-頭痛の種-
* * *
「――天音中佐が、俺にこのチケットを?」
救世主(?)となった血炉と別れた後。命からがら執務室へ戻った二人は、怪訝な表情を浮かべていた牙雲を格納庫まで呼び出した。
「オレたち、このチケットのせいでひどい目に遭ったんスから。ちゃんと受け取ってください!」
上官の掌へ預かり物を押し付けるも、牙雲はずっと口をもごもごとさせている。
「もしかして他の予定でも入ってるんスか?」
「ああ、どうしても外せない所用があって。天音中佐からのご厚意は、その、大変ありがたいのだが」
上官に声をかけられた場合、普段の彼なら二つ返事で了承を返すだろう。もし応えられなかったとしても、埋め合わせや代替案を出すはずだ。
すると、歯切れ悪く答える彼に澪が淡々と返す。
「牙雲少佐にこちらを受け取ってもらえなければ、おれは天音中佐との約束を果たせません」
「……分かった。天音中佐には丁重な断りを入れておこう。チケットも俺から直接お返しする」
深い溜息を残すと、牙雲はこめかみを押さえながら執務室へ戻っていった。
「みんながあれだけチケット欲しがってるのに。少佐も澪も案外ドライだよなぁ」
「おれは、牙雲少佐の気持ちが理解できる」
「どういうこと?」
「天音中佐は気にしていないが、あの部隊は独特の雰囲気というか……第四部隊の隊員と会えば、分かるかもしれないけれど」
「ふーん、機会があれば話してみるか。で、澪は結局ライブ行くの?」
「迷っている。牙雲少佐も言っていたように、これはあの人の厚意だから」
「特等席だし、いなかったらバレるもんな。他に予定がないなら出た方がいいんじゃないか?」
「そうだね。おれも天音中佐を悲しませたいとは思ってない」
「……澪くんさぁ、ぜったい中佐のこと好きだろ」
「上官としてはいい人だって前にも、」
「ハイハイ、今はそういうことにしとくよ」
感情を顔に出さない彼は、その眼差しに多くを含んでいるらしい。見つめているそれがただの紙切れだと思ったら、とうに懐深くに埋められているはずだ。
ニヤニヤしている自分の横を、澪が何度も首を傾げながら通り過ぎていった。
* * *
翌日。チケット争奪戦の勝者は鳴りをひそめ、敗者たちが廊下のそこかしこで管を巻いている。
第五部隊にも天音のファンがいたのか、執務室の中も同じような雰囲気だ。唯一昨日と異なるのは、広い机にいる牙雲が冴えない表情をしていたことだ。
「おはようございます。少佐、なんか元気ないっスね?」
「そんなことはない」
「いや、オレが部屋に入ってからもう三回ぐらい溜息ついてますけど。幸せ逃げちゃいますよ」
「余計な世話だ」
「オレでいいなら話ぐらい聞きましょうか」
言った傍から盛大な溜息をついた上官に肩をすくめる。すると、眉間に皺を寄せた牙雲が椅子からおもむろに立ち上がった。
視線に促されてついて行けば、格納庫の扉を閉めた彼が重い口を開く。
「昨日、澪から受け取ったチケットを返しに行こうと思ったのだが、天音中佐のいる執務室を訪れるのがどうにも憚られて」
牙雲の立場上、上官への挨拶ぐらいは慣れたものだろう。ただ、天音だけは例外らしい。てっきりチケットを贈るような親しい仲だと思っていたが、話は複雑なようだ。
「天音中佐と何かあったんスね」
「いや、あの人が悪い訳ではない。単に俺の受け取り方の問題だ。しかし、気持ちをいただいた以上は直接断りを入れるべきで……ううむ、ここは腹を括らなければ」
「解決にはならないかもしれないっスけど、一緒に行きましょうか? まだ第四部隊の人には正式に会ったことなかったんで、オレも挨拶したいと思ってましたし」
