-スーパーアイドル登場!-
「今日の修練はここまでだ。各自、指摘点は次回までに改善するように」
白い霧に覆われた山間で額に滲む汗を拭う。冷えた空気に晒されながらの激しい稽古はさすがに堪えた。精鋭には一般の隊員がこなす訓練に加え、さらに個別の課題が用意されている。牙雲から課された内容をやり切った後はいつもヘトヘトだ。
立ち並ぶ無数の針葉樹を見て、紅葉は大きな溜息をついた。
「澪、歩きながら寝落ちしそうじゃん」
「……とても疲れた」
「オレも本部まで辿り着けないかも。修練場の設備点検、いつ終わるんだろうな」
今、自分たちがいるのは屋外演習場だ。ここ数日、地下修練場が閉鎖されているせいで不便極まりない。そこならすぐに汗を流したり、執務室へ戻るのも楽なのだが――
「紅葉、何をダラダラと歩いているんだ!」
「わっ! びっくりさせないでくださいよ、少佐!」
「さっさと走って戻れ」
「なんでオレだけ怒るんスか、澪だって横に――アレ?」
ずっと目を擦りながら隣を歩いていたはずの同僚が、いつの間にか林の向こうへ駆けていく。また彼にしてやられたらしい。
「お前は本当に次から次へと口答えばかりで」
「ハイハイ、わかりましたよ! すぐ行きますって」
「『はい』は一回だろ!」
小言の追撃を食らいつつ、疲弊した身体を引きずって林道へ逃げ込む。やっとの思いで本部の玄関口に辿り着いた時だった。
「うわ、なんか見覚えのある景色だな」
通用門を潜って戻ってきた矢先、石畳の床を埋め尽くしていたのは蒼の群れだ。脳裏には第三部隊の砲台が運び込まれてきた時の記憶が蘇る。
「ウェスカー中佐が戻ってきたんスかねぇ」
「いや、第三部隊はまだ中央区画にいるはずだ」
「あ、そうなんスか。情報入ってくるの早いっスね」
「常にウェスカー中佐の動向を気にかけておくのは、ファンクラブの者として当然の務めだからな!」
今回のギャラリーは以前の顔ぶれとは異なっている。前回は女性ばかりだったが、ここにいる隊員は性別も部隊も関係なしだ。
「じゃあこの人だかりは一体?」
疑問へ答えるように、正門にある重たい鉄の扉が鈍く軋みながら開く。霧と共に現れたのは無数の人影だ。そして、その先頭には一人の隊員が立っていた。
浮かび上がったシルエットに玄関口が割れんばかりの拍手に包まれる。反響する歓声に答えたのは、それに負けない声量だった。
「本部のみんなーっ! ただいまー!!」
「「「おかえりなさーい!!」」」
熱狂的な声援の先にいたのは、こちらに向かってにこやかに手を振る女性だ。緩く波打つ柔らかな金髪が、出迎えの前で嬉しそうに跳ねている。くりんとカールした睫毛に縁取られたヘーゼルの瞳は、瞬きで零れ落ちそうな大きさだ。
ずらりと並んだギャラリーを見渡すと、彼女は可憐な容姿に花開くような笑みを浮かべた。
「元気な声援ありがとう! 本部は一年ぶりぐらいかしら? 長期の拠点巡回ツアーも楽しかったけど、アタシはココのみんなにもずっと会いたかったの~!」
「「「わーーーー!!」」」
「うおー!! ドラーグドの《アイドル》が帰ってきたぞーー!!」
「おかえり天音ちゃーーん!!
