Shall we dive?
遅れてすいません。
これから少しずつ物語りが進んで行きます。
これからも頑張るので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
視界の外に焦点を合わせるように軽く意識をそらせると、ポップアップ音とともに落ち着きのきいた声がメッセージを告げる。
『ご退出いたしますか?』
彼はそれに声に出すでもなく、ああ、と同意した。いつもの場所を思い浮かべながら。
何時もの場所。
白い白い砂浜に1つぽつんと立っている翼の折れた女神像を。
深く瞬きをすればそこには既に彼はいなかった。
Low premie
彼が目を開けるとそこは無駄にリアルに埃の舞う大講義室ではなく、まるで天をつくような崖に囲まれた小さな浜辺だった。
眩しいほどに白い砂。飲み込まれそうになるほど蒼いのに、その際がわからないほど透明な海。
二十畳ほどの外界から隔離されたこの小さな世界に、それは、いや、彼女はまるで何かを祈るかのように片膝をついていた。
もう何十年、いや下手をしたら何百年とここにあったのだろう、風雨にさらされ大きく広げられていただろう翼は跡形もなく、ティアラに施されていただろう華美な装飾は見る影もなかった。しかし、その状態でさえこの像は呼吸をしているかと見紛うほど、余りに自然に美しかった。
彼はポートしてきた石の上から特にうごくわけでもなく、そして、特に彼女を見つめるわけでもなく、ただ、同じ方角をみてそれこそがが当然であるようにそこに居た。
まるで何かの絵画のように、ただただ静かで暖かな時間がそこでは流れていた。
どれだけの時間が流れただろうか、不意に彼は右の掌を上に胸の前に持って来て一言呟いた。
「contact on・偽りの笑顔」
彼の眼前に文字通り降って湧いたようにパントマイムしながら登場したホワイトフェイスを模したアバターからは、彼がききなれた声と、そして、日常的非日常への誘いが告げられた。
"|Shall we dive?《潜ろうぜ?》"
時は少しばかり遡り、場所は1stlowのとある小さなカフェ、夜の時間にはいる前仕込みのためのお昼休憩とともに上がりの時間である彼は少し腰パン気味に巻いていたターブラを解き、凝るはずもない肩を何時ものくせで回しながら、この店のオーナーであり、年齢不詳の「魔女」として知られる柚葉に声をかけた。
「ほな、今日もお疲れさん、潜って色々調達してくるけん、たのしみにしとってや」
その言葉に、厨房に向かって何やらかき混ぜていた柚葉が振り返りながらサムズアップした。その口の周りに、生でクリーム的なものがくっついていたのは見なかったことにしよう。
店のドアを介して直接自分の部屋にかえり、とりあえずとばかりにソファに身を預けた彼はそれとなしに左手をあげ指を弾きながら命令した。
「ツール、full phone.」
すると、彼の掲げた掌の上にスクリーンが音もなく開く。そして、彼は空中を軽くスクロールするような仕草とともにショートカットコードを告げた。
「コンタクト、黒猫」
それは、ひょんなことで知り合い、いつしかいつもつるむようになっていたやつのあだな。素性もプライベートもましてやテラでの知り合いですらない、ただ、日本人ってことしか特に知らない、けど、隣にいることがしっくりくる。そんなやつと今日も日常的非日常を楽しみに行くために、彼は最近やっとなれて来たコンタクトツールを使って彼と非現実を共有しにいく。
"Shall we dive?"
もはや定型句となりつつあるこの言葉とともに。
ーDive.
直訳すれば「潜る」と言う意味を持つこの言葉は、そのままの意味の他にこの世界ができてから新しい意味を持つようになった。
それは、2nd lowまで意識を潜らせること。
そもそも、1st low,2nd lowとは意識深度の段階を示す。つまり、どれだけ情報世界に自分の意識をシンクロさせるかと言うことの段階をあらわしており、基本的に1st lowが2nd lowよりも深度は浅い。逆にいえば、深度が浅いと言うことは、脳に対する影響が少なく、同時に仮想空間の現実感も低い。
最も、基本的にと言うのは、レストランや映画館など、五感のうちのいくつかを限定して深度を高くしているものもあるため、1つの階のなかでも深度にばらつきがあるためだ。
噂によれば3rd lowなども存在するらしいがそこまで潜ると帰ってこれなくなる可能性があるためシステム上禁止されている。
少し脇道にそれたが、つまり、「潜る」とは、よりリアルな世界にいくことであり、そこには、ときに現実を超えたリアルがある。
そして、リアルに非現実を受け入れる。
それが、2nd lowで最も人気のあるワールド。
誰が作ったわけではなく、このシステムに最初から組み込まれていた世界。
Lost planet.
世界を失ったセカイ。