殺人鬼
9
人間は丈夫にできていると言ったのはいったい何処の誰だろうか。
そもそも丈夫とは何を基準にしているのだろうか。
一般的に硬いと言われているコンクリートですら僕にとっては豆腐に等しい。
……いや、今はそんな事はどうでもいい。
問題なのは僕が襲う人間があまりにも脆く、簡単に死んでしまうということだ。
今日は、獲物を探していたら顔に包帯を巻いた3人組が絡んできたのでそいつらを殺すことにした。一度に3人も殺すのは久々だ。
まず唇にピアスを付けた男がナイフで襲いかかってきたのだが、脚を引っ掛けただけで勝手に転んで自分のナイフを顔に突き立てて死んでしまった。
それを見て背の低い男が逃げ出したのだが、後頭部にナイフを投げるとすぐに死んでしまった。もちろんこのナイフはピアスの男が使っていた粗悪品じゃなくて自前の炭素鋼ナイフだ。
本当は切れ味のいい和式ナイフを使いたいけれど勿体無くて使えない。
今は取り残された太った男をいたぶっている。
どの程度切れば死ぬのか試すため、体を切り分けている最中だ。
始めてから随分経つがまだ動いている。なるほど、人間が丈夫というのも案外間違いではないみたいだ。
太った男は僕が切り分けるたびに悲痛の叫びを上げていた。……が全く人が来る気配はない。そこそこ住宅街から近い場所にある公園なのにみんな無関心すぎる。真夜中に男の叫び声が聞こえれば様子を見に来なくても警察に通報くらいしそうなものだ。
どうせこの3人は毎晩この辺りで騒いでいるのだろう。住民も慣れているのかも知れない。まさに典型的な狼少年だ。
脂肪が厚いし切るのもそろそろ面倒になってきた。頭か心臓をひと突きにしようか。
僕は一旦ナイフを地面に刺し、首を掴んで太った男の顔を見る。
すると、太った男は激しく咳き込んで嘔吐した。
この嘔吐物の酸っぱい匂いは僕を正気に戻してくれた。
僕は太った男を無理やり立たせ、肩に手をおいて告げる。
「すみませんでした。どうやら間違っていたみたいです。こんな事をしても僕もそちらも辛いだけです。ですからもう終わらせます。」
僕は太った男の首筋にナイフをあてがう。
すると、男の体がこわばって呼吸が早くなるのが分かった。
「いやだぁ……助けてくれぇ……」
太った男は嘔吐物の臭いを発しながら僕に命乞いをしてきた。
でもそれは意味が無いことだった。
「さよなら。」
僕は特に考えることなくナイフを首に押しこむ。
すぐに首から血が吹き出てきた。
死んでしまった人間には興味はない。
いつもはもっと細かくして見つからないように処理するのだけれど、今日は死体をそのまま放置し、その場から離れることにした。
じりじりと殺せばもっと興奮するかと思っていたが、全然いつもと変わらない。驚くほど冷静だ。いや、僕はもう既に狂っていて自分が冷静だと勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。
何百人何千人と殺して“通り魔”なんて報道されているけれど、そんな名称をつけられても嬉しくない。
テレビで報道しているのは僕が殺したうちのたったの10人だ。10人程度で大袈裟に騒ぎ過ぎだと思うし、そんなニュースは見ていてもつまらない。
どうやれば僕は殺人を楽しむことができるのだろうか。
どうすれば僕は殺人を楽しむことができるのだろうか。
このまま人殺しが習慣化してしまうと僕としてもつまらない。
「次はどうやって殺そう……。」
先に不安を感じつつも、なぜだか僕の足取りは軽かった。
10
日曜日。
私は例によって作りすぎた昼ごはんをアパートの向かいの家に住んでいる大家さんに届け、調理器具の後片付けをしていた。
一人暮らしを始めたのだし、休みの日くらい自堕落な生活をしてみたい。
思い切って昼間まで寝てみたい気持ちもあるのだけれど、実家では祖父祖母に合わせて早起きしていたので早起きの癖が全く抜けないのだ。
磯城島先輩は休日も色々忙しいのか、一人で何処かに出かけているみたいで、作りすぎたおかずを届けに行った時には既に留守になっていた。一昨日言ったように映画を見に行ってしまったのだろうか。
