-ご機嫌ナナメの少佐殿-
「あーあ、疲れたなぁ」
黒い塔から伸びる吹きさらしの鉄橋を渡った先。隊員たちの寄宿舎にある一室で、紅葉は簡素な寝台に背中を預けていた。
「どうしたの、紅葉。訓練で何かあった?」
殺風景な天井から視線を移せば、隣で薄桃色の髪を持つ青年が首を傾げている。
彼は自分の同期でルームメイトの『飛翼』だ。飛翼とは集落にいた頃からの幼馴染で、ドラーグドに入る前の訓練生時代も一緒に過ごしてきた仲だった。
そんな気心の知れた相手に、つい溜息交じりの愚痴をこぼす。
「机仕事でうちの少佐から“お小言”をたんまりいただいたんだよ。今日は特にご機嫌ナナメでさ」
「また牙雲少佐を怒らせるようなことしたんでしょ」
「違うってば。あんまりにも書類の突き返しが多かったから、さすがにおかしいと思って部隊の人に訳を聞いてみたんだ。そしたら、原因は今朝出てた『通達』のせいだったんだよ」
「そういえば『一週間後に第五部隊と第六部隊で屋外の合同演習を行う』って話があったね」
「そう、それのこと! うちの少佐と飛翼の部隊にいる時平さん、実は犬猿の仲なんだって。だから不機嫌だったみたい」
寝台で軍服を畳んでいた飛翼が、そんな噂に驚いた顔を見せた。
「え、そうなの? 時平少佐が、その……ちょっと顔が怖いせいで、牙雲少佐と並んだ時に目つきが悪そうに見えたとかじゃなく?」
「や、うちの部隊で歴の長い人に聞いたから、不仲だってのはホントなんだと思う。うちの少佐は何がそんなに気に入らないのかなぁ。時平さん、話せば普通にイイ人なんだけど」
初陣で重傷を負った自分は、部隊復帰までに約二ヶ月を要した。その間は手持ち無沙汰もあり、病室へ入って来た相手に声をかけていたのだ。そのうちに顔見知りになった一人が、話に挙がっている『時平』だった。
第六部隊を率いる彼はもう一人の《少佐》であり、ドラーグドの中でも屈指の肉体派として名高い。壁とも見紛う筋骨隆々の巨体と、厳つさを助長する鋭い眼光は、自分が当初思い描いていた上官の見た目に近かった。
「センパイに聞いたら、あの二人は同期配属で、隊員時代の頃からずっと手柄を張り合ってるみたい。前回の合同演習でも訓練の進め方で大喧嘩してたって話だし」
「ぼくの部隊の役割や方針って、紅葉たちとは真逆だもんね」
「うちの部隊の人からも『第六部隊は目が合っただけで難癖つけて来るような問題児ばっかりだから、あまり付き合うな』なんて言われちゃってさ。どう返したらいいのかわかんなくて」
「あはは、ぼくも立派な問題児かぁ。ちょっと悲しいって思うべきか、箔がついたっていうべきか」
「ただ、なんで飛翼がそこに配属されたのかは謎だよなぁ。そっちはうまくやれてんの?」
「うーん、ボコボコになるまではいかないよ。ただ、第六部隊の訓練は体力的に結構きついし、同じ部隊の人たちを見てると、体格では紅葉が配属された方が自然だったかも」
本人も言うように、飛翼は竜人の中でもかなり小柄で華奢な体つきだ。しかも、大きな翡翠の瞳に小さな鼻と、桜色の唇を持つ面持ちは幼気な少女にも見える。気弱な性格も相まって、とても軍人には似つかわしくない。
そして、彼は緊張すると他の竜人のように鱗を生やすのではなく、硬直したまま卒倒してしまう厄介な発作を抱えていた。昔から極度の人見知りだったのも、その難儀な体質に影響していそうだ。
