できるまで付き合おう。」

 ちょっとした会話の流れのせいで、私は今ドナイトさんに課題を手伝ってもらっている。本を何百年も熟読してきたドナイトさんの知識があれば簡単にこなせる課題なのは間違いない。

 しかし、ドナイトさんは特にアドバイスするでもなく、興味深げに課題が書かれたプリントを読んでいた。……が、その表情には若干の呆れが混じっているように思えた。

「それにしても簡単すぎる課題だな。最高学府に通っているのに何でこんなに易しい問題が課題になっているんだ? 程度が低いと言わざるを得ないぞ。」

「返す言葉もないです……。」

 まだ一回生なので基礎的なことしか勉強していないのは事実だ。でも、それにしても簡単だというのは私も感じていた。

 ドナイトさんはプリントを机の上に置くと、椅子に深く座って足を組んでしまった。

「これなら私が教授するまでもない。間違いがあった時だけ適宜指摘することにしよう。……さあ、遠慮なく書き進めるといい。」

「はい、どうも……。」

 やはりただ単に答えを教えてくれるつもりはないみたいだ。

 私の今後のことを思ってくれての対応だろうけれど、本音としてはすぐにでも答えを教えて欲しかった。

 この分だと今日中にレポートを終わらせそうにない。でも、一週間後に私がここに来られる気もしなかった。

(はぁ、今日で最後になるかもしれないのに……。)

 いろいろと理由をつけて、もうバイトを続けられないと言ったほうがいいのだろうか。そんな事を言うと怪しまれるかもしれないけれど、お別れをいう機会なんて今後訪れることはない。

 磯城島先輩はこんな良い人たちをどうするつもりなのだろうか。

 ――やっぱり殺すつもりなのだろうか。

 そう思うとなんだかいたたまれない気持ちになってくる。

「涼子君?」

「あ、はい?」

 白紙のレポート用紙を見ながらそんな事を考えていると、ドナイトさんが恐る恐る話しかけてきた。

「見間違いかも知れないが、涙が出ているように見えるぞ。」

「!!」

 いつの間にか泣いていたらしい。涙もろいのは自覚しているけれど、ここまで自然と涙が出てくるとは思ってなかった。

 私は慌てて袖で目元を拭い、誤魔化すように苦笑いする。

「すみません、少し考え事をしていて……。」

「どうしたんだ涼子君? 相談に乗ろう。」

 ドナイトさんは大きな手で私の頭をポンポンと叩く。

 このせいでどれだけ私を気にかけてくれているかが瞬時にわかり、私は磯城島先輩との約束を破ってしまった。

「……ハンターにばれてしまったんです。」

 私はその一言だけを呟く。

 今更言った所でもう手遅れかもしれない。しかし、これで先輩から逃れる時間が少しでもできたはずだ。もう私と会うこともないだろうけれど、殺されるよりは絶対にいい。

 暴露した後、ドナイトさんから返ってきたのは意外な言葉だった。

「知っている。……しかしよく教えてくれたな。勇気が要っただろう。」

「え? 知ってたんですか……。」

「もちろんだ。伊達に八百年生きていない。……これから残りの三人も招集する。全員で話そう。」

 私のレポート課題は中断され、急遽話し合いが行われることになった。


  17


「――と言われんたんですけど、本当ですか? ドナイトさん。」

 私が暴露をしてから2時間後、ドナイト邸にはクローデルさんやレティシアさん、そしてアハトくんが集まっていた。

 私を含めた5人は本棚が並んでいる比較的広い部屋に集まっており、各々が楽な姿勢で寛いでいる。

 私は磯城島先輩から聞いたことをひと通り話し終え、今は吸血に関して改めて質問していた。人の血を吸うという話に関しては誇張された話だと思ったのだけれど、どうやら先輩の言う通りだったらしい。

 私の言葉にドナイトさんは同意するように頷いた。

「彼の言う通りだ。……だが我々はみだりに血を吸うつもりはない。」

「そうなんですか?」

「シキシマという奴の言う通り、吸血される側は一種の中毒状態になる。麻薬と一緒で止めるのは難しいし廃人になる可能性が極めて高い。しかしだな、我々としては涼子君に長く働いてもらいたい。それなのに血を吸うわけがないだろう。」