ここ半年は毎日のようにおかずを受け取ってくれていたのに、珍しい日もあるものだ。
もしかすると映画ではなくクラブ活動の方に行ったのかもしれない。先輩は大学のサークルに入らないで地元の何かのクラブに所属していると聞いている。赤嶺先輩ともそのクラブで知り合ったみたいだし、案外不真面目な団体なのかもしれない。
私の友達はみんな運動系のサークルに入っているので休日も練習で忙しいみたいだ。
まじめにやればボランティアサークルも忙しいと思うのだけれど、なぜだかうちはかなり緩いのでありがたい。
先輩のことを考えながら切れ味の落ちた包丁を軽く研いでいると、外からバイクのエンジン音が聞こえてきた。
それは比較的軽めの音で、郵便配達の人のものだとすぐに分かった。
ドナイトさんはアハトって人から直接住所が書かれた手紙が来ると言っていたし、日曜日に会う予定なので、手紙が来るとしたらこの時間帯しか有り得ない。そうでないと私を誘ってくれた磯城島先輩に悪い気がする。
私はすぐに包丁を置いてエプロンを外し、アパートのエントランスにある郵便受けに向かった。
下に降りると、ちょうど配達員の人が郵便受けに手紙やら封筒やらを入れている最中だった。
私は配達員の人がそれらを入れ終えるのを待ち、全て終わると早速自分の郵便受けを確認する。そこにはダイレクトメールと差出人不明の封筒が入っていた。
私はその場で封筒を開けて中身を見る。
中には折りたたまれたA4のコピー用紙が入っており、紙には何処かの地図サイトから引っ張ってきたような簡素な地図がプリントされていた。
……私は部屋に戻ってすぐに外出の準備をすることにした。
「ここですね……。」
――手紙を受け取ってから2時間後。
私は地図に従って移動し、アハトという金持ちヴァンパイアが住んでいるであろう場所に到着していた。
目の前には見上げるのも一苦労するほど立派な高層マンションがあり、入り口のモニュメントに掘られたマンション名も地図に記載されたものと一致していた。
さすがは金持ちだ。クローデルさんやドナイトさんとはどえらい違いである。
ロビーに入るとまず私を出迎えたのは立派な金属製のインターホンだった。
封筒の中に同封されていたメモによれば、アハトというヴァンパイアはここの3005号室に住んでるらしい。私はインターホンに取り付けられた数字のボタンをその通りに押し、最後に呼び出しボタンを押した。
「こんばんわー」
マイクに向けて挨拶すると、こちらが事情を説明する前に少年の声が返ってきた。
「ようこそいらっしゃい。リョーコちゃんだよね? ドナイトの言う通りカワイイ女の子だね……。あ、今開けるね。」
インターホンにはカメラも付いているのでそれでこちらを見ているのだろう。
妙に馴れ馴れしい少年の声に驚きつつも、私は開いた自動ドアからマンション内部に入る。
そして無駄に広いエレベーターに乗り込んだ。
階を指定して扉を閉めると、エレベーターは音もなく上昇し始め、すぐに30階に到着した。
エレベーターから降りると、既にそこはマションの内部だった。普通のマンションとは違って外の景色は見えず、広くて綺麗な廊下が奥まで伸びていた。まるで何処かの高級ホテルみたいだ。
実際に高級ホテルに泊まったことはないけれど、修学旅行で泊まったホテルよりも豪華な造りになっているのは間違いなかった。
(えーと、3005号室は……)
3005号室を探しながら大理石でできた廊下を歩いていると、すぐに出迎えがやってきた。
「こっちだよリョーコちゃん。おいで。」
「あれ、子供……?」
現れたのは半袖のシャツにハーフパンツを履いた10歳前後の少年だった。
インターホンで受け答えをしてくれたのもこの少年かも知れない。
いわいる従者とか言う人なのだろうか……。私はその少年の案内のおかげで迷うことなく3005号室まで移動することができた。
そのまま少年の後に続いて部屋の中に入ると、少年は私に手を差し出してきた。
(……?)
