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 呻き声を上げて徐に目を開ける。冬華の眼前に広がったのは、寝殿造りの屋敷と大きな池。そして、池からは小川が流れており、所々に橋が掛けられている。どう見ても貴族の屋敷にしか見えない光景に開いた口が塞がらない。


「そもそも何で生きているの」


 湖に沈んだはずなのに生きているのも可笑しいし、湖の底に屋敷があるのも可笑しい。ゆっくりと立ち上がったところで、白無垢が乾いていることに気づく。あれほど水を含んだというのにまるで濡れたことすら幻だったのかと思うほどに綺麗に乾き切っていた。

 見慣れない場所、理解のできない状況に右往左往していると、遠くから声が聞こえる。声の主は小川に掛けられた橋の一つに立っており、こちらを見て慌てた様子で近づいてきた。


「出迎えに行けずすまない」


 白い狩衣を纏う青年は冬華の目の前まで来ると頭を下げた。色黒の肌に灰白色の髪を高い位置で結う彼に見覚えは全くない。反応に困っていると彼の方から話を進めてきた。


「私は龍神様の僕、(あお)と申す者」

「龍神様の……」


 蒼と名乗る青年が本当に龍神の僕であるのなら、どこからどう見ても人にしか見えない彼もまた人ではないのだろうか。龍神と同じく神と称される存在なのだとしたら、神の世にも主従関係があるというのが僅かながら親近感が湧いた。


「此処は龍神様の住処です。龍神様がお待ちですから此方へどうぞ」


 湖の底には龍神の住処があると村では噂されていたが、まさか本当に実在するとは夢にも思わなかった。てっきり贄として沈められて、この命は尽きるものと思っていたので、内心焦燥感に駆られる。生きているのなら、このあと己がやらなければならないことを考えるだけで心は沈んでいった。



  ***



 一際煌びやかな遣戸を前に冬華は緊張を隠せない。この先に龍神がいる。そもそも龍神とはどのような姿形をしているのだろうか。文字通り龍の形を成していたらと思うと恐怖で足が竦む。視線を下に向けて障子の前で立ち尽くしていると、遣戸が動いた。


「此処からはお一人で」


 蒼が遣戸から手を離して頭を垂れる。意を決して顔を上げるが、几帳に遮られて龍神の姿を目に映すことは叶わなかった。白藍色の几帳は透けており、そこに映る影は人の形をしているようでほんの少し心が穏やかになる。

 静寂の時の中では、裸足で床を踏む際に生まれる木が軋む音が異様なほど響いた。几帳から五尺ほど離れたところで立ち止まると、凛とした声が空気を裂く。


「もう少し此方に」


 透き通るような声音に吸い込まれるように足が動いた。几帳の目前まで来た時、足が縺れて倒れ込む。緊張か、あるいは疲れが出たのか、どちらか分からないが慌てて踏ん張ろうにも支えとなるものなどなかった。几帳を通り抜けて床に叩きつけられると思い、目を瞑って衝撃に備えるも一向に痛みは来ない。

 恐る恐る瞳を開けると、視界一面が狐のお面で埋まった。まずその時点で驚きのあまり固まり、後に抱きかかえられている事実に気づき、さらに固まる。身体から伝わる熱に鼓動が早くなった。


 お面の隙間から垣間見える黒髪が冬華の頬を撫でる。腰に回る腕は細いながらもしっかりと彼女を受け止めていた。龍神なのに狐のお面とか、姿形は人に化けているのか、とかそんなことを考える余裕などない。男の人に抱えられているという事実に頭が真っ白になる。男の人、抱えられている、その二つが脳内をぐるぐると回り、そのまま意識を飛ばした。



  ***



 気を失ったことで腕に掛かる重みが増し、畳に落としそうになるのを寸でのところで阻止する。そして、自分の方へ引き寄せてしっかりと支えた。


「こ、黒曜(こくよう)、これどうしたら良いの」


 狐のお面から零れた声は震えていた。それでも冬華を抱える腕は離さず、瞳は蒼と名乗った青年の方へ向けられている。


「はあ、蒼月(そうげつ)。そんなに情けない声出すな」

「だ、だって」


 蒼だが黒曜だか分からない青年が立ち上がって室内へと足を踏み入れる。狐のお面を被った蒼月の元まで辿り着くと、倒れた几帳を持ち上げて少し離れた場所に置いた。そして、蒼月の近くに胡坐をかいて座る。


「いつまで抱えているつもりだ」

「あ、え、えっと」


 蒼月はきょろきょろと視線を動かし、自分が座っている茵が一番柔らかそうだと気付く。冬華を起こさないように慎重に身体を動かして茵に寝かせた。手元から彼女の温もりが消えたことで心は平穏を取り戻す。


「そなた、そんなので本当にそれと夫婦になれるのか」

「冬華は龍神に嫁いできたから」


 狐のお面のせいで表情こそ窺えないが、声音からして憐れみを抱いているのだろう。冬華の髪を優しく梳く手つきは明らかに情があるとしか見えない。龍神に嫁ぐ、その行為が何も意味を成さないことを蒼月とて理解しているだろうに、はぐらかす彼に黒曜は眉間に皺を寄せる。


「そなたがそれで構わんなら良い。だが、それの前では蒼と呼ぶのを忘れるな」

「分かっているよ」


 黒曜は相変わらず不器用なやつだと蒼月を眺める。それでも縁は繋がった。この先、幸を呼ぶか、不幸を呼ぶかは彼ら次第。己はただ見守るだけだ。

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