 最もな意見だ。

 他の3人もうんうんと頷いていた。

「それに、そういう痕跡を残すとハンターに見つかりやすくなるからね。昔はそうでもなかったんだけど、今は科学捜査とかであっという間に居場所がばれるんだってさ。ホント、ハンターはどんどん厄介になっていくよね。」

 アハトくんに続いてレティシアさんも小さな声でコメントする。

「私も、血はもうかれこれ30年以上飲んでないわ。でも、禁酒と同じで慣れれば問題ないのよ。私は元々そんなに飲まない方だし、いざとなれば動物の血でも代用できるから大丈夫よ。」

 そう言えばアハトくんもそんな事を言っていた気がする。どんな動物の血でもいいならあまり問題は無さそうだ。

「そんな事言って、実際は夜中に人襲って吸ってたりするんだろ? 正直に言えよなー。」

 クローデルさんは他のヴァンパイアを見ながら疑うように言葉を投げつける。

 しかし、全員が首を横に振っていた。

「もしかしてクローデル、夜中に人襲ってるの?」

「……。」

 アハトくんの冗談半分なセリフに、クローデルさんは言葉を詰まらせる。

 その気まずい沈黙は肯定を意味していた。

「おいクローデル、我々の間で人は襲わないと取り決めたはずだぞ。今回ハンターに所在突き止められたのもお前が火種かもしれんな……。」

「別にいいじゃねーか、ちょっとだけならセーフだろ。」

 ドナイトさんの威圧感のあるセリフを無視し、クローデルさんはさらに開き直る。

「それにバレたって問題ねーよ。今までみたいに邪魔な奴らは殺せばいいんだって。」

 そんなクローデルさんの物騒なセリフに、私はすぐドナイトさんに確認を取る。

「あの……磯城島先輩を殺したりしないですよね?」

「安心してくれ涼子君。一人でも殺してしまうと本部から熟練の連中がたくさん来る。今は新人を適当にいなしておくのが得策だ。……それにハンターとは言え、涼子君の知り合いに怪我させるわけにもいかないしな。」

「よかった……。」

 誰も死なずに丸く収まるならそれに越したことはない。

 しかし、クローデルさんはドナイトさんの意見に不服なようだった。

「良かねーよ。オレらの居場所も全部把握されてるんだぜ? きちんと潰しとかねーと安心して昼間過ごせないだろーが。」

「だろうね。でも隠れ家は十分な数用意してるんだし、手掛かりを残さずに逃げ続ければ問題ないと思うよ。ボクはむしろ敵の数の方が問題だと思うんだけれど。」

 アハトくんがハンターについて話題を変えると、ドナイトさんもその話に乗ってきた。

「そこまで警戒しなくてもいい。従来のハンターの戦法ならば、まずは我々の戦力を測るために当て馬を寄越してくる。人員が少ない今、いきなり大人数で攻めてくるというのはまず有り得ない話だ。」

 私も先輩に関しての情報をみんなに伝える。

「そう言えば先輩、本部から殲滅用の武器を取り寄せるって言ってました。応援を呼ぶなんて事は言ってませんでしたし、ドナイトさんの言う通りだと思います。」

「やはり新米一人にやらせるつもりか……。人材不足が酷いようだ。まぁこっちは4人いることだし、手加減くらいする余裕もあるだろう。後で身代わりを用意すれば死んだふりもできる。上手く行けば簡単に騙せるはずだ。」

 あまり先輩を脅威だと思ってないのか、4人とも全く緊迫感がなかった。

 殲滅用の武器を使うと聞いて危ないイメージを持っていたのだけれど、みんなは磯城島先輩のことを全く問題に思ってないようだ。

 ……先輩のことを話してヴァンパイアを助けるつもりだったのに、むしろ私が先輩を助ける結果になったかもしれない。もし先輩のことを話していなければクローデルさんに殺されていた可能性もある。

 ここまで話すと、ドナイトさんは私に歩み寄ってきた。 

「後は我々に任せて、涼子君は家に帰るといい。何ヶ月後になるか分からないが、事が済んだらまた連絡しよう。……君は今までの中でも最高の人材だったよ。」

 そう言った後ドナイトさんは私と握手をした。

 それを別れのサインと受け取った私は言われた通り帰ることにした。

「はい、それじゃ……。」

 50年前のことをまるで昨日のことのように語る彼らには、数ヶ月という時間もちょっとした時間にすぎないのだろう。

 気軽に手を振って別れの言葉を言っている彼らに見送られ、私はドナイトさんの家から外に出た。

(数ヶ月後、ですか……。)

