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第八章 サルタヒコとウズメ

 サルタヒコは出雲国風土記にも登場しますが、その出自はよく分かっていません。

 天つ国を旅立ったニニギの一行は、西を目指した。途中、伊勢までは陸沿いに海路、その先は陸路である。

 この時代の船旅は一日に十~二十キロしか進めないことが多く、雨の日には出向を見合わせることも多かった。しかし陸路でも後世の東海道五十三次のように整備された街道はなく、道なき道を踏み分けると一日に数キロしか進めないこともあった。

 時に西暦147年5月。

 幸いにも五月晴れの日に恵まれることが多く、一行の船旅は順調に進んだ。現在の銚子から勝浦、三浦、伊東、下田、焼津、御前崎のあたりを経て、浜名湖を過ぎると、天つ国とも友好関係にある尾張氏の治める国に入った。

 いまだウズメの腹案は明かされていないが、ニニギはそれを気に留めるでもなく、ウズメとサルタヒコが毎日のように船上で繰り広げるやり取りを面白おかしく眺めていた。

「ウズメ殿、おぬしは絶対に私のことを馬鹿にしているであろう」とサルタヒコがいつものごとく声を張り上げる。

「あら、とんだ言いがかりですわね。馬鹿ではなく、ちゃんと牛のように体の大きな御仁だと思っておりましてよ」

 対するウズメは冷静なものだ。

「私はな、こうしてニニギ様の案内のために参ったが、実はとても偉い神様なのだぞ」

 また始まったな、とニニギは思う。サルタヒコには、熱くなると口から出まかせを言ってマウントを取ろうとする悪い癖があった。もっとも彼がかつて出雲の地を支配していた一族の末裔だと知れば、まったくの出まかせとも言い切れないが。

「神様? 私たちの神様はこの世界のどこにでもいて、一本の木や一つの石ころにも宿っていますわ。私には、あなたが木や石ころには見えませんけど」

「何を言うか。私のことは天の言い伝えでも聞いておるだろう。まだ世界が混とんとしていた時、9億10万8000畳の中から現れたサルタヒコ様とは私のことだぞ」

 この時、サルタヒコがイメージした神は、出雲の国でスサノオが広めようとしていた天地創造の神に近いのかもしれない。一度スイッチが入ると、ますます饒舌(じょうぜつ)になった。

「私はかつて十二の船を用意して、そこに青い金を積み、六万里の船旅をして、そこに東の柱を作ったのだぞ。同様に白い金を積んだ船で西の柱を作り、赤い金で南の柱を作り、黒い金で北の柱を作ったのだ」

 大分県の豊後大野市に伝わる御嶽神楽によれば、サルタヒコはそう言ったらしい。もっとも創始が室町時代なので、後世の創作かもしれないが。

「へえ、それならサルタヒコ殿はこの世界のありとあらゆるものを作った偉い方なのですねえ」

「その通りだ、やっと私の偉大さが分かったようだな」

「ではこの私の体もあなたが作ったのでしょうか?」

 ウズメは急に服を脱ぎ始め、その裸体をサルタヒコの前にさらす。その顔には妖艶な笑みが浮かんでいる。

「う、うん。まあ、そういうことになるな」

「あら?」ウズメはわざとらしく小首をかしげた。「どうして目をそらすのです。あなたが作られた私の体に何かおかしな点はございませんか?」

「な、何もないわい」

「本当でしょうか? もっとよく見て確かめてください」

「よく見た、よく見た」

 サルタヒコが声を張り上げた。どちらが余裕をなくしているのかは、一目瞭然である。

「この二人は本当に仲が良いな。ユー、結婚しちゃいなよ」

 ニニギが思わず茶々を入れると、そこで二人の押し問答は終了となった。ウズメは全裸のままニニギのほうに向きなおり、二つ柏手を打つ。その顔は赤らみ、口は一文字に結ばれていた。


