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バイト・オブ・ヴァンパイア  作者: イツロウ
ヴァンパイア・ヘルパー
1/7

出会い

 このページを開いてくださり、ありがとうございます。

 この作品はヴァンパイアというテーマで試しに書いたものです。

 途中、ナイフなどの刃物で体を切られる描写があります。

 未熟な文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。


  1

 

 私、松乃木涼子まつのぎりょうこはつい数時間前まではお金に困った貧乏大学生だった。

 親からの仕送りは家賃に消え、バイトで得た収入の3分の2が食費に、そして残りの3分の1は衣類に消えている。衣類は古着屋に行けば何とかなるのは分かっている。しかし、食費に関してはどうしようもなかった。

 私は別にレストランやら食堂やらで高いものを食べているわけではない。3食とも自炊をしている。ただ、値段を考えずに食材を購入してしまい、おまけに作る量も自然と多くなってしまうので無駄にお金がかかるのだ。

 一般的には自炊のほうが食費を抑えられると認識されているが、私の場合はその逆で、自炊のコストが外食のコストを遥かに上回っている。

 学校が近いからすぐに帰って料理できてしまうのも理由の一つかもしれない。

 あと、余分に作ってしまった料理は、大体いつもアパートの隣の部屋に住んでいる先輩や大家さん家族におすそわけしている。……こんな感じで捨てる事がないのも私が際限なく料理を作り続けている原因になっているのだと思う。

 大学に合格してからキャンパスに程近い場所に移り住み、ワンルームの部屋で生活を初めてはや6ヶ月……。

 祖父母に大体の家事は教わったので一人の生活には苦労していないが、やはりネックは食費だった。

 素直に学食で食事をしたり、安い弁当を買えばいいのはわかっている。

 でもそれだと私の舌が満足できないのだ。学食はともかく、弁当は妙に味が濃かったり、変に甘いおかずのオンパレードである。とてもじゃないが毎日これを食べろというのは耐えられない。

 食べるには困らないのだが、このままだと生活雑貨を買えずに苦しい思いをするのは明らかだ。……が、今は違っていた。

 3万円弱しかなかった全財産はたったの1時間で80万円までに膨らみ、今も尚増え続けている。

 お札がこんなに重量感があるものだとは知らなかった。

 まさに幸せの重さだ。

 もちろんまともな方法ではこんな短時間でお金を稼げるわけがない。

 そんな事ができるのは『賭博』以外にありえなかった。

「やるじゃん松乃木。……やっぱり来てよかっただろ?」

 懐に入れた札束を服の上から触っていると、背後から知り合いの女性が話しかけてきた。その女性は薄手のシャツに膝丈のデニムパンツを履いており、その服装はスラリとした体型とよくマッチしていた。

 彼女は多少つり目で性格がキツそうな顔をしているのだけれど、大人しめのブラウンの髪とポニーテールという髪型がそのキツさをいくらか低減していた。

 私は気さくに話しかけてきたその女性……赤嶺あかみね先輩に言葉を返す。

「はい、連れてきてくれて有難うございます。」

「でも、あの松乃木がこんなに儲けるとはなぁ。案外ギャンブラーの才能があるんじゃない?」

「あんまり嬉しくない才能ですけれど……背に腹は変えられませんからね。」

 現在私がいるのは、いわいる“違法賭博場”という場所だ。

 そんな場所ならば入るのも難しいと思っていたのだけれど、案外すんなり中に入れてしまった。

 そして、ここに私を連れてきてくれたのが今目の前にいる赤嶺先輩だ。

 赤嶺先輩は私が所属しているボランティアサークルの先輩だ。

 あまりサークルに顔を出さない彼女からここの話を聞いたときは半信半疑だった。……しかし、それを疑う余裕が無いほど私は生活費に困っていたのだ。

 年から年中遊んでいるとは聞いていたけれど、まさか赤嶺先輩がこんな場所にまで顔を出しているとは思ってもいなかった。

 もちろん、この賭博場の存在自体についても驚きを隠せなかった。

(こんな地方都市にこんな場所があるなんて……)

 むしろ地方都市の郊外だからこそ、警察などに見つからずに続けられているのかもしれない。住んでいる人もそんなに多くないし、ある程度ならば騒いでも問題ないのだろう。

 都市にいた頃には考えられないくらい街に人がいないのだ。

 ……言い忘れていたけれど、私が通っているのは都市部からそんなに離れていない地方の国立大学だ。

 所属サークルはボランティアサークル。地域の子供会や老人会と触れ合うのが主な活動内容だ。私は子供も老人も好きなので活動自体はとても楽しいし充実している。

 この賭博場は、そんな真人間な私が入っていい場所ではないのは確かだった。

 私は改めて違法賭博場の内部を観察してみる。

 廃れたビルの地下にあるここは駐車場を改装した場所らしく、結構広いスペースが広がっている。赤嶺先輩から違法賭博場と聞いたときはもっと狭い部屋でほそぼそとやっているものかと思っていたのに、日付が変わった今も大勢の人が騒いでいた。

 明るくライトアップされたこの場所にはスロットマシンやパチンコ台が沢山並んでいて、更にその奥にはカードゲーム用の簡素なテーブルが十数台並んでいる。

 私はつい先程までそのテーブルに座って、ポーカーというカードゲームをやっていた。

 80万円を稼げたのもこのポーカーのおかげだ。 

 しかし、私はポーカーというゲームの名前は聞いたことがあるけれど、ルール自体はあまり知らない。先輩が言うには、とにかく同じ数字やマークを揃えればいいらしいので、その指示通りにカードを交換していたわけだ。