太い声援に振り返れば、妙に体格のいい隊員が自分を押しやって前に出てくる。おそらく第六部隊の者だろう。
「そこ、危ないから下がって下がって!」
各所で盛り上がったギャラリーの一部が同じように前へ向かおうとしていた。ただ、いつの間にか彼女を取り囲むように立っていた隊員たちに押し戻される。さながら専属のボディーガードだ。
そして、その後ろではなぜか小型の照明機器を持った複数の隊員が、四方から彼女にスポットライトを当てていた。
しばらくは異様な光景に気圧されていたものの、『天音』と呼ばれた彼女の姿にはふと既視感を覚える。記憶を手繰り寄せて思い出したのは、とある掲示物だ。
「少佐、あの人ってドラーグドの隊員募集の貼り紙に載ってませんでしたか?」
「そうだな。天音中佐は軍の広報活動にも一役買っている。ドラーグドの中で最も著名な方だと言っても過言ではない」
「じゃあオレたちの上官なんスね」
「うむ。あの方はドラーグドで最も多くの隊員を率いている《第四部隊》の部隊長だからな」
「おれもあの人には世話になった」
「わっ!? 澪、いつの間に戻ってきたんだよ」
「玄関口に着いた時から横にいた」
「いや気付かなかったわ」
天音に視線を戻せば、左袖には確かに白い腕章が巻かれている。文様はウェスカーとまったく同じものだ。
「第三部隊も普通とはかけ離れてましたけど、こっちもこっちで全然方向が違う感じっスね」
「俺が聞いた話では、天音中佐はもともと軍の式典や催事に出る声楽隊の一人だったらしい」
「それが今では戦闘部隊の将校って、めちゃくちゃ異色の経歴だなぁ」
牙雲によれば、天音は特殊な歌唱技法を操り、争いを一時的に無血で止める可能性を軍から見染められたらしい。それ以来、通常の方法では攻略の難しい地域や遊撃部隊としての役割に抜擢され、今の地位になったのだという。
「そうして色々な拠点を回っているうちに、たくさんのファンができたそうだ」
「じゃあここに集まってる人って、通りがかったオレたち以外のほとんどが天音中佐のファンクラブ会員だったりして?」
「お前もたまには察しがいい」
「マジっスか……この軍、どんだけファンクラブあるんだろ」
非公式も含めると様々ありそうだが――少なくとも、集まった隊員の数と熱狂ぶりを見る限り、天音の魅力が軍で随一なのは事実のようだ。
「そういや、澪はもともと第四部隊だったんだよな。天音中佐ってどんな感じの人?」
「あの人は活力に溢れていて、底抜けに明るい。部隊が疲弊しかけている時にも、呼びかけられると気力が湧いてくるという隊員がたくさんいた」
「あー、わかる気がする。疲れてても、あんなキラキラした笑顔向けられたらオレもがんばれるわ」
「あの人の顔はおれも可愛いと思う」
「お? 意外と面食い?」
「……おれは事実を言っただけ」
「ふふーん? 澪くんはカワイイ系がタイプかぁ――でも、天音中佐がそんなにいい上官だったなら、なんで澪は第五部隊に来たんだ?」
「それは、」
相手が珍しく返事に口ごもっていた時。少し落ち着いていた周囲が再び騒がしくなる。
「――あのね、今日ここに集まってくれたみんなにお知らせがあるの。実は、一週間後に地下修練場を借りて、凱旋ライブを開催することになりました!」
天音からの報告に、大きな拍手と声援が吹き向けの空間を通じて木霊する。地下修練場が使えなくなっていたのは、その準備が理由だったらしい。
「けど、修練場って本部の全員を収容できる規模がないのよねぇ。だから今回はチケット制でライブを楽しんでほしいんだ。席は先着順で、購入方法については第四部隊の方で案内するから! よかったら会いに来てね♡」
「「「天音ちゃーん! 絶対行きまーす♡♡♡」」」
隊員――いや、会員たちが天音の投げキッスに今日一番の歓声を上げる。彼らに見送られながら、ドラーグドの《アイドル》は上層階へと消えていった。
「さあ戻ろ……って思いましたけど、この列が終わるまで帰れそうにないな。第四部隊ってホントに大所帯っスね」
「対となる第三部隊が隊員を持たない方針だからな。その分、天音中佐が彼らの面倒を見ているのだろう」
「せめて書類処理要員だけでも持ってもらえれば、オレたちも苦労しないのに」
溜息交じりの愚痴について、牙雲は地獄耳を意図的に封じているらしい。上官の態度に肩をすくめると、紅葉は彼女に続く隊員を指折り数えていた。




