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弐②


  ***


 渡殿を歩く蒼の背を追う。二人で歩いているはずなのに足音は冬華のものしかしない。高く位置で結われた灰白色の髪が左右に揺れる様をぼうっと眺めながら、無言で蒼の後ろを歩き続ける。


「詳しい話は聞かないのですね」


 掛けられた問いの意味を図りかねて、言葉に詰まる。


「此処が何処だとか、龍神様が贄をどうしたいのだとか、そういうのは気にならないのですか」


 ごくりと唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。普通であればもっと喚いていても可笑しくないのに、自分が成すべきことで頭が一杯の冬華はある意味冷静すぎた。情を移さないためにも対話は求めようとすらしなかった。

 それは蒼の目から見れば不自然すぎるであろう。どうにか取り繕わなければと思っても、まだ十五歳、幼子ではないが大人と呼ぶには幼すぎる彼女には些か荷が重い。


「別に気にならないのならそれで良いのです。気になったときにでも聞いて下さい」


 冬華を気遣って掛けられた言葉はより恐怖心を煽る。怪しまれている、もしや懐にある短刀の存在に気づいているのでは、と猜疑心が膨れ上がった。心臓の音が蒼にまで聞こえるのではないかと思うほどに大きく鳴る。


 何かを発しなければと思っているうちに見覚えのある遣戸の前に来た。蒼の姿はいつの間にか消えている。いっそのこと逃げ出してしまおうか。無理だ、此処は龍神の住処。逃げるにしても何処へ逃げれば良いのか。


 室へと足を踏み入れれば、狐面の青年がちょこんと座っている。ぷつんと冬華の中で何かが切れる音がした。自らに課せられた使命の重さに心が耐え切れない。懐から取り出した短刀を青年に向かって突き刺すが、ただがむしゃらに突き出したものが刺さるはずもなかった。狐面の横を掠めて紐が切れ、龍神の素顔が晒される。その面の下を目に留めた途端に、冬華は崩れ落ちるように尻餅を付いた。


「……えっ、(つき)?」


 震える声と共に、手から短刀が滑り落ちて茵に突き刺さった。艶やかな黒髪は腰まで流れ、長い睫毛に縁取られた群青色の瞳は冬華を静かに見つめる。彼を知っている、以前何処かで会った不思議な少年──月だ。


(はな)


 その名で呼ぶ者は月しかいない。けれど、彼は人で、龍神ではないはずだ。それとも本当は龍神で正体を隠していたとでもいうのか。そもそも彼と会ったことは覚えているのに何処で会ったのかを思い出そうとすると、靄が掛かったように頭がぼんやりとする。

 目の前にいる彼が生身であるのを確認しようと手を伸ばし、頬に触れる寸前に重苦しい圧を感じて動きを止めた。


「これだから人間などこの地に入れるべきではなかったのだ」


 怒髪天を衝いた声が空気を震わせた。振り返ることさえできない程に冷え切った気配に身体が縮こまる。伸ばしかけた手を通り越して、気配の主は月と思われる青年の隣に膝をついた。色黒の手が肩を抱き寄せて、威嚇するように冬華を睨み付ける。


「失せろ」


 冷たく光のない漆黒の双眸が冬華を射抜く。龍神の僕を名乗る蒼が龍神を傷つけようとした彼女を怒らぬはずがない。優しげな雰囲気は一切消え去り、凍えるような冷気を宿している。恐怖と後悔で動けずにいるとさらに空気は冷たくなった。


「失せろと言っているだろ!」


 蒼が声を荒らげると同時に彼の身体から眩い光が発せられ、光は徐々に大きくなり形を変えていく。襲い来る風圧に弾き飛ばされて身体が庭園へと投げ出された。そして、独りでに閉まる遣戸の隙間から見えたのは真っ黒な龍が月を守るようにとぐろを巻いている様だった。


「華!」


 月が叫ぶ声が聞こえる。冬華は砂利に叩きつけられると覚悟して目を瞑るも、何故か横たわるように地面に落ちた。起き上がる際に地面に手をつけば砂利が手の平に食い込み、小さな痛みを与える。