「もし俺に何かあったら、後を頼むぞ」
「え、人に会うだけですよね? さすがに深刻過ぎませんか」
「深刻かどうかはお前も行けば分かる」
どこか虚ろな目をした牙雲は、おぼつかない足取りでその場を去った。
* * *
牙雲と共に席を外すことを澪に言付け、紅葉は第四部隊の執務室がある階層を訪れた。これまでも戦地と本部を行き来している隊員はいたのだろうが、彼らとの交流はほとんどない。
「第四部隊の執務室って、こんなに奥まったところにあったんスね」
「昔は連絡通路のすぐ近くだったぞ。ただ、天音中佐見たさに人が押し寄せて床が崩れかけたせいで、場所を移動したらしい」
他愛のない会話を交わしていると、廊下で第四部隊の隊員たちが忙しなく催し物の準備をしている姿が見えた。照明器具、音響装置、その他は何に使うのか見当もつかない大型の機材が運び出されていく。
「第三部隊もなかなかでしたけど、こっちもやたらと貴重資源を食いそうな設備だなぁ。催し物のためだけにこれを?」
「実態については噂も含めて様々な話を聞くが、ライブで使われる装飾はどれも軍事転用するための試験装置だそうだ」
「そういうイベントに資源使うなら、時平さんがちゃんと着られる軍服ぐらい作ってあげたらいいのに」
「ふん、アイツは単に腹を見せたいだけだろ。冷えて風邪でも引いてしまえ――さあ、着いたぞ」
廊下の突き当たりにあったのは、第四部隊の執務室に通じる扉だ。取っ手の横には淡い桃色のリボンが結びつけられた呼び鈴がかかっている。
牙雲がそれを鳴らすと、開いた隙間から女性隊員が顔を出した。軍服姿には似つかわしくない、いささか大ぶり過ぎるフリルが施された髪留めが目立っている。
「おはようございます、牙雲少佐!」
「おはよう。これから天音中佐にお会いできるだろうか。急な話ゆえ、もし都合が悪ければ出直、」
「――牙雲少佐はいつでもお通しするように言われていますので! 同行の方もよければ一緒にどうぞ」
牙雲の台詞を遮り、彼女はすぐに自分たちを中へ通した。なぜか自分の上官は顔パスらしい。
――そういえば、他の戦闘部隊の執務室へ入るのはこれが初めてだ。
第五部隊の部屋は牙雲の性格を表すように整然としている。出撃前夜でもない限り、掃除も行き届いていて、乱れた箇所は一つもない。
一方、天音の率いる第四部隊は軍の中でもかなり変わっていると思われた。まず、何より壁がおかしい。
「す、すごい! 天音中佐の貼り紙だらけだ! 棚に置いてあるのも衣装用の布とか飾りとかだし、そっちは当日配布用のチラシじゃないですか」
壁面を埋め尽くす彼女の貼り紙はまだいいとして。辺りにはライブのためにこしらえられた雑貨が散乱している。この部屋にいる隊員にとってはこれが日常のようだ。
近くにいた隊員たちは、その雑貨を押し退けて作った場所で議論を交わしている。
「……いや、アングルを考えると登場はこっちからの方が絶対いいです!!」
「そこだと照明が暗いなぁ。上手側、もっと照度を増やせないか?」
「音響の関係もあるから位置を調整しましょう。動線は装飾を動かせばスペース確保できそうね」
「それなら天音ちゃんに伝えておかないと、午後のリハに間に合わないぞ」
「ならボク行ってきます!」
「ダメダメ、私が行くんだから!」
「何言ってんだよ、天音ちゃんのアシスタントは俺だ!」
「じゃあもう皆で行きましょう!」
「「了解ーーっ!」」
――ここは本当に軍事機関なのだろうか?
にこやかに横を走り去っていく隊員たちを、紅葉は唖然とした顔で見送るしかなかった。




