-S席チケット争奪戦-
* * *
天音の凱旋ライブが決定した翌日。牙雲から頼まれた用事で廊下に出た紅葉は大きな違和感を覚えていた。
「んー、晴れ時々雨って感じだな」
変わったことと言えば、第四部隊が帰還してから数時間後にチケットの発売予定日が公開されたことぐらいだ。だが、発売日は明日になっており、それ以外は特段内部で大きな出来事があったようには見られない。
ただ、すれ違う隊員の表情には明らかな落差が見えた。ある者が石畳の階段を足取り軽く上がっていったかと思えば、すれ違いに死んだ目をした隊員が肩を落として歩いている。今朝訪れた食堂でも、執務室へ向かう廊下でも同じような光景ばかりだった。
飛翼がいれば事情を尋ねられたが、昨夜は第六部隊総出で早朝訓練があったらしい。自分が起きた時には、既に寝台はもぬけの殻だった。
「ん? あれ、澪のヤツじゃん」
中央の螺旋階段を挟んだ向かいの廊下を同僚が歩いている。ただ、彼は何度も後ろを振り返っては、立ち止まって周囲を確認していた。
彼に気づかれないよう、踵を返して上の階へ走る。吹き抜けの空間から下を覗き込めば、細い通路へ入っていく澪の背中が見えた。
「なにコソコソやってんだろ。ちょっと探ってみよ」
* * *
澪が消えた通路の脇で、紅葉はしばらく壁に背中を預けていた。この先は行き止まりで、待っていれば確実に彼を捕まえることができる。
奥の方でゆっくりと扉の開く音がした。二つの足音がこちらに向かってくる。ただ、こつこつと小気味よい音を立てるのは踵の高い靴――間違いなく女性だ。
「やりぃ、後つけて大正解じゃん!」
彼も隅に置けない男だ。きっと“カノジョ”に呼び出されてこっそり会いに来ていたのだろう。相手の顔を拝もうと、近くにあった柱の陰へまた隠れる。
「異動もあってしばらく顔が見られなかったけど、ここで会えて良かったわ。これからもがんばってね!」
どうやら笑ってばかりもいられないらしい。通路から出てきた二人の姿に、紅葉は思わず両手で口を塞いだ。
「ウソだろ? あれって天音中佐!?」
あの朴念仁がまさかドラーグドの《アイドル》と秘密裏に会っていたなんて。
一方、澪は自分の気も知らずにぼんやりとした顔で天音を見送っている。手を振る彼女の姿が廊下の角に消えると、彼は何かを懐に収めて歩き出そうとした。
「おい、澪っ! 今のどういうこと?」
「……! どうしてここに」
飛び出してきた自分に、澪が伏し目がちな瞳を見開いている。
「お前、ホントに天音中佐と付き合ってんの!?」
「紅葉、少し声を抑えてくれ」
「いやいやいや、そりゃムリだろ?」
「……事情を話す。こっちに来て」
苦い顔を見せた彼に連れられ、元来た道にあった資料室へ入る。興奮冷めやらぬ自分を前にした相手は小さな溜息をついていた。
「さっきの話は紅葉の勘違いだ。俺と中佐は、他人に詮索されるような間柄ではない」
「じゃあ、なんでこんなところで隠れて会ってたんだよ」
「あの人から私的な預かりものをしただけ。これが証拠」
澪が差し出したのは薄桃色の封筒だ。中には二枚の紙切れが入っている。
「これって例のライブチケットじゃん! けどまだ発売前だろ?」
「確かに発売日は明日だ。だが、今日の早朝には既に購入の整理券が配られて、一時間もしないうちに配布終了したらしい」
「そんなのアリかよ!?」
本部の隊員たちの表情に明暗があった理由がやっと理解できた。現時点でチケット争奪戦の“勝敗”が既に決していたからだ。
「ってかこのチケット、関係者席の横にある特等席だよな。逆になんで中佐は澪にこんなもの渡すの?」
「一枚はおれが第五部隊で精鋭になったお祝いだと言っていた」
「それならわかるけど、もう一つは?」
「牙雲少佐にどうしても渡してほしいと頼まれた」
「……いや、ちょっと、情報過多じゃない? オレついていけてないわ」
「どうして? 天音中佐がおれと牙雲少佐にチケットをくれただけ、」