「大丈夫!」


 遣戸が壊れそうな勢いで開けられ、月が庭園へと足を踏み出した時、背後から色黒の手が伸びて阻止する。


「蒼月、あれはそなたを殺そうとしたのだぞ。何故情をかける」

「違うよ、黒曜。華は私を殺そうとしたのではなく、龍神を手に掛けようとしたのだろう」


 冬華は目の前で繰り広げられる口論を見守ることしかできない。蒼月と黒曜。それが彼らの真の名なのだろうか。月が蒼月で、蒼が黒曜。そして黒曜の正体は龍。一気に増えた情報に頭が混乱しそうである。


「華、こっちにおいで」


 優しい声音が耳を通り、我に返ると蒼月しかいなくなっていた。導かれるまま室に入り、向かい合わせで座る。


「騙してごめん。言い訳、聞いてくれる?」


 困ったように眉を寄せる蒼月に首を縦に振って先を促した。今必要なのはお互いの話をし合うことだというのは冬華にも分かる。


「竜守村は二十年に一度、龍神に嫁ぐ贄を出すだろう」

「え? 龍神に嫁ぐ?」


 目が点になる。まさか初めから知らない話が飛び出てくるなど想像していなかった。竜守村は龍神の住処があることすら断定できていないというのに、龍神に嫁ぐという考えは生まれるはずがない。贄は贄、龍神に命を捧ぐものだとされている。


「もしかして村にはそう伝わってないの?」

「はい。ただ命を捧げる生贄だと言われてます」


 二人の間に沈黙が走る。そこから話が食い違っているとは蒼月とて思ってもいなかったのだろう。


「その、此方としては龍神に嫁ぐ者として贄を貰っているんだ。けど、本当は龍神に嫁ぐんじゃなくて、蒼の一族に嫁ぐんだ」

「……蒼の一族」


 聞いたことのない名に冬華は首を傾げる。だが、一つだけ分かったのは蒼月が蒼の一族で、龍神に嫁ぐという贄の冬華を騙したのは蒼の一族であることを隠すため。竜守村は周りを山で囲われた外界から閉ざされた地である故に、他所の村との交流もなく村の外の知識は入って来ない。そのため蒼の一族というものが何を示すのか理解できずにいた。


「嗚呼、知らないのか。蒼の一族は百年ほど前に滅んだ、嘗て帝であった一族だ」


 ほんの少し話が見えてきた気がする。外界から閉ざされているはずの村に、数日前に帝の使いを名乗る者が訪ねてきたのだ。そして、村の者ですら龍神の住処があるという確信はなかったのに、帝の使いは龍神を殺せと命じた。


「あ、あの、私の村に……竜守村に、数日前に帝の使い者が来ました。その者は龍神様を手に掛けなければ村の者を皆殺しにすると脅してきました」


 蒼月が目を見開く。彼が驚きのあまり言葉を失っているうちに言葉を続けた。


「私たちは龍神様が湖に住まうとは言い伝えられていますが、本当に住処があるのは知りません。なので、今までどおり贄を捧げて龍神様に守ってもらおうと思ったのです。けれど、もし本当に龍神様の住処があるのなら」

「手に掛けるしかない、と」


 言葉に詰まっていると蒼月から先を言われ、首を縦に振って肯定した。


「ごめん、私たちのせいで君たちを巻き込んだ」


 謝って欲しいわけではないが、蒼月が嘗て帝の一族であったのなら、これは帝という座を賭けた争いなのだということは想像がついた。


「帝の件は私と黒曜がどうにかするから、華は村に帰りな」


 素直に頷くことができなかった。力不足なのは分かっていても、月の、蒼月の力になりたい。俯いたままその場から動けずにいると、急に室内が暗くなった。明かりが消えたのかと顔を上げる。目に映った光景に言葉を失った。明かりが消えたどころか、外はどんよりとした黒い空気が漂っている。


「黒曜!」


 蒼月が慌てて外へ飛び出し声を張り上げる。空から現れた黒龍は呻き声を上げながら地面に落下した。衝撃で橋は壊され木の破片が飛び散り、池の水は舞い上げるように高く水飛沫を上げる。


「……蒼月、小娘、ここから、逃げ、ろ」


 黒龍は苦しげに身を悶えさせる。蒼月が近寄ろうとした瞬間に、冬華の身体が宙を舞った。


「きゃあ」


 唐突な浮遊感に悲鳴を上げる冬華の腕を掴み、蒼月は彼女の腰に手を回して抱き締める。黒曜の狙いが分かった蒼月は苦しむ彼に手を伸ばすが、冬華ごと身体が浮いて上に飛ばされた。

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