 あと、ポーカーフェイスとかブラフとか駆け引きが重要とも言っていたけれど、その点は私は問題ない。

 いつもにこやかに笑っているので逆に手札を読みづらいらしいのだ。

 常に自信たっぷりに見えるので相手が勝負から降りやすいとも赤嶺先輩は言っていた。

 よく分からないけれど、私はこのゲームに向いているみたいだ。

 ぼんやりとしていると、近くのテーブルに空きが出た。

「ほら松乃木、もう一勝負してきなよ。アタシも向こうのテーブルで勝負してくるからさ。」

「じゃあ行ってきます。」 

「頑張れよー。」

 赤嶺先輩もそこそこ儲けているのか、嬉々として向こうのテーブルに行ってしまった。

 それを見て、私も開いたテーブルに座ってゲームに参加することにした。


  2


「――はい、ショウダウン。ほら、手札見せて。」

 テーブルについてから15分後、私は尚も勝ち続けていた。

「えーと、全部同じマークなんですけれど……。」

 テーブルの正面にいるディーラー役の人に言われて手札を見せると、同じテーブルに座っているおじさんたちからため息が漏れた。

「……フラッシュか。」

 そんな言葉を皮切りにしておじさんたちは自分たちの手札をテーブルの上に投げ捨てる。どうやら私の手札が一番強かったみたいだ。

 私がポーカーに強いことは驚きだったが、ここに来て驚いたことが他にもある。

 それは、ここにいる人たちが思っていた以上に礼儀正しいということだ。

 身なりも普通の人が多いし、中には高そうな腕時計をつけている人もいる。

 賭博と聞くとお金に困った人たちがやるものかと思っていた。でもこの人達からはそんな雰囲気は感じられないし、純粋にカードゲームを楽しんでいるのかもしれない。

 おじさんたちの顔を見ていると、ディーラー役の人が私の所にみんなが出した現金を集めてくれた。

 賭博場なのでカラフルなコインを使うものと思っていたけれど、ここでは全部現金だ。

 先輩曰く、金額を数えにくいけれど現金を使えば自制心が働くので、深みにはまりたくない人にはこっちのほうがいいらしい。……と言うより、コインを用意する手間も暇もないのだろう。

 私もよく分からないコインよりも現金のほうが良かった。

 増えた札束を両手で挟んで感触を噛み締めていると、左隣のおじさんが話しかけてきた。

「強いなお嬢ちゃん。それだけ強い手札持ってるならもっとレイズすりゃ良かったのに。」

「レイズ……ってなんですか?」

 私が素直に質問すると、おじさんは額に手を当てて大袈裟に首を左右に振った。

「レイズっていうのは賭金を上乗せするってことだ。そんな事も知らずにやってたのか……。」

 そんなおじさんの反応を見て、右隣のおじさんも会話に参加してくる。

「いやいや、コールし続けるのも作戦のうちってことだろう。ただの素人の女にしか見えないが、実は素人を装った玄人なんじゃないか?」

「羊の皮被った狼か……」

 両隣のおじさんたちがそんな事を話している間、他の席に座っていた人達はテーブルから離れていってしまう。

 すぐにおじさんたちも席から立ち上がってしまった。

「負けが込んできたし、そろそろ降りようかな。」

「君も勝っているうちに止めたほうがいい。初めてなら上出来だと思うがね。」

 そう言うと両隣のおじさんはテーブルから離れていってしまった。

 私も同じようにそこから離れ、早速手元にある万札の枚数を数える。

「……1、2、3……」

 ここまで束になっていると折り曲げて数えるのもかなり面倒くさい。

 20枚を過ぎた辺りから大雑把なやり方で数え、それからしばらくしてようやく総額がわかった。その数字は自然と私の顔をにやけさせる。

 さっきの勝負で41万円勝ち、これで合計は121万円になった。

 これだけあればこの先2年間は食費に困ることはないだろう。

(来てよかった……。)

