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蒼い背中  作者: kagedo
EP.5 精鋭選抜試験編
88/168

-どっちつかず-




* * *




 ひゅ、と音を立てて赤い拳が空を切る。対峙した相手が回避のために後ろへ飛んだ。ただ、自らの間合いへ誘い込もうとする動きは見えている。灰の壁際まで逃れた浅葱色の鱗を前に、紅葉はその場で踏み留まった。


「今日は真っ直ぐ来ないんだね」

「前も同じ展開でフェイントかけられまくってたからなぁ。さすがにこっちも考えるわ」

「なら、おれも少し頭を使わないと、かな」


 群青色の瞳がすっと細められる。それを見た紅葉も小さな笑みを返した。


 ――選抜試験の結果発表から数日後。共に精鋭となった澪との手合わせは、あの時以来だった。


 二度目の結果通知を見て、嬉しさのあまり抱きついた彼から冷ややかな視線を受けたのは記憶に新しい。それと比べたら今は随分と優しい眼差しだ。


 互いに出方を伺い、膠着状態が続いている。時間を置けば追い詰めた意味がなくなりそうだ。


 自分をじっと見つめる視線が、わずかに端へ逸れた時。


「もらった!」

「……あ、」


 首筋へ届いた爪に相手が息を呑む。ゆっくりと両手を挙げた彼を見て、紅葉はその場で飛び跳ねた。


「よっしゃ! やっと澪に勝てた!!」

「まだおれが勝ち越してるけどね」

「いやいや、これから逆転するし?」

「そう、がんばって」

「同じ精鋭だろー、なんでちょっと上から目線なんだよ!」

「おれの方が成績が良かったのは、事実だから」


 にべもなく返すその口に勝つには、もう少しかかりそうだ。しかし、朴念仁の彼も手合わせ自体は楽しんでいたらしい。


「紅葉はおれの動きをよく見てる。おかげで無意識に取ってしまう癖があるとわかった」

「まー、同じ相手と何回も戦うって実際にはそうないけどさ」


 澪もそれにこくりと頷いた。稽古の間であれば静止もやり直しもできる。だが、戦場では一瞬の失敗が命取りだ。


 精鋭の肩書きがついたからと言って、自分が勝手に強くなるわけでも、敵が弱体化するわけでもない。この場と違い、戦場で敵を倒す手段にはどんな制約もなかった。


 ――実技試験で対峙した澪が、もし本物の敵だったとしたら。自分は間違いなく死んでいた。


 思い返せば、最後の一戦で交えた彼の瞳には強い負の感情が覗いていた。周りは何も言わなかったから、自分だけにしか見えなかったのだろう。


 その眼差しへ浮かぶ澱みには、強い既視感を抱いていた。記憶が正しければ――あれは“竜”を宿した瞳だった。飆と対峙した時に見た、牙雲のそれと同じ類のものだ。


「……なあ、澪。選抜試験で最後に戦った時、魔法使ってきたじゃん? あれ、オレの勘違いだったらいいんだけど、」

「――理由もないのに、おれは人を傷つけたり殺そうとなんて考えてない」


 質問すら聞かずに彼は欲しい答えを返してきた。どうしたものかと口ごもっていると、澪が先を続ける。


「できるだけ魔法は使いたくなかった。使うにはそれなりの"代償“があるから」

「そっか。澪にも苦手なコトあるんだなぁ」


 試験の制約上、限度を超えた力を使えば失格になる可能性があった。以前は自分も魔力調節が苦手だったので、リスクを恐れる気持ちは理解できる。


 ただ、もし本当に彼が魔法の扱いを不得手としていたならば。あの切迫した状況で自分を害さず、それでいて紅蓮の出力を上回る力をコントロールできるものだろうか。


 すると、頬を伝う汗を拭いながら澪がぽつりと溢した。


「……おれはいつもどっちつかずだ」

「え?」


 少し掠れた声に聞き返すと、彼は小声のまま続きを告げる。


「無力でいるのは嫌だと思っていたのに、いざ力を振るう時になると怖い。自分がこの先何をして、どうしたいのか、たまにわからなくなる」

「や、澪は早く昇格したいって言ってたじゃん? せっかく精鋭になれたんだから、やりたいことはできてるだろ」


 望み通りの結果を得たはずなのに。普段は読めない表情を、澪が露骨に曇らせる。


「……試験に受かるまではおれもそう思っていた。ただ、仮に今より強くなって、将として部隊を率いて、やがて組織の頂へ上り詰めたとして――おれには一体何が残るのだろうか」


 その問いに紅葉は考え込んだ。長い沈黙の間、他の隊員たちに牙雲が指導する声だけが遠くで響いている。彼が不意に紡ぐ疑問は、いつも答えに窮することばかりだ。


「うーん。質問に質問で返して悪いんだけど、澪はなんでそんなこと考えたんだ?」


 苦し紛れの返事に、澪は静かにその場で膝を抱えた。


「全軍円卓会議で《大総統》の姿を見てから、急に怖くなった。おれはあの人のことをよく知らない。だが、あれはまるで“抜け殻”のようだった。いくら強さを得られるのだとしても、おれはあんな姿にはなりたくない」