よく分からなかったので、私はとりあえずその手を掴む。すると、その時ようやく少年が握手を求めてきたのだということに気が付いた。
「ドナイトから手紙で色々教えてもらってるよ。初めましてリョーコちゃん。」
「まさか、きみがアハトというヴァンパイアなんですか?」
「うん、そうだよ。」
少年は笑顔で頷く。
確かに瞳も赤いし肌も白いと言われれば白い。でも、こんな子供のヴァンパイアがいるとは思っていなかった。
彼……アハトくんは小柄な私よりも背が低く、顔つきも幼かった。
黒色の髪はかなり伸びていて前髪は目に掛かっている。耳も髪で完全に隠れていた。でも、だらしなく伸ばしているわけでもなく、私的には可愛い髪型という印象だった。
というか可愛い少年だ。外国の男の子、特に彫りの深い子供は可愛く見えるから困る。
私がアハトくんをまじまじと観察していると、アハトくんは頬を指でポリポリ掻きながら私に話す。
「ドナイトからそこまで詳しく説明されなかったんだね。……ボクらは従者になった時の状態で固定されるから、年を取っても外見はずっと昔のままなんだよ。」
「そうなんですか……。子供だなんて言ってすみません。」
「いや別にいいよ。精神は外見に大きく影響を受けるって何かの本で読んだことがあるし、実際ボクもずっと子供の性格のままさ。」
アハトくんは話しながら部屋の奥へ進んでいく。
改めて室内を見ると、やはりというか、とても広かった。玄関から見ただけで分かるくらいだ。トイレも3つくらいはありそうだ。
しかしどこぞのモデルルームのように綺麗というわけではなく、床にはお菓子の空き袋を始め、開けっ放しの段ボール箱やくしゃくしゃになった服が散乱していた。
アハトくんはリビングに設置された大きなテレビの前に座ると、私に手招きをする。
足元のゴミを避けながら移動してアハトくんの隣に座ると、アハトくんは私に何かを差し出してきた。
「はいこれ、コントローラー。リョーコちゃんは2Pで下の画面ね。」
テレビ画面を見ると、いつの間にやらテレビゲームの画面が映し出されていた。
どうやらレーズゲームらしく、車が数台並んでいる。
とりあえずコントローラーを持ってみたものの、全く知らないタイプのもので操作方法も全く分からなかった。私が操作できるのは十字ボタンとABボタンが付いているカセットタイプのゲーム機だけであり、最近のものは全くわからない。
「私、テレビゲームには疎くて……」
「大丈夫、ハンドルみたいに傾ければ勝手に進むから。」
アハトくんの手元を見ると、コントローラーを左右に振ったり前に押したりしていた。すると、画面の中の2等身のキャラクターが乗っている車もその動きに合わせて前に進んでいた。
私もそれを真似てみる。
「あ、ホントですね……。でも難しい……。」
コントローラー自体を動かして操作できるだなんて……最近のゲームはすごい進化を遂げているみたいだ。
それからしばらく画面内の車を運転していると、隣からゲームとは関係のないセリフが聞こえてきた。
「ドナイトも手紙で良い娘だって書いてたし、リョーコちゃんさえよければボクが雇ってもいいよ。……取り敢えず日給8万でどう?」
「は、8万円ですか!?」
かなりの高額に驚いて手元が狂ってしまい、画面の中の私の車は道をそれて海に落下してしまう。
対するアハトくんの車は順調にトップをキープしていた。
「学生さんだから忙しいだろうし、週に1,2回くらいお願いしようかな。」
「週に16万、月に64万ですか……。すごい額ですね……。」
クローデルさんとは天と地ほどの差がある。あの時断らなくて本当によかった……。
ほぼボランティアに等しい条件ででクローデルさんに奉仕することを決めた自分の良心に感謝していると、アハトくんの操作する車も私と同じように海に落下してしまった。
「これ、朝からずっとやってるんだけれど、なかなかショートカットが上手くいかなくてさ……。難しすぎ。」