 このまま同じように勝ち続ければ生活費に悩む必要もなくなる。

 ……しかし、運任せの勝負を続けるのも考えものだ。

 もう少し儲けたい気持ちもあるけれど、ここは素直におじさんの忠告を聞いておくことにしよう。

 そう思った矢先、目の前にげんなりとした表情を浮かべた赤嶺先輩が現れた。

「……すまん松乃木、ちょっといいか?」

 勝負の結果が悪かったのだろう。

 誰が見ても負けたとわかるような辛気臭い表情だった。

「どうしたんですか先輩?」

 一応言葉に応えると、赤嶺先輩はいきなり両手のひらを合わせて懇願してきた。

「頼む松乃木、あそこで座ってるやつと勝負してくれないか。あいつに勝てば、勝った額の倍出してくれるみたいなんだ。」

 赤嶺先輩が視線を向けた先、壁際のベンチには一人の男性が座っていた。

 ここからじゃよく見えないけれど、周囲に人の影はなく、一人だけで何か飲んでいるみたいだ。

 その男を眺めつつ、私は赤嶺先輩の言葉を吟味する。

「倍ですか……。」

 だが、深く考えるまでもなく怪し過ぎる条件だった。

「ちょっと危なくないですか。大負けしたら借金になるかもしれないんですよね?」

「勝てばいいんだって。アタシのなけなしの11万預けるから、増やしてきてくれ……頼む!!」

 私の言葉を無視して赤嶺先輩は11枚の諭吉を私の手の中にねじ込む。

 勝てないから私のビギナーズラックに賭けるつもりなのだろう。まさに賭博場に相応しい考え方だ。

 あまりにも馬鹿げたお願いだったが、赤嶺先輩の考えもなんとなく理解できる。

 私は今波に乗ってる感じがするし、おじさんたちも私のことを褒めてくれていた。

 先輩の視線の先にいるあの男の人に勝てば食費どころか学費だって全部払えるし、奨学金も必要なくなる。

 悩んでいる間も赤嶺先輩はしつこく頭を下げ続ける。

「頼むよ松乃木ぃ。十分儲けてるんだろ? 少し負けても問題ないって。お願い、アタシを助けると思ってさ。……な?」

 先輩にここまで頼まれて断る事はできなかった。

「……わかりました。ここに連れてきてくれたのは先輩ですし……やります。」

「おお、やってくれるか松乃木!! 恩に着るわー。」

 まだ勝ったわけでもないのにひどい喜びようだ。

 そんな先輩の期待を背負いつつ、私は壁際のベンチまで移動していく。

 奥に進むと、ベンチにはやつれた風貌の男が座っていた。

 男は酒を飲んでいるのか、周囲にはアルコール臭が漂っている。

 その臭いがいよいよきつくなる距離まで近付くと、男は顔を上げて私に目を向けた。

「これはまた、……可愛らしい嬢ちゃんが来たもんだ。」

 男は耳触りの良い低い声でそう言うと酒瓶をベンチに置き、私を下から上へ舐めるように観察してきた。

 男の視線は私のレザーのショートブーツから始まり、キュロットスカート、そして薄手のブラウスへと移っていく。そして最後には私の顔を見てきた。

 私は歳の割に童顔なのであまり見つめられたくはない。

「ふぅん……。」

 値踏みしているような視線が気に食わず、私も負けじと男を観察する。

 日本語がうまいけれど外国の人だろうか、長めの銀色の髪は昔の浪人武士のように後頭部でまとめられていて、もみあげの部分だけが肩口までだらりと伸びていた。

 顔色は悪いと言うよりも白粉を塗ったみたいに白い。頬は痩けていて不健康そうだったが不清潔というわけでもないみたいだ。

 また、瞳の色は見たこともないような深紅色をしていた。

 その目から逃れるように視線を下に向けると、服装が目に入ってきた。男は白のカットシャツにジーンズというラフな格好をしていた。

 また身長も高いみたいで、座っていてもわかるくらい四肢が長かった。

「……。」

 瞳の色もそうだが、こういうタイプの人はあまり見たことがない。

 なぜか私は彼のことが別の生き物のように思えてしまい、しばらく見つめてしまう。

 ……そのまま何も言わずに立っていると、またしても聞き心地の良いバリトンボイスが男の口から発せられた。

「おい、そんなに見つめるなよ。もしかしてオレに惚れたか?」

「ち、違います。外国の人は珍しいので……」

 私は慌てて否定し、ボロを出す前に本題に入ることにした。

「私と勝負してください。あなたに勝てばたくさんお金がもらえると聞きました。」

 私が勝負のことを口にした途端、男の放つ空気に緊張感が加わった。

「最低でも50万」

「はい?」

 彼はだるそうにベンチから立ち上がりながら言葉を続ける。

「賭金の最低ラインは50万円って言ったんだ。ガキの遊びに付き合ってる暇はねーの。」

 そう言って男は私から逃げるようにテーブルの並ぶ場所に向けて歩いて行く。

 どうやら私がお金を持っていると思えなかったらしい。

「あ、待ってください!!」

 私はすれ違いざま、男の腕を掴んで引き止める。

 そして、30センチ程上にある男の顔目掛けて札束を差し出した。

「お金ならあります。」

 はっきりとした口調で言うと、彼は札束を見てその場で立ち止まった。

「……先にそれを言えっての。」

 そして、早速私にルールを説明し始める。

「勝負はドローポーカーでやらせてもらう。今となっちゃ古いルールだが別に構わねーだろ。……もちろんノーリミットだ。アンティが50万だから、オレに勝てば最低でも200万、差し引きで150万は儲かるってわけだ。」

「じゃあもし私が100万を賭けて、そちらも同じ額を賭けたら……」

「差し引きで300万は儲かるな。……なんだ、やる気じゃねーか。」

 300万と聞いて私は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 だが、その後すぐに負けたらその額を払わなければならないことに思い至り、一気に血の気が引いた。

