第三話
鏡の中の私は、完璧すぎる。
眉の動きも、口元も、まばたきのタイミングすら、
まるで計ったみたいに“ぴったり”で、ズレがない。
それが、逆におかしい。
生きているはずの私より、生き物っぽくない。
――あれって、ほんとに私?
*
土曜日、家の中に家族の気配がない時間。
部屋に一人きりで、本を読もうとしたのに集中できない。
書きかけの日記帳を、そっと開いた。
鏡の私は、今日も静かにこっちを見ていた。
笑っていなかった。でも、どこか満足そうだった。
私のこと、ずっと見てる。私より、私を知ってる気がする。
ページのすみに、“目”の絵をいくつも描いていた。
じわじわと、不安が染みてくる。
「見られている」という感覚は、誰にも言えない。
言ったところで、また笑われるだけだ。
「私、変なのかな」
小さくつぶやいた声が、自分の耳に届いてびくりとする。
なんだか、家の中がすごく静かだった。冷蔵庫の音さえ気になる。
水を飲もうと洗面所へ行った。
鏡の中の自分が、じっとこっちを見ている。
いつも通り。何も動いていない。
でも、その“何も起きていないこと”が、逆に怖かった。
怖くて目をそらしたくても、なぜか離れられなかった。
手を伸ばして、鏡の表面を指先でなぞってみる。
自分の指が、映る指とぴったり重なる。
そこに冷たいガラスの感触がある。
当たり前。それはただの鏡。
「……なんで、ずっと見てるの?」
そう言った自分の口元と、鏡の中の口元が、
少しだけ、ズレた気がした。
本当に、一瞬だけ。でも、確かに。
ぞわり、と背筋を何かが這った。
次の瞬間には、いつも通りの私。まったく同じ、私。
心臓が、ずっと早くなっている。
なのに身体は動かない。目が鏡から離れない。
――逃げなきゃ、と思った。
でも、動けなかった。
鏡の中の私が、じっと、じっと私を見ている。
まるで、次の動きを待っているみたいに。
*
夜になっても、その瞬間のことが忘れられなかった。
ベッドに入って、枕の下に日記を隠す。
明かりを消すと、世界が闇に沈む。
でも、目を閉じても、まだあの目がこっちを見ている気がする。
どうして、私を見てるの?
ほんとうに私?
もしかして、私より先に“気づいてる”?
こっちは、偽物なのかな。
次の話は明日の夜に投稿します