 普通に考えればハンターという天敵の知り合いをまた雇おうとは考えないはずだ。

 それに、この状況なら口封じに殺されてしまっても不思議ではない。それなのに、なぜあの人達は私に気をかけてくれるのだろうか。

 ――やっぱり、私の血を吸うためなのかもしれない。

 クローデルさんも私の血は美味そうだって言っていたし、そうだとしか思えない。

 サラサラな血を目指して健康な食生活を送ってきたのがここで仇になるとは考えてもみなかった。こんな事になるなら適度にスナック菓子を食べてちょっと不健康に育つべきだったかもしれない。

 というか、あれだけバランスの良い食生活を送ったのにその栄養が行って欲しい場所に行っていないのが納得できない。

 特にカルシウムと脂肪分だ。

 レティシアさんみたいなスタイルになってみたい気持ちはあるけれど、こればかりはどうしようもない。遺伝と思って諦めよう。

 磯城島先輩の事をすっかり忘れて呑気なことを考えていると、やがて夜の山道を抜けて、舗装された綺麗な道に出た。

 ここから駅まで数分と掛からない。帰りの電車が来るまでしばらくジュースでも飲んでホームのベンチで体を休めよう。

 そんな事を思っていると、急に背後から誰かがぶつかってきた。

 その人物はひったくりらしく、強引に私のバッグを奪い取ってしまった。

 すぐに私は声を上げようと肺に息をためたが、その相手を見てその息を飲んでしまう。

 ……その相手とは、あの時の通り魔だった。

「……!?」

 急な再開に私は声も出せずにその場で凍りついてしまう。

 通り魔は大きなつば付き帽子を深くかぶり、更にその上からフード付きのパーカーを着ていた。そんな彼は私からバッグをひったくった後、逃げることなくその場でバッグを物色し始める。

 通り魔は素早い手付きでバッグの中から財布を取り出し、更にそこから私の学生証を抜き出す。そして、学生証に書かれていた私の名前を読み上げた。

「……松乃木涼子って言うんですか。」

 聞こえてきたのは予想よりも高い声、中性的な声だった。

 このせいでますます男か女かわからなくなってしまう。

(いや、男女かどうかなんて今は問題じゃないですよね……。)

 今心配すべきは私の身の安全だ。

 私は今更ながら通り魔から逃げることを選択し、バッグを見捨てて走りだす。

 しかし、一歩踏み出した所で羽交い絞めにされてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

「アナタを人質にします。あの異様に肌が白い子供とごつい男……僕が人間を殺せなかったのは初めてなんです。だから、また会って今度は殺します。」

 アハトくんとドナイトさんのことだ。

 あの時ドナイトさんから逃げたと思っていたのに、通り魔はまだ彼らを殺すのを諦めてなかったみたいだ。

「このままアナタの家まで行きます。案内して欲しいです。いいですね。」

「……。」

 背中にナイフを突き付けられた状態で反論できるわけがなく、私は通り魔の要求どおりに家まで案内させられることになった。


  18


 電車に乗って、通り魔と一緒に学生マンションに戻り、私は3階の自室の前まで帰ってきていた。

 しかし、鍵を入れていたバッグを通り魔と遭遇した場所に放置したままだったので、部屋の鍵を開けることができずにいた。

 その事を通り魔にジェスチャーで伝えると、通り魔は私を押しのけてドアの隙間に何やら薄い板のような物を差し込んだ。

「僕が開けます。退いていてください。」

 それからしばらく通り魔は板を慎重に前後に動かしていた。どうやら鍵の出っ張りの部分を薄い鋸みたいなもので切断しているらしい。

「……。」

 通り魔が作業している間隙だらけに見えたので、私は一縷の望みに賭けて2つ隣に住んでいる先輩の名前を呼んでみることにした。

「磯城島先輩!! たすけ……」

 だがその瞬間にドアが開き、私は言葉の途中で通り魔に部屋の奥へ押し飛ばされ、カーペットの上で転けてしまった。

 通り魔はそんな私の上に馬乗りになり、胸元に何かを押し当ててきた。

「いたっ……」

 胸にチクリとした痛みを感じ、私は視線を下に向ける。するとそこには短くて肉厚の刃を持つナイフが見えた。その刃先は私の服を簡単に通りぬけて肌にまで達しているようで、刃先の部分のシャツに赤い染みができていた。

