肆②
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木漏れ日が湖面に反射して光り輝く湖の縁に蒼月は座り込む。冬華は気を利かせて村に帰って行った。一時は黒く染まった水も今では透き通っている。蒼月はゆっくりと水面に手を入れた。このまま湖に沈めば、蒼月を殺したくない黒曜は住処に繋げてくれるだろう。けれど、それでは意味がない。
「黒曜、聞こえているだろう」
声は返って来ない。それでもこの声は届いていると信じている。
「何故私を村に置こうとするの。今までだってずっと住処から出さなかったのに」
蒼の一族を住処の外に出すのを黒曜が許すことは今までなかった。この先も永久にないと思っていた。龍神の贄としてやってきた村の人間と蒼の一族の者を結ばせて子を成す。そして、またその子と贄となった人間を結ばせて子を成す。その繰り返しで今まで蒼の一族は途絶えずに残り続けていた。
「蒼月よ、人は二十数年で死ぬものではない」
姿は見えないが黒曜の声が響く。龍神の住処は人が住まうのに適さない故に長くは生きられない。それは蒼月とて分かっていた。命が惜しいと思うことがあるのは否定できない。それでも百年もそうして蒼の一族を守っていながら、何故蒼月の代で変えようとしているのかが分からないのだ。
「我も情が湧いたのだ。わざわざ蒼の一族を閉じ込めなくとも守る術など幾らでもあった。我を頼る奴らが滑稽で、それほどまでに命が惜しいのかと思い腹いせに閉じ込めた。だが、生まれてくる子らには何の罪もない」
短命なのは神の力を頼った代償だというのは蒼月も薄々と気付いていた。閉じ込める意味などないのも本当はずっと前から察している。それでも黒曜が蒼月を見る瞳は温かく愛情を感じるものだった。だから、共にあることを選んだ。それは今までの蒼の一族たちも同じではないのだろうか。
「それでも私を誰よりも慈しんでくれたのは黒曜だよ。でも、貴方が私の代で悲劇を終わらせたいなら終わらせるよ」
水面が揺らいで一つ、また一つと波紋が広がる。その様はまるで湖が泣いているようだ。
「私はただの蒼月。それで良いんだよね」
黒曜から言葉が返ってくることはなかった。それが彼の答え、もう蒼の一族と呼ばれるものは存在しない。蒼の一族というものに執着したことはないが、そのようなものがあるから帝に狙われ続けるのだ。蒼の一族は既に滅んだ、としてしまえば初めから全てが上手くいった。
「ありがとう、黒曜。私たちを今まで守ってくれてありがとう」
おそらく黒曜は既に帝の一族から蒼の一族の記憶を消しているのだろう。だから、蒼月を解放した。水面から手を離して立ち上がる。湖に背を向けた時、背後から水飛沫が上がった。それでも振り返ることはしない。