乙女ゲームとは③
「さっきのは、その、なんというか」
「先ほどの物語と比べると、その、一部の好事家向けと申しましょうか……」
「言い方はあれですが、頭の悪い人間でないと楽しめない内容でしたな」
「むしろ物語の主人公たちの言動に不快感を覚えましたよ」
「あんな場所で婚約破棄だなんて……婚約者がいる相手を略奪したことを正当化されるなんてあんまりだわ!」
「悪役令嬢というが、言っていることは彼女の方が正しいじゃないか。やっていることもしょぼい嫌がらせのレベルだし」
「貴族令嬢としてあの程度で済ませているのはむしろ温情では?」
さっきとは違い、ものすごい不評であることに私は愕然とした。
確かに現実で婚約者がいる殿方に接近するのはアウトだけど、ゲームの中なら問題ないじゃない。
それに机に落書きしたり、教科書を破いたり、バケツの水を浴びせたり、あまつさえ階段から突き落とすのよ。こんな非道が許されるわけないじゃないの。
生まれながらの貴族としての生き方しか知らないから、こんな反応なの?
「そんな……何がおかしいというの?」
「待て、待ってくれ!」
お父様の叫びが耳に入る。それは混乱していることが容易に想像できるものだった。
「『あなたたちに愛される永久に可憐な乙女』という物語の中に。イリール、お前がいたぞ! どうなっている!」
「それに殿下たちまで……性格や髪型は私の知っている貴女ではなかったけど、あまりにも瓜二つだったわ! どういうことなの」
「あ……」
両親の叫びを聞いて、己の失態を悟った。
しまった。この世界は『あなたたちに愛される永久に可憐な乙女』の世界ということを完全に忘れていた。
自慢の娘が悪役令嬢として皆を苦しめている姿を見てパニックになるとは当然だ。
「そもそもイリール嬢は、なぜ乙女ゲーム? とやらにあそこまで詳しいのだ。わが国にはあんな物語は存在しないぞ」
「ウィスト家なら他国にも伝手があるだろうから、そこから知ったのでは?」
「いや、それにしてはウィスト公はまったく知らない様子だぞ。どうなっている」
会場の人間たちも私に不審の目を向け始めた。
迂闊にもほどがある。この世界に乙女ゲームという概念なんてないのに、それをなぜ自分が知っているのか。それを追求されたらどこまでうまくごまかせるか。
もし自分が現実世界から生まれ変わってイリールになったってばれたら、どうなることか。
「この世界が『あなたたちに愛される永久に可憐な乙女』の物語の中で、そこのイリールの中身は別の世界からきた別人だって言われたら、どう思う?」
と思ったらサリーがいきなり暴露しやがった。
ああなんてこと。みんなキョトンとしているが、すぐにお父様とお母さまが激怒してきた。
「ふざけるなサリー嬢! 私たちのイリールが、別人だと? 彼女は紛れもなくイリールだ。幼いころからとても聡明で―――」
「階段から落ちて目覚めたらとてもいい子になったんでしょ? 有名な話よね」
お父様の反論をぶった切って、一気に核心に迫ってくる。まずい、この展開はまずい。
この世界には生まれ変わりとか輪廻転生という概念はないのだ。前世の記憶を取り戻したって説明しても理解できるとは考えにくいのに。
「まあそこから先は『イリール・ウィスト』に説明してもらった方がいいわね」
「! いやちょっと……」
ここで自分にぶん投げてきた。どうする。
いや待て、冷静になってみれば前世とかそんなこと説明しなくてもいいのだ。乙女ゲームについては予知夢とかでごまかせれば何とかいけるはず。
「ああ、貴女じゃないわよ。私は『イリール・ウィスト』にお願いしているんだから」
「はあ?」
発言の意味がわからずにいると、サリーが指パッチンをした。すると会場から何度目かの叫びが聞こえてきた。
見ればお父様、お母様も目を丸くしてこっちを……正確には私の後ろを凝視している。
「二人とも、いったい何が―――」
つい振り返った。振り返ってしまった。
そこには。
半透明のイリールがいた。
■
「イリールが、二人……。??? な、なんだこれは!」
ウィスト公が泣きそうな声を挙げる。隣の奥方は今にも気絶しそうだ。それは当然だろう。
娘の背後から、突然イリール・ウィストがもう一人現れたのだから。
もう一人のイリールの姿は幽霊のように半透明だ。着ているドレスは同じだが、髪型が違っていた。
もう一人の自分を凝視しているイリールは赤い髪の毛をストレートに伸ばしたヘアスタイルだが、こちらはドリルのように巻いている。初対面の人間は、真っ先にその髪型に注目が言ってしまうだろうと言えるるぐらい自己主張が激しかった。
そしてイリールに幼いころから仕えている人間だったら気付いたはずである。
彼女のその髪型は、階段から転落する前の、わがまま放題だったころのものであると。
二人の、そして会場中の人間の視線を集めている中、もう一人のイリールは、状況を確認するように周囲を見ると、涙を流しながら言葉を発した。
『やっと、やっと出てこられた……このまま誰も気づいてくれないんだと思ってた』
顔を手で覆い、泣き続けるもう一人の自分を唖然と見つめるイリールは、訳がわからないとサリーに問いかける。
「どどどういうことよこれ!? この人は何なの?」
「だからイリール・ウィストだってば。貴女が体を奪ってから、ずっと自分の中に閉じ込められていたのを私が魂を引きずりだしたのよ」
「奪っ……本当にどういうこと!?」
『とぼけないでよ』
再び顔を向けると、そこには激しい憤怒に支配された自分に睨めつけられて動けなくなってしまうイリール。
その眼光のあまりの鋭さ、怒りと憎しみは凄まじく、会場のあちこちから悲鳴が聞こえてきた。
『あの時、いきなりわたくしの体を奪って好き放題したのは、お前じゃないの!』
「……本当にどういうことなの」
「まだわからないか~。じゃあイリール視点で何があったのか見てみましょうか」
自分からの弾劾を何一つ理解できない彼女に呆れた様子を見せたサリーは、再び会場を光につつんだ。