「1位だったのにそんな事しなくても――って、朝からずっと起きてるんですか? ヴァンパイアって日中は棺で眠らないと駄目なんですよね?」
私はゲーム画面から目を離し、隣を見て質問する。
アハトくんはゲームに集中しつつも、私の問いに答えてくれた。
「眠らなくても平気だよ。というか棺は嫌なんだ、背中が痛いし寝返り打てないし。」
「でも、クローデルさんは寝てるみたいですけれど……。」
「クローデルは日中にやることがないから寝てるだけで、本来ボクらは寝る必要無いんだ。ボクはずっとゲームしてるし、ドナイトはずっと本読んでるよ。」
「そうだったんですか……。」
「そうだよ。でも、トラブルが起きた時に太陽に焼かれちゃうとまずいから、昔はボクらも棺に入ってたんだ。けど、今は滅多なことじゃ襲われないからね。最近の家はセキュリティも造りも頑丈だから心配要らないよ。特に日本のは地震に余裕で耐えられるくらい強いって聞いてるし。」
そう言えばドナイトさんはアハトくんが昔ドイツにいたと言っていた。
日光を浴びてはいけない彼らはどうやって日本まで来たのだろうか。
「みなさんどうやって日本まで来たんですか? 結構問題があると思うんですけれど。」
素朴な疑問を口にすると、アハトくんはすぐに答えてくれた。
「方法は色々あるよ。棺のまま空輸されたり、密閉されたコンテナで海路を渡ったり、それこそ波に任せて漂流してみたり……色々無茶ができるからそこまで辛くはないんだ。……因みにボクが日本に来たのは飛行機ができてからだね。大体50年位前かな。」
長寿の彼らには50年という数字は大したことないらしい。アハトくんは最近来たかのように話していた。
「それじゃあ結構日本にもヴァンパイアが来てるんですね……。」
「そうでもないよ。昔と比べて総数も減ったみたいだし、多分日本には100人もいないんじゃないかな。」
「それでも多いと思うんですけれど。」
こんな会話をしているうちにゲームが疎かになってきたのか、画面内の車は頻繁に壁に激突していた。
「ゲームやーめた。」
いきなりアハトくんはゲーム機の電源を切り、コントローラーをそこら辺にぽーんと投げ捨てる。
私がそれを拾ってゲーム機の隣に置くと、アハトくんは私に別のことを頼んできた。
「なんか作ってよ、料理うまいんでしょ? ボク、日本料理とか興味あるんだ。」
「わかりました。腕によりをかけて作りますよ。」
先に掃除をしたかったのだが頼まれては仕方がない。こういう時のためにバッグには予め家の冷蔵庫から持ってきた食材がある。
日給8万円に相応しい働きをするべく、私はキッチンへ向かった。
11
アハトくんの要求どおり、私は腕によりをかけて日本料理を作った。
根菜類をふんだんに使った煮物や簡素な味付けのお吸い物、そして肉じゃがは祖母に教わった通り上手く作れたと思う。他にもタッパーに入れて持ってきたおかずやスーパーで買った漬物もある。
また、こっちには高性能な炊飯器があったので炊き込みご飯まで作ってしまった。
調理に時間が掛かってしまったのでなにか文句を言われるかと思ったのだけれど、アハトくんは何も言わずに私の後ろに立って待ってくれていた。
この間のクローデルさんみたくちょっかいを出されなかったのでスムーズに料理ができてよかった。
今は配膳も済んで、部屋に元々取り付けられていた大きなダイニングテーブルの上で一緒に食事をしている。
(少し味が薄いかもしれませんね……)
もうちょっと味付けが濃くても良かったかなと自分の料理を食べながら反省していると、アハトくんがぽつりと呟いた。
「――おいしい。」
そんなシンプルな感想を言った後、アハトくんは急にお箸をテーブルの上に置いて俯いた。一体どうしたのだろうか……。
「あの、アハトくん……?」
私は心配になって覗きこむ。
すると、アハトくんの紅い瞳が涙で潤んでいた。