 最低額ですら負ければ私は無一文どころか借金を背負うことになる。

 そんな私の考えを読んだのか、男は半笑いで妥協案を提示してきた。

「そんな顔すんなよ。安心しろ、初心者の嬢ちゃんにはハンデをやる。負けても失うのは今持ってる金だけだ。借金までさせるつもりはねーからな。」

「そうですか……。」

 私にハンデをくれるくらい、彼には勝負に勝つ自信があるみたいだ。

 ポーカーは配られたカードによって強さが決まるのに、なぜここまで自信があるのだろうか……。

 それを考えていると、男は会釈するように腰を折り、手のひらを上にむけてテーブル方面に伸ばした。

「さあどうぞ。テーブルはそっちが決めていいぜ。もちろんディーラー役もな。」

「それじゃ、あそこのテーブルにします。……あ、赤嶺先輩、こっちに来てください。」

 私はその言葉通り一番近いテーブルを選び、赤嶺先輩にディーラー役を頼んだ。

 それらが決まると男はおもむろにテーブルに着く。

 私も遅れて向かいの席に座ると、男はこちらに握手の手を差し伸べてきた。

「よろしく、えーと……?」 

「松乃木です。松乃木涼子です。」

 手を差し出しながら名を告げると、男はそれを軽く握ってきた。

「……涼子か。可愛い名前だな。」

 握った手を軽く上下に動かしつつ、男は私にお世辞を言う。

 その後、テーブルに自分の札束を置きながら自己紹介を返してきた。

「オレはクローデルだ。よろしく頼むな。」

「こちらこそお手柔らかにお願いします……。」

 私もクローデルと名乗った男の真似をして、100枚近い札束をテーブルの上に置く。

 すると、それを合図にして赤嶺先輩がカードをシャッフルし始めた。

「じゃ、始めていい?」

 その問いかけに私とクローデルさんが頷くと、赤嶺先輩はカードを交互に配り出した。

 合計で5枚のカードが手元に来ると、私はなるべく数字やマークが揃ってくれていることを願いつつ手札を見る。

「……。」

 私の手札はクイーンが2枚に5が2枚そしてエースが1枚だった。

 既に2つもペアができている。なかなかいい手札だ。

 向かいに座っているクローデルさんは手札が芳しくないのか、苦い顔をしていた。

 クローデルさんは手札を数秒ほど見た後、それらを裏にしてテーブルの上に伏せる。そして重苦しい口調で宣言した。

「……チェックだ。」

「コールです。」

 私も間髪入れずに宣言した。……というか、これ以外何を言えばいいのかしらない。

 続いてカード交換の時間になり、私は迷わずペアではないエースを捨てる。

「はい、一枚交換だな。」

 捨てたエースの代わりに赤嶺がくれたのはハートのクイーンだった。

(クイーンが3枚も……)

 手札にあるのはクイーンが3枚と5が2枚となった。同じカードが3枚も揃っている上、残りの2枚もペアなのだし、この手札は結構強いはずだ。

 私の後にクローデルさんも手札を交換していたが、5枚全部変えた所をみると、あまりいい手札じゃないみたいだ。

 ここは思い切って攻めてみよう。

「これ、全部行きます。」

 私は自信をもって札束を全部テーブルに載せる。

 するとクローデルさんが感心したふうにコメントをくれた。

「オールインか……度胸あるなぁ。でも先にオレがどうするか決めないといけないから少し待っててくれねーか。」

「あ、すみません……。」

 どうやら順番を間違えてしまったみたいだ。

 しかし、クローデルさんはそれに文句を言う事はなかった。

「初心者だから仕方ねーって。……オレはチェックだ。」

 チェックと言うことは賭金を増やさないということだ。

 やっぱり手札が悪いみたいだ……。

(この勝負、私の勝ちですね。)

 勝利を確信し、私は遠慮なく先ほどと同じセリフを宣言する。

「オールインです。」

「コール。」

「……え?」

 クローデルさんは降参することなくテーブルに私と同じ額を出してきた。

 手札が悪いのに、なんで私と同じだけの賭金をテーブルの上に置くのだろうか。

(あれ、まさかさっきのは演技……?)