「いい度胸ですね。ですけど、アナタの先輩とやらは不在なのは確認済みです。今後こういうことはやめて欲しいです。」

「わかりました……。」

 私が大人しく了承すると、通り魔は私の上から降りた。

 そして部屋の中を見渡しながら言葉を続ける。

「ペンと紙はありますか。部屋に手紙を残してください。これから言うことを紙に書いて貰いたいです。」

 本当に私を人質にするつもりらしい。直接私にヴァンパイアの居場所を聞けばいいのに、いろいろ回りくどい人だ。

 だが、そんな事を言うと刺し殺されそうだったので、私は言われた通りに紙とペンを用意する。

「今日の零時、場所は……」

 早速その言葉を紙に書いていると、すぐに通り魔は私に質問してきた。

「近場で人目につかなくて広い場所はありますか? なるべく動きやすい場所で殺し合いたいです。とにかく広くて目立たない場所ならどこでもいいです。」

 そう言われても、私はこっちに来てから半年しか住んでいないのでぱっと思いつかない。思いつく場所といえば、いつもボランティアサークルで訪れている公園とか公民館とか総合体育館くらいなものだ。

 どの場所も住宅街が近いので目立ってしまう。

 しばらく考えていると、いい場所が思い浮かんだ。

「そう言えば大学の校舎の中……5階に体育館があります。改装したばかりで誰も使っていないと思うんですけれど……」

「ではそう書いてください。大きな字で……そうです。」

 私が時間と場所を紙に書き終えると、通り魔はそれを玄関に放り投げて手元に新しいナイフを取り出した。

「最後に、指でも置いて行きましょうか。」

「!?」

 その言葉を聞いて私は咄嗟に指を隠そうとした。だが、通り魔は私の手を掴んで部屋の壁に押し付ける。そして、ナイフを壁に突き刺すとそれをゆっくりと指に向けてスライドさせてきた。

 壁には鋭い切れ込みができ、それはどんどん私の指に近付いてくる。

 このままだと1本どころではなく5本とも切り落とされるかもしれない。

「いや、やめて……」

 そう言ったものの、通り魔は私の言葉を無視してナイフで壁を切り裂いていく。

 ナイフは止まらず、とうとう刃が私の指に触れてひんやりとした感触が伝わってきた。

(……!!)

 ついに切り落とされる……と思った瞬間、通り魔は急に私の拘束を解いた。

 支えを失った私はその場にへたり込んでしまう。

 その後、私は慌てて自分の指を見る。……指は5本とも手にくっついていた。

「よかった……。」

「ふふふ、いい反応ですね。このまま殺してもいいですけれどそれは後にします。」

 そう言うと通り魔は再びナイフを持ち直し、私の黒髪を優しく掴む。そして、指の代わりに私の髪をバッサリと切ってしまった。

 初めは髪を切られたことに気が付かなかったのだが、急に頭が軽くなったのですぐその事に気付くことができた。

 切れらた長い黒髪は通り魔の手の中にあり、通り魔はそれをひとまとめにしていた。

 ……なぜこんなに切れ味がいいのだろうか。

 通り魔の手にある髪は綺麗にまとめて切断されており、私自身の頭に残った髪もまるで美容室でカットされたかのように揃っていた。

 切られた瞬間も、ハサミで切られた時のような感触はなく、何の抵抗も感じず切り落とされてしまった。

 ナイフが鋭いのか、それともこの通り魔の技量がずば抜けて高いのか……。

 あまり髪に執着心はなかったけれど、それでもやはり切られると喪失感が生じるものだ。私は通り魔の手の中にある自分の髪をしばらく見つめていた。

「髪だけで十分です。彼らには一度会っているし、これで松乃木涼子が僕に何をされるのかがわかると思います。」

 通り魔はその長い髪を軽く結び、手紙の上に置いた。

「……今夜が楽しみですね。さて、その体育館に案内して欲しいです。」

「はい……。」

 正直、こんな置き手紙だけで気付いてくれる気がしない。でも、通り魔の言う通りにしたのだから来なかったとしても殺されることは……多分ないだろう。

 その後私は大学構内に通り魔を案内することになった。


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