「あはは……。食べ物食べて涙が出たのは初めてだよ。400年も生きてきたのに情けない話だよね。……そうだ、どうせだしバイトだなんて言わないでボクの従者になってみる?」
「え、従者ですか?」
アハトくんの涙のせいで一瞬心が揺らいでしまったが、私はそれを単なる泣き落としだと考えるように努め、何とか否定の言葉を捻り出すことができた。
「……いえ、遠慮しときます。」
「そう? ボクはお金があるから苦労しなくても安全にヴァンパイアに成れると思うんだけれど……無理強いしても意味ないか。」
アハトくんはあっさりと勧誘を止めて再びお箸を持つ。
その時私はまたしても疑問が湧いてきてしまい、食事中にもかかわらずアハトくんに質問してしまった。
「気になったんですけれど、女でも吸血鬼になれるんですか?」
「当たり前だよ。最近まで若さを保ちたいからって、結構女の人も従者になったんだけどね、そういうミーハーなのは根性ないからすぐにハンターに情報を売っちゃうんだ。だからあんまり数はいない。……でも、ボクの友だちに一人だけいるよ。レティーっていうんだけれど、結構美人だよ。」
「レティーさんですか……。その方もやっぱり肌も白くて目が赤いんですか?」
何となく気になってしつこく訊いていると、アハトくんは本格的に彼女について話し始める。
「そんなに興味あるならレティーのところにも行くといいよ。もし気が向いたら参考になるだろうし、ボクほどじゃないけれど結構稼いでるみたいだから、割のいいバイトにはなると思うよ。」
「いえ、どうせならここで毎日でも働かせて欲しいんですけれど……。」
そうなればもう生活費に困って違法賭博場なんかに行く必要もない。……というか、これだけ稼げれば大学に行く必要もない気がする。
しかし、アハトくんの言葉によってその野望は簡単に打ち砕かれてしまう。
「それは無理だよ。ボクらも毎日来てほしくはないんだ。ハンターにマークされるかもしれないからね。」
「あ……。」
ハンターのことをすっかり忘れていた。
ドナイトさんからおおまかなことは聞いているけれど、実際どんな人達なんだろうか……。そのハンターのせいで日数が限定されるのは仕方ないとしても、ひと月で64万円も稼げれば十分だった。
「それでもアハトくんの所でバイトできれば十分です。」
「ボクだけなんて言わずドナイトとかクローデルの面倒も見てあげてよ。あと、とりあえずレティーの所にも行くだけ行ってみなよ。レティーは大人しいから怖くないよ。」
ここで無理に断るとアハトくんの所ですら働けなくなるかもしれないと考え、素直に私は従うことにした。
「わかりました。行ってみます。」
「良かった。また今回と同じように地図入りの手紙送るからね。」
またしても新たなヴァンパイアに会うハメになったのだけれど、女のヴァンパイアというのは結構気になる。
それに私の料理に感涙してくれた少年の願い事を断ることなどできなかった。
その後十数分かけて夕食を完食すると、早速アハトくんが次の予定を発表した。
「さて、お腹も膨れたし夜のお散歩行ってみよっか。」
「えぇ……」
何だかんだで料理に時間がかかった事もあり、夜の8時を回って9時が近付いている。このまま帰ろうかと思っていた私にはあまり有り難くない予定だった。
「リョーコちゃん、そんなあからさまに嫌な顔しなくてもいいじゃない。ボク一人で出歩いてたら絶対補導されちゃうでしょ。」
「だったら昼間に散歩――は無理でしたね……。」
外見が幼いというのはかなり不便みたいだ。一人で生活するには他のヴァンパイアの何倍も面倒に違いない。
この間不良に絡まれたばっかりだし、最近治安が悪いとも聞いている。
とにかく今日は辞退しようかと考えていたのだが、私の考えはアハトくんの鶴の一声によって簡単にねじ曲げられてしまった。
「特別手当が出るよ。50万。」
「……さぁ、行きましょうアハトくん。」
「分かりやすいなぁ、リョーコちゃんは……。」
そんなアハトくんの呆れ声を背後に聞きつつ、私は率先して玄関に向かった。