ただ、長く付き合いのある自分とは気兼ねなく会話できる間柄だったので、同期配属の隊員が偶然ルームメイトになったのは、軍の配慮だったのだろう。すると、今度は寝台の上で膝を抱えていた彼が小さな溜息をこぼす。
「どうした?」
「よく考えたら、合同演習ってことは知らない人がたくさんいるんだよね? 紅葉の部隊の人とはあんまり面識ないし、久しぶりに緊張しちゃうかも。今からちょっと憂鬱だなぁ」
「そんなこと言うなって。最近は倒れることも減ったんだろ?」
「最初よりはマシになったよ。入隊から半年ぐらい経つし、時平少佐に面倒を見てもらえたおかげで部隊の雰囲気にも慣れてきたし」
はにかむ飛翼に、紅葉も大きく頷き返す。そもそも、自分と時平が顔見知りになった理由は、飛翼が強面の上官に怯えてしまい、しょっちゅう発作を起こして病室に担ぎ込まれていたからだ。
だが、彼は自身の発作を克服するため、あえて厳しい環境に身を置いた。他人に迷惑をかけてばかりだった自分を変えようと、戦闘部隊の隊員として自ら志願した心根の強さは人一倍だ。
その証拠に、飛竜族の血を引く彼は、鍛えられた大柄な隊員がひしめく中で、空中戦の機動力を持って一定の地位を確立したらしい。最初は皆を困らせていたが、時平が目をかけてくれたおかげで部隊から認められたのだと言っていた。
「合わなそうな部隊でもやれてるのってスゴいよなぁ。オレ、第五部隊のなんでも真面目にやんなきゃっていう空気がキツくて。うちの少佐って規律にすげぇ厳しいし、最近は出撃要請があっても偵察任務に入れられてばっかりで滅入ってるんだ」
「きっと牙雲少佐が気を遣ってるんだよ。初陣で紅葉が大ケガしたから、戦いに出すのは慎重になってるのかも」
「もう全然大丈夫なのに、ホント心配症だよなぁ」
「今度の合同演習でがんばったら、牙雲少佐も安心してくれるんじゃない?」
「どうだろう。だったらいっそオレと飛翼の部隊、交代してみる? 時平さんたちと侵攻戦に出られるなら、オレもちょっとは前で活躍できそうだし」
「やだよ! 上官が変わったらまた緊張しちゃうもん」
「いや、ほんの冗談だって。オレは第五部隊にいるつもりだからさ」
「さっきまで小言ばっかりでうんざりだって言ってたのに。牙雲少佐のことは苦手じゃないの?」
「うちの少佐がオレのこと大好きなんだよ」
「ホントぉ?」
「だって一時間に一回はオレに声かけてくるんだぜ? ま、全部小言だけど」
他愛のない会話を交わしていると、あっという間に就寝時間だ。布団に潜りながら、紅葉は隣の寝台に向かって笑みを見せた。
「へへ、飛翼がルームメイトで良かった。こうやって話聞いてくれるし、遅刻しそうでも起こしてくれるじゃん」
「ぼくを目覚まし時計代わりにして。昔から変わらないなぁ」
「オレさ、そんな感じでずっと飛翼とダチでいたいから、あんまり人の話は気にしないでおくよ」
「そうだね。少佐たちや部隊は仲が悪いのかもしれないけど、ぼくたちはこうして話せるもんね」
「だよな。じゃ、そろそろ寝るか!」
「寝る前に明日の準備しておきなよ」
「うーん、まあ、起きてからでなんとかなるっしょ」
「そういうとこが遅刻の原因なんだってば」
「ちぇっ。部屋に来てまで小言は勘弁して欲しいわ」
起き上がった自分が口を尖らせると、飛翼がくすくすと笑いながら寝床へ入る。
夜も更けてきた。欠伸を一つすると、放っていた軍服を椅子に掛け直してから、紅葉は部屋の明かりを落とした。