「オレが聞きたいのは! なんで天音中佐が牙雲少佐に! チケット渡すのかってことだってば!」
思わず詰め寄ると、澪が迷惑そうに両手で耳を塞いでいた。これは下手をすれば上官同士のとんでもないスキャンダルだ。しかし、真相を追いかけようとした時、ふと別の事実に気付く。
「待てよ? もしかして、オレはチケット買えなかったからライブに参加できないってこと?」
「そうだね」
「わーー! オレも行きたかったのに!! 完全に出遅れたし、整理券配布とか聞いてないし、初参加に優しくないな!」
「もう戻っていい? 中抜けしてるから、遅くなると少佐に怒られる」
「わーん! 澪くんズルいぞ~~!!」
「今日の紅葉、本当に面倒くさい」
押しのけようとする相手の肩にしがみつきながら、紅葉は泣く泣く部屋を後にした。
* * *
すっかり忘れていた牙雲の頼み事をこなした後。紅葉は片手に備品を抱えながら、横を歩く相手にしばらく絡んでいた。
「なあ、澪は天音中佐のライブって何回行ったことあんの?」
「第四部隊の人に誘われて、拠点開催の会に三回ぐらいは」
「やっぱ楽しかった? 中佐ってめっちゃ歌上手いんだろ」
「他の人はとても楽しそうだった。でも、おれはあまり興味がない」
「うわ、贅沢言っちゃってさぁ。行けない人もたくさんいるのに、S席チケットをタダでもらえるなんてイイなぁ。澪くん、興味ないならその封筒の中身オレにくれない?」
中央の螺旋階段を上りながら半分冗談、半分本気で尋ねてみる。すると、澪がはたと足を止めた。
「紅葉。この場で今の話をするのは、まずい」
「へ?」
ぽかんとした自分とは対照的に、振り返った相手の瞳が急速に見開かれる。
「え、急にどうし……うわぁあッ!?」
突如、自分たちの間を何かが掠めた。咄嗟に身を翻すと、連絡通路の先で爛々と目を輝かせた隊員が拳を構えている。次の瞬間、こちらに数発の気弾が放たれていた。
「ちょっ、なんで!?」
先行していた澪が無言で自分の腕を強く引く。階段を駆け抜けると、自分たちを追ってきた隊員が狂気めいた表情で叫んだ。
「ボクに!! 天音ちゃんの!! S席チケットを寄越せえええぇえッ――!!」
「わああぁッ!! 暴力反対っ!」
絶対におかしい。澪も自分も逃げ足は早い方だが、後ろから追ってきた隊員の移動速度が尋常ではない。十分な距離を保っていたはずが、既に軍服の裾を掴まれそうなところにまで迫られている。
「落ち着いて、チケット持ってるのはオレじゃないから!」
「隠しても無駄だぞ! おまえを殺してでも奪うからなッ!!」
「み、澪っ、この人どうにかして!!」
暴れる隊員を螺旋階段の踊り場でどうにか押さえつける。だが、どこからともなく蒼い群れが自分たちを取り囲むように現れた。その場の誰もが腕に鱗を浮かべながら、舌なめずりをしている。
「あのさぁ、地獄耳過ぎない? それにみんな目ぇマジになってるんだけど?」
「もう手遅れだ。おれたち、本当に殺されるかもしれない」
「変な冗談言うのやめろよ。ライブのチケットぐらいで死人が出るとか、そんな大げさな」
「……おれが見た限り、全員爪が出てる」
「あー、そうなの? ってことは」
無数の視線が全身にぐさぐさと刺さっていく。嫌な感覚に引き攣った笑みを返せば、澪が生唾を呑み込んだ。彼の顔からは表情だけでなく血の気まで失せている。そして――
「総員、今すぐかかれぇーーッ!!」
「「「うおぉおおおーーーーッ!!」」」
沈黙を破ったのは、血走った目をした敗者たちの雄叫びだった。彼らは四方から踊り場にいる自分たちへ襲い掛かってくる。
「それは俺のS席チケットだぁああッ!!」
「ぎゃーーっ!! やっぱりこの人たち本気で殺りにきてる!!」
「だからチケットの話はしないでって言ったのに。早く逃げないと!」
「ま、待ってくれよ!! ……わっ! やめろ、放せってば!」
「コロス! コロス!」
「チケット! 寄越セ!」
「キェーーーーッ!!」
「急に理性なくなり過ぎじゃない!? もうやだこの軍……!!」