――高層マンションを出てから5分後、私はアハトくんと一緒に夜道を歩いていた。
深夜までとは行かないけれど、流石にこの時間になると人通りも少ない。
でも近くにデパートや駅があるせいか、すぐ近くを通っている国道からは車の走行音が結構聞こえてきていた。
「毎晩徘徊してるんですか?」
「んー、たまにね。」
アハトくんは楽しげに歩いている。
私が話しかけたことで更に昔のことも教えてくれた。
「昔はこうやって徘徊して女の人を襲って血を吸ってたんだけれど、今もその習慣が抜けてないんだよね。……ボク結構すごかったんだよ? こんな容姿だから道で泣くフリしてれば向こうから来てくれたんだ。」
「確かに、納得ですね。」
むしろアハトくんにならば襲ってもらいたいくらいだ。
……なんてことを考えていると、アハトくんは少し遅れてその話に補足する。
「あ、でも今は人は襲わないよ。血が欲しくなったらドナイトが住んでる山に行けば動物が沢山いるからね。」
血ならばどんな生き物の血でもいいみたいだ。
でも、アハトくんが野生動物の血を吸うシーンをあまり想像したくなかったので、私は話題を変更することにした。
「……ところで、ハンターは気をつけなくていいんですか? こんなに堂々と歩いてると危ない気がするんですけれど。」
「昔はバンバン狩ってたけれど、今は夜にハンターが襲ってくることはないから安心していいよ。あいつらが襲うのは昼間のボク達だよ。そっちの方が勝率が高いからね。」
「なるほど。」
「日本に来るまでは年に5回は襲われたけれど、こっちに来てからは一回も無いね。日本にいるハンターは無能なんじゃないかな。……と言うか、最近のハンターは武器とか機械に頼るような弱い奴らばっかりだよ。昔はボクら並みに強い人間が結構いて、夜でもボクらと渡り合えてたんだ。でも、100年位前にハンターが総力でボクらを潰しに来た時に優秀なハンターがいっぱい死んじゃったみたいだね。」
「複雑なんですね……。」
3人のヴァンパイアと色々と話した今の私にとっては、ヴァンパイアよりもそのハンターという人達のほうが得体の知れない存在だ。
やっぱり大きな杭とか銀の銃弾とかを武器に使うのだろうか……。
色々とハンターの姿を想像していると、やがて曲がり角に差し掛かった。
その曲がり角を曲がると、目の前に大きなつば付き帽を被った人が立っていた。
背はそんなに高くなくて体つきも華奢なので女の人かと思ったが、細い男の人にも見える。服装的にもフード付きのパーカーにカーゴパンツなのでオトコっぽい恰好だと言えなくもない。でも、肝心の顔が隠れているので判断しづらかった。
ただ、不思議な雰囲気を放っているのは確かだった。
……仮に彼としておこう。
彼は私達が曲がり角に現れると、道を譲るように塀に背をむけて端に寄ってくれた。
わざわざ避けてくれるなんて優しい人だな……なんて思っていると、彼は静かに接近してきてアハトくんにぶつかってきた。
「……?」
急な接触事故にアハトくんは物言いたげな表情を彼に向けていた。
私も何事かと思い彼に近づいて様子を見る。
すると、彼の手に黒く尖った物が握られているのが分かった。
それは電柱に取り付けられた街灯に照らされて鈍い光を放っており、私はすぐにそれが何であるか理解した。
「……!!」
それは黒塗りのナイフだった。
しかもその刃先はアハトくんの脇腹に深く突き刺さっていた。
ところがアハトくんは痛がる様子もなく帽子を被っている彼に不敵な笑みを向ける。
「ハンター……じゃないみたいだね。それにしても刺し方に迷いがなかったよね。人を殺すのに相当慣れてるみたいだ。」
私の見ている前でアハトくんは自分の体に突き刺さったナイフの刃を掴み、帽子を被っている彼ごと押し退ける。
アハトくんの体からは全く血が出ておらず、まるで蚊に刺された程度にしか思っていないようなリアクションを取っていた。
……アハトくんが彼と揉み合っている間、私は磯城島先輩の言葉を思い出していた。
