イリール・ウィスト①
わたくしはイリール・ウィスト。
ミューゼック王国でも屈指の大貴族ウィスト公爵家の娘。
尊き血筋に生まれたわたくしに、みんなはなんでもしてくれるわ。
欲しいお菓子もおもちゃもお花もペットも、欲しいと言ったらお父様とお母様はなんでもくれるわ。
何を言っても二人が笑ってくれるの。
だってわたくしの思い通りになるのが当然なんですもの。わたくしの望みこそがお父様とお母様の幸せなの。
だから、それを邪魔したりするものは絶対にあってはいけないの。
物語にもあるじゃない。悪いやつは退治されるもの。
だからわたくしがそんなものを追い出してあげるわ。本当なら面倒くさいけど、公爵家の人間なんだから率先してしなきゃいけないの。
お父様だってよく言っていたわ「きぞくのぎむ」だって。面倒なことも率先してやるのが貴族だって。だからその通りにわたくしも積極的に動いたわ。
ベッドの手入れが気に入らないメイド、お庭の手入れが悪いせいで転びそうになった庭師、嫌いな野菜をこっそり料理に混ぜたシェフも、わたくしに嫌な思いをさせたやつはみ~んなクビにしてやったわ。
お許しを、とわたくしに願うときの顔。あれは本当に最高だったわ。おもちゃで遊ぶよりも大好きなケーキを食べるよりも、すごい楽しいの。
悪者をこらしめるのって、こんなにうれしいのね。だからわたくし、頑張ってもっと悪者をやっつけてあげるわ。「きぞくのぎむ」なんだから。
こんな楽しい日々がずっと続くと思っていた。
なのに、終わりはあまりにも突然やってきた。
すごい大きな雷が鳴って、びっくりしたわたくしは階段から落ちて。
覚えているのはそこまで。気づいたらベッドの上にいて。
―――そのときにはもう、わたくしは閉じ込められていた。
見えるのは見慣れたベッドの天蓋。わたくしは起き上がろうとして、違和感に気づいた。
―――体が動かない。
正確には体が勝手に動いた。それがわたくしの意志によるものではないことは明確だった。
「何……ここは」
聞きなれた声が、わたくしを無視して勝手に出てくる。
訳がわからないでいると、使用人たちが大声を出してこっちにきた。
うるさいわね。こいつクビね。
(はて、いつの間にメイド喫茶に来たんだろう?)
メイド喫茶? というか今の声、なに?
いきなり知らない声が聞こえてきた。
するとわたくしの体はまた勝手に動いて、姿見の前で立ち止まったと思ったら、いきなり倒れてしまった。
(この顔、小さいけど見覚えがある……そしてイリールという名前。……あの悪役令嬢のイリール・ウィスト!?)
は? 悪役令嬢?
そのとき、また声が聞こえた。すると、まったく見たことのない光景が見えた。
お城よりも高い建物。乗り物。食べ物。しゃちくって何かしら。
そして知らない絵物語が映し出された。
なにこれ。『あなたたちに愛される永久に可憐な乙女』って、変なタイトル。
見えたお話も、わけがわからなかった。
何よりわたくしと同じイリール・ウィストという名前の女が出てきたことに、わたくしはとっても混乱した。
倒れたわたくしを使用人たちがベッドに戻すと、部屋にお父様とお母様が入ってきたのがわかった。
お父様、お母様! 助けて、わたくし動けないの。
必死に呼びかけるけども、二人は気づくこともなくわたくしの手を握っていた。
やがて体が勝手に二人に呼びかけると、お父様もお母様も涙を流してわたくしではないわたくしを強く抱きしめる。
返してよ! わたくしのお父様たちなのよ!
わたくしは生まれて初めて必死になって叫ぶけども誰も気づいてはくれなかった。
お父様たちがわたくしが雷にびっくりして階段から落ちてしまってからずっと眠っていたことを説明されて、わたくしは雷にも、階段にも、それを作った誰かにも怒ったけど、誰もそれに応えてはくれなかった。
そして、終わらない悪夢が始まった。
わたくしの体を奪った誰かはわたくしのふりをして、好き放題した。
お気に入りの髪型をあんなダサいものにした挙句に「悪役っぽい」ですって!
さらに使用人たちを懲らしめることもやめてしまった。わたくしが嫌がることをするやつはクビにするのは「きぞくのぎむ」なのに。
そいつはメイドにクッキーを分け与えたり、失敗をしたメイドに怒ることをせず慰めたり、好き嫌いを辞めたりした。ありえないわ。なんでそんな滅茶苦茶なことできるの。
「とうとう令嬢としての自覚を持ってくれた」
「やっとわがままなのはダメだと気づいてくれたんだな」
……なによ、それ。
それを見ていたお父様お母様は、叱るどころか喜んでいた。
まさか、わたくしがしていたことはいけないことだったの。だったらなんで教えてくれなかったの。
お父様たちが言ってくれたら、わたくしは言う通りにしたのに!
悲しくなって涙を流したけど、誰も慰めてくれない。ただ、わたくしじゃないわたくしが可愛がられているのを見ている事しかできなかった。
その後もイリール・ウィストは絶対に許されないことをした。
わたくしがずっとほしかったレオン殿下の婚約者になったのだ。
それだけでも悔しくて怒りが止まらないのに、あろうことかあいつはそれを嫌がり、レオン殿下に何度も婚約解消をしたいと言ってきた。何回も同じことを言ってきて殿下に失礼なことをするイリール・ウィストを、レオン殿下はすっかり嫌ってしまった。
それに気づいた絶望は、やがてわたくしじゃないわたくしへの憎しみに変化するのにさほど時間はかからなかった。
さらにウィスト家を使っていろんな商売を始めたけど、平民相手に何を媚びを売っているのこの女は!
わたくしたち尊き血筋のものたちは、平民を支配するものなのよ。あいつらを喜ぶ姿なんて醜いだけじゃないの。どうしてみんなもこんなことを褒め称えるの。
そしてどんどん成長したイリール・ウィストは、レオン殿下とともに学園に入学した。
そこであいつは、奇妙な行動をとるようになる。
何なの、あんな女をじっと見て。
物陰に隠れて一人の女を監視することが増えた。そいつは、あろうことかわたくしのレオン殿下と話している。
どこの田舎娘か知らないけど、なんて不敬な。
(ゲームそっくりだわ。主人公であるサリーが攻略キャラたちと出会う運命的な場面。スチルがやたらと力入っていたから、印象に残っていたのよね)
主人公? ……思い出した。こいつに体を奪われたときに見た絵、あれにそっくりなのよ。
確かあの話だと、最終的にイリール・ウィストという名前の悪役は破滅する。
まさかこの女、自分が物語の中に入っていると思い込んでいるの。何よそれ。
だから、殿下にもあんな失礼な態度を? それこそばかげているわ。
その後もイリール・ウィストは婚約者としてありえない行動をしつつ、サリーという名前の女を監視する日々を送っている。
でも、もうそんなことはどうでもいい。
いったいいつになれば、この悪夢は終わるの?
「もう、終わりにしたい?」
自分に声をかけられたのは、そんなときだった。