 ――あれは“人”としての情緒を奪われてしまった《人形》の成れの果てだ。そう告げた澪の顔は、珍しく怯えているようにも見えた。


「以前、おれはこの戦争を早く終わらせたいと言った。そのために力を持つべきことも理解している。この部隊の精鋭になったこと自体は後悔してない。おれは一刻も早く強くなる必要があるから。でも、戦争を終わらせるまでに、おれは遠くない未来でたくさんの争いを経験する。

 ――やっていることが矛盾していないか? 頂に立ったとしても、人を殺め過ぎるとあの人みたいに“抜け殻”になってしまうのか? だったら、おれは一体何のために戦っているんだろう」


 膝頭に額を押し付けた彼がそう呟く。牙雲に認められ、精鋭になれたことは紅葉にとって素直に喜ばしいことだった。その一方で、澪が悩む気持ちも薄らと理解できる。


 澪の願いは『戦争を終わらせる』ことだ。彼は争いを願いの“実現手段”の一つとして見ているのだろう。しかし、その過程で忌むべき行為に加担するのなら、彼はこの先もずっと苦しみ続ける。だからと言って、この時世に生まれた以上は戦の拒絶もできなかった。


「澪みたいに先のことを深く考えてないってのはあるけど――オレは、目の前にいる誰かのために、何かしたいって気持ちだけはずっと持ってる。やっと精鋭になれたから、次は少佐との約束を守りながら、他にやりたいことを探そうと思ってたんだ。で、もし澪が戦争を終わらせたいと思うなら、オレも協力する」


 紅葉は澪の肩へそっと触れた。眠たそうな目尻から、暗い群青が自分を覗く。


「……理由も聞かずに、どうして協力してくれるの?」

「理由もなにも、そもそも戦争なんてない方がイイに決まってるだろ! 争いを止めたいって考えはオレも一緒だしさ」

「なら、おれが争いを止めるために誤った選択をしても、協力するのか」

「あからさまにヤバいことだったら、そりゃあ全力で止める。ただ、その時の選択が正しいかどうかなんて、誰にもわかんないだろ? 後悔だってするかもしれないけど、オレは自分がその選択に納得できるかどうかが大切なんだと思ってる。だから澪が心に決めてることがあるなら、それは否定しないよ」


 戦場で何度も死の淵に立っているからこそ、自分は己が納得いく選択をしたい。


 牙雲から論文について詰められた時も、自分は己の感情を犠牲にしたくないと言った。後で聞いた話では、牙雲が自分を合格にした理由は、そうした自分の考えと言動が戦場でも一致していたからだと言われた。


 そして、試験に受かったのだから、寡黙に見える彼も正しい心根を持っているはずだ。一時的に競った仲とはいえ、同志が悩んでいるのを自分は放っておけなかった。すると、しばらく目を閉じていた澪がゆっくりと顔を上げる。


「……確かに、紅葉の言う通りだ。先の話は誰にもわからない」

「だろ? ま、もしミスったなら気付いた時点で軌道修正ってヤツさ。二人で精鋭になれたんだし、悩みは一緒に解決した方が早いっしょ。で、うれしいことは二倍にすれば最高じゃん」


 言いながら彼の目元にかかった前髪を払う。ちょっかいには動じず、澪はいつものようにこく、と頷いただけだ。ただ、沈んでいた群青に今は淡い光が浮かんでいた。


「それでさ、がんばってホントに昇格したら、カワイイ子にチヤホヤされたいってのも外せないよな」

「……そこは同意しない」

「ええっ、澪くんってばつれないなぁ。将校になったら世界変わるぐらいモテるかもよ? 少佐だってこれからお嫁さん三人もらうって話だし」

「おれは別に困ってないけど」

「それって自分モテてますってこと? なに、もしかしてカノジョいんの?」

「どうだと思う?」

「そんな返事ズルいぞ! どっちだよ、早く教えろってば!」


 澪がにま、と唇を横に引いた。他愛のない軽口を交わしていると、牙雲から集合の号令がかかる。


「ほら、少佐が怒る前に早く行こうぜ」


 膝を抱えていた彼に手を差し出す。伸ばした掌を相手がぐっと掴んだ。弾みをつけた澪が、起きた勢いのまま自分の横を抜けた。


「おれの方が先」

「あっ、ちょっと待てよ! 抜け駆けするなって!」

「……ふふ、冗談。一緒に行こう」






fin.

EP.5の読了、ありがとうございました。

ご評価、ご感想などいただけると励みになります。

EP.6も引き続きお楽しみください。

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