 何かがおかしいことを悟った頃にはもう遅かった。

「ショウダウン……。松乃木。」

「あ、はい。」

 赤嶺先輩に言われ、私は手札を表に向ける。

「フルハウスじゃないか!! しかもクイーンが3枚!!」

 赤嶺先輩はすごく嬉しげな表情をみせて叫んでいた。

 やはり私の手札は強い役で間違いないみたいだ。

「へー、フルハウスか。……惜しかったな。」

 続いてクローデルさんが出したのは、4枚のキングだった。

「……え? フォーカード!? 嘘でしょ……。」

 クローデルさんが出した手札のせいで赤嶺先輩の表情は一気に悲哀の表情に変化する。

 同じカードが4枚も出ることなんてあるのだろうか。確率的にありえない。

 でも、テーブルの上にあるクローデルさんの手札は間違いなくフォーカードだった。

「はい残念。それじゃ、この金は有り難く貰っとくぜ。」

 クローデルさんはテーブルのお金を乱暴に集めると、それを束ねて輪ゴムで留め、後ろポケットにねじ込む。

 私はそれをただ無言で見つめていた。

「……。」

 あっという間に121万円を失ったわけだが、意外と喪失感はない。もともと泡銭だったので、金を得たという実感も失ったという実感もあまり無いみたいだ。

 私はすぐに赤嶺先輩に謝る。

「すみません先輩、11万円も預っていたのに……」

「気にするなよ松乃木。と言うか、謝るべきはアタシの方な気がする……。」

 赤嶺先輩は私以上に落ち込んでいるようだった。

 そんな言葉を交わしていると、クローデルさんが会話に混ざってきた。

「なんだ涼子、先輩から金を借りてたのか。」

 当たり前のように“涼子”と呼び捨てされている事を若干不思議に思いつつ、私は返事をする。

「え、はい、そうですけれど。」

 正直に答えると、無一文になってしまった私に対してクローデルさんがあることを提案してきた。

「そうだな……そのブラウス、俺が5万で買ってやろうか?」

「!?」

 驚く間もなくクローデルさんは言葉を続ける。

「スカートは3万、ブーツも3万……これで11万になるな。これでそこの先輩さんに借りた金は返せるんじゃねーか?」

 どうやらこの人は私から奪ったお金と私自身を使って遊ぶつもりらしい。

 普通ならこんな提案受け入れるはずがない。だが、この提案を受け入れる以外に11万円もお金を作る方法はないのも事実だった。

 どうしようか悩んでいると、クローデルさんが更に別の案も提示してきた。 

「服が嫌なら下着のセットでもいいぜ。上下合わせて20万で買ってやろう。……もちろん、この場で脱いでもらうがな。」

 あまつさえクローデルさんは私にストリップショーをやれと要求してきた。

「……。」

 理由はどうであれお金を預かった以上、せめて預かった額だけでも返しておかねばならない。

 私は意を決するとブラウスのボタンを外して脱ぎ、クローデルさんに差し出す。

 少し冷えた空気が丸出しになった肩を撫でる……。

 まだ秋口なのでそこまで寒くはないが、このまま長い時間下着姿でいると風邪を引くかもしれない。

「ちょっと松乃木、何もそこまでしなくても……」

 そう言いつつ赤嶺先輩は私が差し出したブラウスを横から取ろうとした。だが、先にクローデルさんがブラウスをひょいと取り上げてしまう。

 クローデルさんは受け取ったブラウスを指に引っ掛けてくるくると回し、私に言う。

「フフ、本当に肝の座ったお嬢さんだ。」

 ブラウスを失った私は上半身キャミソール姿になっていた。

 緊張のせいか、外気に触れている肩には少し汗がにじみ出ていた。

 ようやくここで異変を感じ取ったのか、周囲にいたおじさんたちが騒ぎ始める。

「ストリップかー?」

「いいぞー嬢ちゃん!! もっと脱げー!!」

 みんなはそんな言葉を私に送り、いやらしい視線を浴びせてくる。

 その視線の中で私は椅子に腰を下ろし、ブラウスに続けてブーツも脱ぐ。

 赤嶺先輩はそのブーツを咄嗟に取ってくれたが、それを両手で持ってオロオロしているだけだった。

 コンクリートの床のひんやりとした感触を足の裏に感じつつ、私はそのままキュロットスカートに手をかける。

(くぅぅ……)

 恥ずかしい。

 でも、こうする以外に道はないのだ。

「マジか!? それも脱ぐのか!?」

「いやー、今日来てよかった。こんな若い子のストリップが見られる機会なんてそうそうないぞ。」

「だよな。……おい、おひねりとか投げたほうがいいんじゃないか?」

 周囲から熱い視線を受けつつ、私はスカートのベルトを外す。

 だが、そこでいきなりクローデルさんが爆笑し始めた。

「フフ、アハハハッ!! ……冗談だ冗談。でも、いいもの見せてもらったぜ。」

 クローデルさんは笑いを堪えながら先ほど渡したブラウスを投げて返してくれた。

 私はスカートから手を離し、ブラウスを受け取ってすぐに羽織る。

 それを終わりの合図だと感じ取ったのか、周囲に集まっていた人達は残念そうなセリフを口にしながら散らばっていった。

(はぁ……。)