「もしかしてその人、ニュースでやってた通り魔じゃないでしょうか。」
「話題の殺人鬼か。……どうせだし相手してあげるよ。」
私の予想にアハトくんは同意し、その通り魔と対峙した。
「……。」
アハトくんの誘いに乗った通り魔は無言のままナイフを振り、何度もアハトくんを突き刺す。しかし、アハトくんは動じることなくナイフを全て受け止め、通り魔に向けてキックを放った。
「……?」
通り魔はそのキックから逃れ、一旦アハトくんから離れる。
そして自分の持っているナイフをまじまじと見つめていた。
どうやらアハトくんにダメージがないのをナイフに問題があるのだと思ったらしい。
数秒ほど観察した後、通り魔はそのナイフを近くにあったコンクリート塀に突き立てる。するとコンクリート塀は綺麗に抉られてしまった。
それでナイフに原因がないと確認できたのか、続いて通り魔はそのナイフをこちらに向けて投げ飛ばしてきた。それはとても速く、目で追いきれなかったが、私目掛けて飛んできていることだけは理解できた。
「キャッ!!」
私は短い悲鳴を上げ、目を瞑って地面に屈みこむ。すると、ほぼ同じタイミングで私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「涼子君!!」
その厳かな声のすぐ後、金属が障害物に当たる際に発せられるカーンという甲高い音が耳に届いた。
目を開くとナイフは目の前の地面に落ちており、筋骨隆々のヴァンパイア――ドナイトさんがそれを革靴で踏みつけていた。
ドナイトさんはその黒塗りのナイフを拾い上げると刃の部分を指で挟み、簡単に折り曲げてしまう。
そして、凄味の効いた声で命令した。
「……去れ。」
すると、通り魔は驚くほど呆気なくその場から逃げ去り、すぐに姿が見えなくなった。
「いい退きっぷりだな。瞬時に実力差を見極めるとは、相当の手練のようだ。……今だに捕らえられていないのも納得できる。」
ドナイトさんは通り魔が去った方向を睨みながらそう呟き、ひん曲がったナイフを適当に放り投げる。
続いて地面にへたり込んでいた私を立たせてくれた。
「もしやと思って監視していてよかった。遅れて済まなかったな。」
「いえ、ありがとうございます……。」
足に力が入らなかったのだが、上に引っ張られたおかげで何とか立つことができた。
私を立たせた後、ドナイトさんはアハトに対して厳しい口調で注意をする。
「全く、深夜徘徊は危険だと何回言わせれば気が済むんだ。ただの通り魔だったから良かったものの、あれがもしハンターなら涼子君は四六時中監視され、最悪の場合我々の情報を得るために拷問を受けていたかもしれないんだぞ。」
「うん……。」
こうして見ると偉い先生に叱られている小学生にしか見えない。
アハトくんはしょんぼりとした顔を私にむけて謝ってくる。
「ごめんね、リョーコちゃん……。」
「大丈夫です。通り魔が出るかもしれないっていうのは私も知っていましたから……。これで2回も助けられてしまいましたね。」
どちらもヴァンパイアさえいなければ発生しなかった事件ではある。でも、私一人で外出した時にも通り魔に襲われていた可能性はあったわけだし、命を助けてもらったことに変わりはない。
アハトくんの謝罪の後、ドナイトさんも重ねて謝ってくる。
「涼子君、本当に済まなかった。アハトにはよく言っておくから許してくれ。」
「もちろんです。……でもこれで少しだけ信用できた気がします。助けてくれてありがとうございました。」
「ホント? よかったよかった。」
アハトくんは私の信用という言葉に反応して嬉しげな声を上げる。
しかしそれはすぐにドナイトさんに遮られてしまった。
「全く良くない。元はといえばお前が原因なんだ。……アハトはこのまま帰れ。涼子君は私が送る。」
「わかったよ……。」
当然散歩は中断され、私は家までドナイトさんのエスコートを受けることとなった。