 その数日後、一行は伊勢の二見浦あたりに停泊した。ここから先、尾張氏の本拠地である尾張近郊まで船で向かい、そこからは陸路で出雲を目指す計画である。

 すでに日は西に傾き、あたりは薄暗くなり始めていた。野生の広葉樹の枝葉から黄金色の光が漏れ注ぎ、さわさわと音を立てながら揺らいでいる。

「サルタヒコ殿。長い船旅で、私は魚には少し飽きてきましたわ。森で何か獲物を捕らえることはできないものでしょうか?」

 ウズメがサルタヒコを見上げた。二人の身長差は頭二つ分くらいある。

「うむ、そうだな。私も同じことを考えていた。しかし私にはニニギ様を護衛する役目もあるからな」

「それならば大丈夫でしょう。私は船の上からずっと陸地を見ていましたが、危険な動物や人がいる気配はありません」

「そうであったか、よく観察しているな。そなたのニニギ様への忠誠心には感服するものがある」

「いえ、それほどではございません」

 ウズメの表情に一瞬だけ影が差すが、サルタヒコがそれに気づくことはない。

「さあ、そんなことよりも暗くなる前に早く獲物をさがしに行きましょう。私も木の実や野草を探しながら、お供いたしますわ」

「そうか、かたじけない」

 こうして二人は連れ立って、森の中へと入っていた。

 しかし見慣れぬ地で、そうそう食糧になりそうな小動物を捕れるものでもない。サルタヒコは収穫ゼロで、ウズメがわずかばかりの野草を手に入れて元の寄港地に戻ってきた。

 するとそこに船団の姿はなかった。代わりにわずかばかりの縄文式土器と、米やどんぐりなどの保存食、そして物々交換に仕えるヒスイが入った袋が置かれている。

「これは一体どうしたことだ?」

 サルタヒコが慌てる一方で、ウズメは落ち着き払っていた。

「実は先ほどの嵐で、ニニギ様が乗られていた船が沈んでしまったのです」

「何を言う。雨など降っていなかったではないか」

「いいえ、土砂降りの大雨で、こうしてあなた様と私だけが無事漂着できたのです」

 この言葉で、サルタヒコは自分がニニギたちの一行にだまされ、ウズメと二人この地に取り残されたことを悟った。

「おぬしら、この私をたぶらかしたな!」

 サルタヒコが怒りに任せて右手を振り上げると、ウズメは思わず身をすくめた。しかしいつまで経っても、激しい殴打は襲ってこない。

「一つだけ聞かせてくれ。最初からこのような計画だったのか?」

 代わりに、落ち着きを取り戻した声がウズメの頭上から降ってくる。

「ニニギ様が出雲の国に行かれることは、天つ国にとっても、ニニギ様にとっても、好ましいことではありません。族長様はそう考えておられました」

「そうか」

 サルタヒコはしばらく放心していたが、やがて自嘲気味に笑いだした。

「フッフッフ……。我が一族は出雲の支配権をスサノオ王に奪われた。そして私はその使いとして天つ国まで参り、とんだ道化を演じたわけだな」

「え、あなた様は本当に偉いお方だったのですか?」

 ウズメがぽかんと口を開ける。

「だから最初からそう言っておろう」

 泣き笑いするサルタヒコの瞳から涙がこぼれる。その姿をじっと見ていたウズメが、その細い指で巨木のようなサルタヒコの両腕をつかんだ。

「ニニギ様は海難事故にあわれ、亡くなられたのです。今後、天つ国に戻られることもないでしょう。あなたにはそれを出雲の国に報告しに帰る責務があるはずです」

「悪いが、それはできない。私一人で出雲に帰っても、私が天津国まで行ってニニギ様を迎え入れたと証言してくれる者が他にいないのだ」

 たしかにサルタヒコ一人では、役目を放棄して途中で戻ってきただけにしか見えないだろう。

「それならば私も一緒に参りましょう。私にも天つ国の人間として、ニニギ様の最期を出雲の国にお伝えする責務がありますので」

 ウズメのまなざしは真剣そのものだ。その顔をじっと見ていたサルタヒコがおもむろに口を開いた。

「おぬし、なかなかいい女だな」

「もしかして今ごろ気づかれたのですか?」

 ウズメの言葉を聞いて、サルタヒコが楽しそうに笑いだした。それにつられてウズメも笑う。

 こうして天孫降臨の一行に取り残された二人は出雲の国に向かい、ニニギの死を報告することになった。

 報告を受けたスサノオは、任務をまっとうできなかったサルタヒコをウズメとともに国外追放にした。スサノオは一見粗暴に見えて、一代で出雲の国を乗っ取った智略の人でもある。旧支配者の一族で、民からの信頼も厚いサルタヒコを誅すれば、その反感が自分に向かうことをよく理解していた。

 その後二人は再び伊勢の地に戻り、そこで結ばれた。ウズメは婚姻を機に、その名をサルメへと変えた。

 なお記紀では、サルタヒコはニニギを九州まで送り届けてから、伊勢に向かったことになっている。ここでは物語の都合上、一部改変したことをお詫びしておく。

 現在、サルタヒコとサルメを祀る猿田彦神社は伊勢神宮内宮の宇治橋前から北に十分ほど歩いた場所にあり、宮司を代々務める宇治土公(うじとこ)家は二人の直系の子孫だと言われている。本殿には猿田彦(さるたひこ)大神が祀られ、それと向かい合うようにして佐瑠女(さるめ)神社が鎮座している。

 サルメは死してなお、夫と寄り添い、伊勢神宮内宮に祀られたアマテラスのそばに控えているのである。

 なお、アマテラスが崩御したのは西暦154年9月25日、朝のことだった。この日、オッポルツェル日食番号3267の皆既日食が本州中部を午前中に斜断したことが分かっている。天もその死を悼んだのかもしれない。

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