 クローデルさんの冗談を本気に受け取ってしまった自分が情けない。

 だが、冗談にしてはきつい辱めだった……。

 ブラウスのボタンを留めていると、クローデルさんは私に近寄ってきた。

「見物料だ。元金くらいは返してやる……ほらよ。」

 ポケットから札束を取り出すと、クローデルさんはそこから適当に札を抜き、その薄い札束を手で持って私の目の前でひらひらさせる。

「……。」

 私は一旦ブラウスから手を離し、クローデルさんが差し出した札束を取ろうとする。……すると、急にその手をクローデルさんに掴まれ、抱き寄せられてしまった。

「きゃっ!?」

 その結果、私はクローデルさんの腕の内側に抱き込まれてしまう。

 そして抵抗する暇もなく首筋をねっとりと舐められてしまった。

「~~ッ!!」

 首に生暖かくて柔らかい物の感触を得、私は全身に鳥肌が立つのが分かった。

「また来いよ、フフ……。」

 それで満足したのか、クローデルさんは私の手に札束を持たせると、あっという間にその場から離れていった。

 男の人に、しかも初対面の人にあんな事をされるなんて……。

「くそぅ……」

 クローデルさんの有り得ないほど失礼な行動に怒りを覚えつつも、私は急なハプニングに胸の鼓動を抑えることができなかった。


  3


「すみませんでした、先輩……。」

 ストリップ騒ぎの後、私は先輩に連れられて入口近くにある休憩所に来ていた。

 クローデルさんは11万円よりも余計にお金を渡してくれたらしく、赤嶺先輩に預かったお金を返しても手元には6万円ほどの現金が残っていた。

 ここに来た時には3万円持っていたので、それが2倍に増えたと考えればいい。

 2時間弱で3万円、時給にして1万5千円だ。かなり割のいいバイトをしたと思えば幸せな気分でいられるかもしれない。

 なるべくポジティブに考えていると、赤嶺先輩も私に謝罪の言葉を送ってきた。

「こんな場所に誘ったアタシも悪かったよ。でも、松乃木が強いのはホントなんだし、適度に稼ぐにはいい場所だと思わない?」

「もう懲り懲りですよ。これ以上の賭け事はごめんです。」

「そっか、仕方ないわね。」

 やはり人間は地道に働いた方がいい。

 その思いを噛み締めていると、赤嶺先輩は私に背を向けて歩き出す。

「じゃあ私はあと2,3勝負やってくるわ。買ったら奢ってあげるわよ?」

「期待しないで待ってます。」

 11万円を手にした赤嶺先輩は意気揚々と賭博場へ戻っていった。

 本当に懲りない人だ。

 そんな愚かな先輩の背中を見送っていると、入れ替わるようにしてクローデルさんが隣に座ってきた。

「……。」

 これ以上この銀髪のセクハラ外人と関わりたくなかった私は咄嗟にベンチから立ち上がり、距離を取る。

 クローデルさんはそんな私の行動を気にするでもなく何かをベンチの上に置いた。

「これ、忘れ物だぞ。」

 見ると、そこには先ほど私が脱いだブーツが鎮座していた。

 色々あったせいで先輩に預けたままだったのをすっかり忘れていた。

 私は特に何も言わずにそれを取ろうとしたのだが、その際にまたしてもクローデルさんが私に接近してきた。

 また何かしてくるのかと身構えたが、クローデルさんは単に囁いてきた。

「……さっきの負け、全部チャラにしてやろうか。」

「え!? ……いいんですか?」

 その言葉に反応してクローデルさんを見る。

 その手には丸められた札束があった。

 何だかんだ言ってさっきもストリップを途中で取り止めてくれたし、案外優しい人なのかもしれない。

 そう思っていると、とんでもないセリフがクローデルさんの口から発せられた。

「もちろんいいぜ。……体で払ってもらえばチャラにしてやるよ。どうだ?」

 そう言ってクローデルさんは私の腰辺りを触ってくる。……どうやら真の目的はこっちだったみたいだ。

 私は返してもらったブーツの底でその手を叩き、再びクローデルさんから距離を取る。

「ふ、ふざけないでください。もう絶対こんな所には来ませんから!!」

 もう我慢ならない。もう顔も見たくない。

 私は逃げるようにして休憩所から出入り口に向けて駆けていく。

「帰り、気をつけるんだな。」

「言われなくても!!」

 背後にいるであろうクローデルさんに言葉を返すと、私は先輩を待たずして違法賭博場を後にした。

 

  4


「こっちで良かったっけ……」

 賭博場から出たはいいものの、帰り道が全くわからない。

 こっちには大学に入学してから来たばかりだし、土地勘がまるでない。その上、夜も深いので周囲の景色も違って見える。まるで別世界に迷い込んだかのようだ。

 近くには山があるせいか、虫の鳴き声やら何かの生き物の鳴き声やらが暗い空間に響いていた。

(なんだか不気味ですね……。)

 私は一応都会っ子なので、こういう音からは恐怖以外感じられない。

 こんな雰囲気だと幽霊とか妖怪とかが出てきても不思議ではない。

「いやいや、それはあり得ませんって……。」

 私は恐怖のあまり自分の思考に対してツッコミを入れてしまう。

 ――私は幽霊は信じない派だ。

 あと、この世には怪人とか怪物とか妖怪とかお化けとか、そんな類の生物は絶対に存在しない。存在してたまるものか。

 私は気を強く持って一軒家がちらほら見られる開けた道を歩いていく。

 すると、前方に妖怪でも幽霊でもない、普通の人間の男性を見つけた。

 それは若い男性で、短パンに手を突っ込みサンダルを引きずって歩いていた。すこし派手な恰好をしているが、派手なだけで危なそうな人には見えない。

 独りでいる恐怖も相まってか、私は特に警戒心を持たないままその若い男性に道を訪ねてしまった。

「あのすみません、道をお聞きしたいんですけれど……」

 後ろから声をかけると、すぐに短パンの男は振り返った。

 男は髪を金髪に染めていて、目付きも鋭かった。

 彼はその目で私を見ていたのだが、少し経つと視線を逸らし、大きなピアスが付いている唇を動かして言葉を返してくれた。

「何、迷子? どこに行きたいの。」

「最寄りの駅を教えて欲しいんですが……」

 簡潔に伝えると、短パンの男は首を縦に振って快諾してくれた。

「おっけーおっけー、近くだから連れてってやるよ。」

「ほんとですか? 有難うございます。」

「いいっていいって。」

 こんな夜中でも優しい人はいるものだ。多分近所に住んでて、ちょっと散歩でもしていたのだろう。手にはコンビニの袋を持っているし、夜食でも買いに出かけたのかもしれない。

 その後しばらく男に案内されるまま歩いて行くと、だんだんと民家の数が多くなってきた。そろそろ住宅街も近いし、駅も近くにあるはずだ。

 これでやっと家に帰れると安堵していると、なぜか短パンの男は急に道をそれて道路工事現場に入っていく。

 なぜそっちに行くのだろうか。そもそも勝手に工事現場に入っていいのだろうか。

 立入禁止の看板の前でオロオロしていると、短パンの男は問題はないという風な口調で呼びかけてきた。

「へーきへーき、こっちの裏手にすぐ駅があるから。」

「あ、そうなんですか。」

 どうやらこちらの道は近道らしい。

 私は男に続いて黄色と黒のストライプのバリケードを跨ぎ、中に入った。

 今は夜中なので工事現場で動いているものは何もなく、重機や発電機が無造作に置かれていた。

 更に奥に進むと、不意に短パンの男が立ち止まる。

 先を見ると完全に行き止まりだった。

「これ、行き止まりですよね……」

 目の前にはコンクリートの壁が立ちはだかっており、袋小路になっている。

 どこかに抜け道があるのだろうかと周囲を見渡していると、急に背後から男が2人現れた。

 その2人は短パンの男の知り合いらしく、気さくに話しかけてくる。

「やっと酒買ってきたか……って、そいつ誰?」

「もしかして、さっき言ってたオンナ?」

 男たちは短パンの男と同じようなチャラチャラした格好をしていた。

 一人は丸刈りの太った男で、もう一人は背は低いが筋肉質の男だった。

 その二人に話しかけられ、短パンの男は笑いながら答える。

「違う違う、全然知らねー女。……こいついきなり俺に話しかけてきてよ、馬鹿みてーに付いてきてやがんの。」

「え……。駅は……?」 

「まだそんなこと言ってんの? 大体こんな時間に電車が動いてるわけねえだろ。」

「……。」

 不穏な空気を感じた私はその場から逃げようと足に力を入れる。……が、踵を返した途端に背の低い男が私の前に出てきた。

「俺らみたいなのについて来るなんて馬鹿だなぁ。……って、よく見りゃ結構かわいいじゃん。いいもん連れてきたな。」

 どうやら私は騙されていたみたいだ。

 背の低い男は正面から私の肩を掴み、その両側を撫でるように触ってきた。

 急に体に触れられ、私は思わず大声を出してしまう。

「やめてください!!」

 そして、その手から逃れるように身を捩ると、男たちの態度が豹変した。

「チッ……とりあえず金出せ。」

 短パンの男はポケットから折りたたみナイフを取り出し、それを私に突きつけながら命令してきた。

(カツアゲだったんですか……。)

