プロローグ 人類の夜明け
この物語は、古事記や日本書紀(記紀)、魏志倭人伝、古代出雲王家口伝、正統竹内文書などの資料や、考古学、地学、天文学、遺伝学、医学的知見を元に、神武天皇の生涯を再現したフィクションです。
作者なりに正確さを期したため、第三章まで純粋な考察が続きます。
無宗教ともいえる日本人の信仰について述べるにあたり、どうしてもホモ・サピエンスという種族を再定義しておきたかったので、プロローグとして触れることにしました。
古来、ヒトは太陽を求めた。
闇は彼らに死を想起させたし、逆に太陽は生の象徴でもあった。
古来、ヒトは太陽をあがめた。
ギリシャの最高神ゼウスは宇宙や天候を支配する天空神であり、「光輝」と呼ばれる鎧をまとっていた。ヒンズー教の神ビシュヌは太陽を神格化したものであり、シバ、ブラフマー(梵天)と並ぶ最高神である。そして八百万の神を祀る日本では、太陽神アマテラスが最高神だとされている。その他の地域を見ても、太陽を崇める信仰には枚挙にいとまがない。
そう、ヒトは太古の昔より太陽を崇拝した。
ヒトと呼ばれる種族が誕生したのは、今から七百万年前のアフリカである。
原初のヒトは体が小さく、脳の容積も現代人とは比較にならないほど少なかった。それでも彼らがサルではなくヒトだと判別できるのは、彼らの犬歯が退化しており、二足歩行できたからである。
犬歯が退化したのは、目当てのメスをめぐって他のオスと牙を見せあい威嚇する習性がなくなったことを意味している。彼らはその代わりに二足歩行のおかげであまった両手にたくさんの食料を持ち、それをメスに届けることで求愛するようになった。これをプレゼント仮説と呼ぶ。
オス同士がメスを巡って争うのを止め、その代わりに両手いっぱいの食料をメスに届けることで求愛するようになったのが人類の起源だとすれば、現代人にもその習性は少なからず残っていると言えるだろう。男が女にプレゼントを送って求愛する話はいくらでもあるが、女を巡って男同士が殴り合いの喧嘩をしたという話はあまり聞かない。
実は、人類はその生誕時から争いを好まない平和的な種族だったのである。
その後、ヒトは二足歩行の性能をより強化し、その脳容積を大きくしながら猿人、原人、旧人、新人へと進化していく。
旧人であるネアンデルタール人は、新人である現生人類ホモ・サピエンスよりも大きな脳容積を持ち、死者をとむらう風習を持っていたとされる。しかし彼らの声帯は未発達であり、複雑な音を発声できなかった。
そのため言語による知識の伝達が難しく、彼らが作る石器は何万年にも渡ってほとんど進化を遂げなかった。晩期には現生人類と共存するようになり、その影響を受けてネアンデルタール人の作る石器にも進化の形跡が見られるようになったが、それでも言語を操れない彼らは現生人類との生存競争に負けたのであろう。現生人類の遺伝子の中に、彼らとの交配の痕跡を残しつつ、いつの間にかこの地球上から消えてしまった。
そして現生人類ホモ・サピエンスの祖は、今から二十~三十万年前にアフリカで誕生した。母系のミトコンドリア遺伝子をさかのぼるとたどり着くミトコンドリアのイブ、そして父系のY染色体をさかのぼるとたどり着くY染色体のアダムも、これと近い時期にアフリカで生を受けたとされている。彼らは脳の容積こそネアンデルタール人より少し縮小したが、そのかわりに声帯が進化して、複雑な音を発声できるようになっていた。
つまりホモ・サピエンスとは、高い知能とその思考を他者に伝えるための言語能力を持ち、本来は同族で傷つけあうことを好まない平和的な種族なのである。