イリール④
再び意識は会場に戻った。私はただ困惑することしかできなかった。
「そして現在に至るわけだけど、理解できた?」
今見せられた光景に誰もが言葉を失っているのが分かる。そしてイリールに向けられる疑念の視線も。
「イリール……嘘だよな? お前がずっと別人だなんて、私たちをだましていただなんてそんなこと、あるわけが」
「わ、わたくしはお腹を痛めてイリール、貴女を産んだのよ。それが入れ替わっていることに気づかないわけがないわ」
『口ではどうとでも言えるわね』
お父様たちが必死に否定してほしくて声を絞り出すがそれを『イリール・ウィスト』が一言で黙らす。
二人は『イリール・ウィスト』に目を向けるが、彼女は冷めた目で返すだけ。とても親に向けるものとは思えない。
「ちょっといっぺんに情報出しすぎた? じゃあ整理しましょうか。
まず貴女の認識だと、この世界は『あなたたちに愛される永久に可憐な乙女』というゲームの中で、なぜか自分は悪役令嬢イリール・ウィストに生まれ変わっていた。
前世の記憶を取り戻した貴女は、破滅する未来を回避するために悪役令嬢と呼ばれない人間になろうとした。そして王太子との婚約もなんとか解消したくて本人に言ってきたけど、ダメだった。
ちなみに婚約解消はレオンも国王に訴えてきたけど、政治もからんでいるし、ウィスト家からは何も言ってこないからできるわけがない。貴女自身は父親に解消をお願いするという発想がまず出てなかった。
この状況を貴女はゲームの強制力と認識していた。でも客観的に見れば、レオンを避けている態度をとっている貴女の自業自得としか言えないわね。ゲームのイリール・ウィストは、わがままだったせいで恨みを買っていて、レオンからも嫌われていたんでしょう?」
「……ええ、そうよ。そして学園でサリーと出会って攻略キャラたちは恋に落ちたの。それに嫉妬したイリールを中心とした悪役令嬢が様々な嫌がらせをしてくるけど、それを乗り越えるたびに愛は深まっていく。そしてラストはこの卒業式の日に悪役令嬢は断罪され、サリーと愛を育んだキャラたちは結ばれるの。
断罪されるのが分かっているんだから、避けちゃうのはしょうがないでしょ! このゲームはレオンを選ばなくても、最後には婚約破棄されて追放されちゃうストーリーなんだから」
サリーの質問に、口が開いてしまう。沈黙で返すことは、彼女から放たれるオーラが許してくれない。
身に着けてきた貴族令嬢としての仮面は、とっくにはがれてしまっている。
「ゲームとは違って、貴女は悪役令嬢と呼ばれないよう、わがままを止めて誰かにひどいことをしないようにしてきたんでしょう。
なら、レオンが貴女を嫌う理由はないはずよ」
「でも現にレオンは私を嫌っていて……」
「それはお前が交流を徹底的に避けたからだ。今見せた書類の中身、もう一度読んでみるか?」
レオンが心底呆れた顔を見せるが、理由だってこっちにはある。
「婚約破棄されることがわかっているのに、仲良くしたって意味ないじゃない。寝取られる相手と仲を深めても最後には辛くなるだけよ!」
会場から「寝取られ……!」と過敏に反応する声がチラホラ聞こえたが、興奮した私には気にする余裕がなかった。
「積極的に交流を深めてレオンと心を通わせる、という発想はなかったのかしら。せめて嫌われないように動けば、婚約破棄なんてしない可能性もあったでしょうに」
「だから婚約破棄されるって何回も言っているじゃない。それがゲームのエンディングなんだから!」
私が叫ぶように反論すると、サリーたちはかぶりを振った。
サリーたちが何を言いたいのかさっぱりわからない。つい陛下たちに視線を向けると、彼らは
「あのイリール嬢は何を言っているんだ」
「今の会話はどうみてもおかしいぞ」
「いや、さっきの光景が事実ならあれはイリール嬢では」
と言っている。
「これはもう、そういうプログラム、としか言えないわ。それ以外の結論を理解できないようになってる」
「なんか、もう哀れに思えてきたな」
サリーとレオンが、私を憐れみの目で見てきた。
なんなのあの目は。これから追放される私に同情しているの? 騒動を起こしたのはあんたたちのせいでしょう。
『いい加減、わたくしのことも思い出してくれるかしら?』
「ヒッ」
すぐ真後ろから、ゾッとする声がささやかれた。
思わず飛び跳ねて数歩移動して振り向くと、そこには半透明のままの『イリール・ウィスト』がいた。
「あ、あなたはその……」
『お前に体を奪われたイリール・ウィストよ。こんなやつに好き放題されてきただなんて、言葉にできないほどの屈辱よ』
「私は、そんなつもりじゃ……」
今までずっと生まれ変わったんだと思っていたのだ。それが実は乗っ取っていて、本人は閉じ込められていたなんて、知るわけがない。
『知ったことじゃないわ。だから今度は、わたくしがお前に好き放題しなきゃバランスとれないわよねぇ?』
これからすることが楽しくて仕方がない、と表情をゆがめる『イリール』に、私はこれまでにないほどの恐怖を覚えた。
ああ、これじゃ国外追放の方がまだマシじゃないか。
『あなたは誰かしら?』
いきなり意味不明な質問をしたイリールに、私は首をかしげてしまったが、睨まれてすぐに姿勢を正す。
「私は、イリー……」
『それはわたくしの名前。わたくしが問うているのは、お前が前世とかいうときの名前。
しゃちくとして生きていた頃のお前の名前を聞いているのよ』
??? ますます意味が分からない。
名前なんて覚えているわけないじゃない。
『家族は? 知り合いは? 仕事は? こちらに来るまで、どんな人生を送ってきたのか、具体的に覚えているの?』
「いや、その……覚えていない。乙女ゲームのことは完璧に覚えているけど」
「それをおかしいと、今まで疑問に思わなかったの?」
「??? あの、何を言いたいのかわからないんだけど……」
『ふぅん……』
ニヤニヤと笑みを浮かべながら―――それはまるでいじめっ子のように見える―――イリールは確認するように再び口を開いた。
『自分には生まれ変わる前の記憶がある。それはこの世界に関するもの、でもそれ以外のことはほとんど覚えていなくてそれを疑問に思わない。
ずいぶんと都合がいい状態ね。
所詮は作り物ってことか』