 よくよく考えればノコノコ付いて行った私にも責任はある。

 ナイフなんかで刺されたら冗談では済まされないので、私は抵抗することなく財布を取り出し、それを手渡した。

「お、6万も入ってるじゃん。ラッキーラッキー。」

 短パンの男はそこからお金を抜いて、財布を遠くに投げ捨てる。

 これで本当に全財産を失ってしまった。

 でも、怪我をするよりはマシだと前向きに考えよう。

「じゃあ、私はこれで……」

 電車賃もないし、違法賭博場に戻って先輩と一緒に帰ることにしよう。

 そう決めてその場から離れようとしたが、男たちは依然として私を囲んだまま動こうとしなかった。

「何言ってんの、帰すわけねーじゃん。」

「ついてきたお前が悪んだぜ? ……さっさとヤろうぜ。」

「静かにしてろよ。」

 3人は口々にそう言うと、私の髪や腕を強引に掴んで工事現場の奥へと連れて行く。

「いやっ……やめてください。」

 男一人ですら敵わないのに3人の力に私が抗えるわけがない。

 連れて行かれる途中、男たちは私の首や腕、あまつさえおしりまで触っていた。その触り方はクローデルさんの比ではないほど乱暴であり、このままだと本当にやばいことになるのは間違いなかった。

 助けを呼ぼうにも近くに家はないし、大声を出したらこの人達に何をされるか分かったものではない。

(どうしよう……)

 抵抗もできないまま色々考えていると、とうとう建物と建物の隙間の狭い場所に到着してしまった。ここは周りから全く見えないし、隙をみて逃げるのも難しそうだ。

 これから私はあの場所で何をされるのだろうか……。

「あ……ぅ……」

 もう駄目だ。

 無駄な抵抗を止めて諦めかけていると、狭い場所に入る手前で男たちの足が止まった。

(……?)

 何事かと思い視線を前に向けると、前方の暗がりに人影が見えた。

 それは背の高い銀髪の男……クローデルさんだった。

「クローデルさん……?」

 どうしてこんな場所にいるのだろうか。

 クローデルさんは紅い瞳を光らせながらゆっくりと接近してくる。そして、男たちと2メートルほどの距離で止まると、呑気な口調で私に話しかけてきた。

「だから言ったろ? “気をつけて帰れ”って。そんなカッコで夜道歩いてりゃ誘ってると思われても仕方ねーぞ。……というかピンチの時くらいもっと叫べよ。そうじゃないとオレのテンションが上がんねーんだよ。」

 相変わらずクローデルさんは余裕の笑みを浮べている。

 先ほどまでなら不快に感じたその笑みも、こんな状況にある私には安心感を得られる物であった。

「なんだオッサン、邪魔だから消えろよ。」

 私にとっては得体の知れない怪しい男の人なのだが、何も知らないこの3人に取ってはただのやせ細ったのっぽのおじさんだ。

 短パンの男は再びナイフを取り出し、その切っ先をクローデルさんに向けて構える。

 しかしクローデルさんは短パンの男とまともに取り合わず、私だけに話し続ける。

「せっかくだし助けてやるよ。……その代わり、オレの言うことを何でも聞いてもらおうか。」

「それって、例えばなんですか?」

「わかるだろう? “何でも”だよ。」

 ここでクローデルさんの視線が私の顔から身体に移る。

 そのねっとりとした視線の動きだけで、私は何をやらされるのかを悟った。

 拒絶したいのも山々だが、こんな暗い場所で不良たちに強引に襲われるくらいなら、少しでもまともな人に身体を許したほうがマシだ。

 私は恥を忍んでクローデルさんに懇願する。

「わ、分かりました。何でもしますから助けてください……。」

「フフ……。」

 私の言葉を受け取るとクローデルさんは2メートルあった距離を縮めるべく再び歩き出し、こちら側に近付いてきた。

「殺されてーのか? ヒョロいおっさんよォ。」

「安心しろ、殺したりはしねーから。」

 その挑発じみた言葉は男たちに送ったのか、それとも私に向けて言ったのか……。

 私には後者のように思えてならなかった。

「ナメてんじゃねーよ!!」

 いよいよクローデルさんが目と鼻の先の距離まで接近してくると、短パンの男はナイフを振り上げてクローデルさんに襲いかかる。

 だが、クローデルさんは瞬時にそのナイフを避けて男の背後に回り込み、後頭部をがしりと掴んだ。

「目ェ瞑っとけ。」

「……え?」

 短パンの男の耳元でそう警告した後、クローデルさんは有無をいわさずその頭を地面に叩き付けた。

 男の顔面は1メートル半ほどの高さから一気にアスファルトの地面まで強制的に急降下させられ、地面に到達すると“ごつっ”という鈍い音が周囲に響いた。

 これだけでも男を黙らせるのには十分だったのに、クローデルさんの攻撃はそれだけで終わらない。……あろうことかアスファルトの細かいでこぼこに遠慮無く顔面を擦りつけたのだ。

 今度は“がりがり”という嫌な音が響く。

 多分歯や骨が地面と接触しているのだろう。硬いもの同士が擦れる音に混じって、何かが折れるような音も聞こえてきた。

「こんなもんか。」

 クローデルさんはアスファルト上で50センチほどの距離を3往復させると、ようやく短パン男の頭から手を離す。

 擦られた場所には顔の幅の赤い血のラインが引かれており、そこには男が唇につけていたピアスも転がっていた。

 クローデルさんが動き出してから私がピアスを発見するまで5秒に満たない。

 それほどあっという間の出来事だった。

「もう終わりかー。根性見せてみろよー。」

 さらにクローデルさんは地面に倒れている男の頭を踏みつける。すると、何か硬いものが折れるような割れるような嫌な音が耳に届いてきた。

「あーあ、こりゃ暫くまともに物は食えねーだろうな。」

 清々しいほどの笑顔を保ったままクローデルさんは呟く。

 そして、残りの2人……太った男と背の低い男に視線を向けた。

「ひっ……」

 あっという間に動かなくなった短パンの男を容赦なく踏みつけたクローデルさんに笑顔で睨まれ、2人は一目散に逃げ出す。

 これだけでもう十分だったのに、クローデルさんは逃げていく2人を追いかける。

 そして数秒後には背の低い男の顔面を電柱に擦り付け、太った男の顔面も重機のキャタピラに押し付けて、木材にカンナをかけるような動作で擦りおろした。

 いとも容易く不良たちを撃退したクローデルさんは、動かなくなった3人の懐から財布や札束を抜き取ると、私に渡してくれた。

「あの、ありがとうございます。」

 私はお礼を言ってそれらを受け取る。

 そこから取られた金額だけ手に入れると、クローデルさんは一度咳払いして私に要求してきた。

「じゃあ、早速俺の部屋に来てもらおうか。」

「……。」

 今度ばかりは冗談でも何でもないみたいだ。

 私が黙ったまま頷くと、クローデルさんは工事現場から離れるべく歩き出す。

 約束したことを簡単に破るわけにも行かず、私はクローデルさんを追いかけ、その隣を少し離れて歩く。

 クローデルさんはそんな私をちらりと見て呟いていた。

「さて、まずは何をやらせるか……。」

 その言葉から私はいろんな事を想像してしまう。

 ある程度のことは映像で見たり友達から聞いたりしてるけれど、実際には何をどうすればいいかよく分からない。

 色々と考えながら住宅街を歩いて行くと、やがて空き地の隣に建っているアパートに到着した。徒歩で5分か10分ほど……意外と近い場所に住んでいたみたいだ。

 その2階建てのアパートはお世辞にも綺麗とはいえず、ボロアパートという言葉がよく似合う古いアパートだった。

 同じくボロボロに錆びた外階段を使って2階に上がると、クローデルさんは奥の部屋まで移動する。そこで鍵を使ってドアを開けると、先に私を部屋の中に案内してくれた。

(わ、暗いですね……。)

 部屋の中は暗く、全く何も見えない。

 閉め切っているのか、月明かりや星明りさえ入ってこない、正真正銘の暗闇だった。

 クローデルさんはそんな暗闇を物ともしないで部屋の中に入り、玄関で立ち止まっていた私の背中を押した。

「ほら、さっさと中に入れ。」

「は、はい。」

 そのまま部屋の奥まで押すと、クローデルさんは私の背中から手を離した。

 そして、すぐに近くから何かを探すガサゴソという音が聞こえてきた。

「とりあえずこれを持たせりゃいいか……」

(持たせる? 私に……?)

 一体何を使うつもりなのだろうか。

 体をこわばらせて暗闇の中で身構えていると、クローデルさんはいきなり私の手に硬いものをねじ込んできた。

「え、ちょっと……そんな、いきなり……」

「いいから持てよ。」

 強引に渡されたのは金属のように硬くて円い物体だった。……が、これを何に使えばいいのか私には全く分からない。

 そのせいで私はつい事実を暴露してしまう。

「あの、すみません。私こういうの初めてなので……リードしてもらわないと……。」

「何いってんだ? リードしたら意味ないだろーが。と言うか、誰だって一回くらいやったことあるだろ。」

「そういう経験はないんです。すみません……。」

 暗闇でなければクローデルさんに私の真っ赤な顔を見られていたことだろう。

 円い物体を握ったまま動かずにいると、クローデルさんは問答無用で私の背中を押し始める。

 ベッドにでも向かうのだろうか。

「まだ心の準備が……」

 いよいよ“何でも”言うことを聞く時が来たらしい。

 しかし、私としてはもうちょっと段階を踏んで欲しいというか、ワンクッションおいて欲しい。こんなに急だとあんまりすぎる。

 クローデルさんはそんな私の感情を無視してずんずん進んでいく。

「準備もクソもねーぞ。小学生でもできるんだから涼子がやれないわけ無いだろ。」

「しょ、小学生がですか!?」

「あー、いちいちうっせーな。」

 私が驚きの声を上げると、クローデルさんはとうとう私の背中を強く押した。

 このまま押し倒されるのかと思ったのだが、私が押し出された先は部屋の外だった。

「……へ?」

 月明かりによって視界を得た私は、状況が把握できずに間抜けな声を出してしまう。

 クローデルさんは玄関で呆気にとられている私に指示を出す。

「さっさとコンビニ行ってパン買ってこい。お使いくらいでグダグダ言うんじゃねーよ……まったく。」

 クローデルさんはそう言うとドアを閉め、私を部屋の外に追い出した。

 そこで初めて私は先ほどクローデルさんから渡された硬い物体を見ることができた。

 それを見て、私は激しく勘違いしていた事に気が付く。

(あぁ、そういうことでしたか……。)

 私の手にあったのは日本政府が発行している高額面硬貨……500円玉だった。 


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