-次の道-
* * *
「――追試の結果を含めた全ての評点となります。ご確認ください」
重厚な造りの机を前に、牙雲は手にしていた資料を差し出した。革張りの椅子へ腰掛けた聖が書類を捲っている。
「おや、少し点が動いたね。紅葉隊員が澪隊員の評価に並んだようだが」
目を通し終えた彼の瞳がきらりと光った。持ち込んだ中身について尋ねられ、牙雲は封筒を握り締める。
「――彼に論文の中身を問い質したところ、あっさりとこう返されました。『自分が部隊長なら、味方の無事は絶対に諦めない。そのためには何でもやる』と」
「気持ちは分かるよ。ただ、現実として、我々ができることには限りがあるという理解も必要だな」
上官に言われずとも、その事実は自身が一番に分かっていた。どれだけ足掻いても敵わない仇や、一人では庇いきれない犠牲がある。それでも。
「……彼はきっと諦めが悪いのでしょう。自分と同じです」
まだ紅葉を過酷な任務に着かせる踏ん切りはついていなかった。やることが危なっかしくて、見ていられないところもある。ただ、彼の心根は誰よりも真っ直ぐだ。打てば響く分、いずれは指導によって実力をつけていくという確信があった。
すると、聖が穏やかな笑みを湛えた顔を向ける。
「精鋭の枠は二つだ。これまでの話を踏まえ、どの隊員を置くかを君は選択しなければならない」
決断の時が迫っていた。牙雲は暗い色の天板を長いこと見つめていた。理性と感情がせめぎ合う。長い目で見たらどの選択が正しいのか。戦場での判断と同じぐらいに、今の自分は悩んでいた。
「もしまだ決めかねているのだとしたら、君にもう一つの“判断材料”を渡そうか」
不意に聖が手にしていた書類を伏せた。
「実は、君に黙って紅葉隊員へ第一部隊に来ないかと声をかけていてね。それで、ここへ来る前に結果を聞いてみたのだが……何と言われたと思う?」
牙雲は身構えた。できることなら、答えは聞かずにこのまま部屋を飛び出してしまいたかった。
彼がこの部隊にいる理由は、自分と些細な約束をしていたからだ。だが、この背中を自分が預けないと理解したならば。彼が次の道を探すというのも仕方ない。
嗚呼、前に病室で余計なことを言わなければ良かった。自分を支えてくれなどと、部下にいらない話をしてしまった。自分の弱さのせいで悪戯に彼を悩ませ、成長の芽を摘んでしまったのではないか。
――いや、思い切りの良い相手のことだから、きっと気に留めていないだろう。腹を括れない上官だと思われ、自分の方が見放されたのかもしれない。
どちらにせよ、答えを聞くのが怖かった。そんな頭の中を見透かされそうで、面した柔和な笑みを見るのも躊躇われる。
逡巡する自分の前で、聖がゆっくりと口を開いた。
「彼の話では――『君の小言に耐えられなくなったら、ぜひお願いします』だそうだ」
「……はい? ええと、それは」
強張らせていた頬からふと力が抜ける。白黒つかない返事をうまく呑み込めずにいると、聖が溜息交じりに口を開いた。
「まったくもって彼は食わせ者だよ。言葉では私を立てながらも、やはり君の所にいたいと言ってきた。ああ返されたら反論のしようがない」
あっけらかんとした顔で答えた部下の姿が鮮明に浮かぶ。当時の自分でさえ喜んで飛びつくような話を断るなんて。彼は一体何を考えているのか。ただ、誘いを断られたのにも関わらず、聖は愉快そうだ。
「私が口を出せるのはここまでだ。後は第五部隊の長である君の判断に任せる」
紅葉の先々を思えば、本当は聖に預けるべきだった。だが、彼自身がそれを望んでいないとするならば。
「――それが君の答えだとすると、どうにも私は“ひどい上官”になってしまいそうだね?」
「申し訳ございません。ですが、今の第五部隊には紅葉と澪が必要だと判断しました」
二枚の経歴書を手にした自分に、聖が冗談めかしてそう返す。ただ、目尻に皺を刻んだ彼は、きっとこの結末を見通していたのだろう。
「君が若い二人を選んだ理由を聞いてもいいかい」
「以前、彼らを足して二で割った隊員がいれば良かったという話をしたかと思います。ただ、見方を変えればどちらも素質がある者です。正しく育てれば、両者とも優秀な隊員となるでしょう。自身の手腕も試されるゆえ、彼らの育成には大きな意義を感じます。
また、今回の選抜試験では、紅葉も澪もお互いを意識しながら成長していました。張り合える相手を置き、切磋琢磨してほしいという点も理由の一つです」
「ふむ。君の“経験則”は嘘をつかないだろう」
「そして、この判断をするにあたり、試験で最も優秀だった隊員に華を持たせて送り出す必要があります。聖大佐、どうかこの希望を通していただきたく」
深々と頭を下げた自分に、聖は頷きと共にいつもの微笑みを返す。
「わかった。では、これで決まりにしよう。隊員たちもやきもきしていただろうし、やっと正式な通達を出せるね」
紅葉の安全を考えると、上官の立場から自分を巧く言いくるめることもできただろう。だが、彼は自分の意思を尊重してくれた。それに応えるため、手元に残した部下を守り、育て上げる覚悟を決める。
それに――内心では、自分でなければ紅葉のことを守れないと思っていた。
もちろん聖のことは信用している。だが、《組織》の判断を耳にしてしまった以上、彼を誰かに預けたら自分はきっと後悔する。損得抜きの考えで自分を選んでくれた彼のことは、絶対に裏切りたくなかった。
すると、それまで椅子に掛けていた聖がふと立ち上がった。
「今日で選抜試験も終わったことだ。次は君の番だよ」
机越しに差し出された紙を見て、牙雲はつい口元をきつく結んだ。目の前に並んでいたのは、自らへ課した試練の詳細だ。
「君は次世代のドラーグドを率いる者としての条件を満たしている。ただ、《覚醒》の力に君が大きな懸念を抱いていると聞いた。私としても、その懸念を解消して次の道へ進んでほしいと考えている。
そこで、君が自身の力をコントロールできるようになるための課題を用意したんだ。特に支援者として手を挙げてくれた"彼女“は、君のためなら喜んで協力すると言っていたよ」
「さ、左様ですか……」
「どうしたんだい? 浮かない顔だね」
「いえ、決してそんなことは! ありがたくご指導賜ります」
そう言いつつも、記されていた名前にはつい苦い顔になる。中央区画の戦闘が落ち着いた今、各拠点を回っていた将たちが、調整のために本部へ一時帰還するという話を聞いていた。
内心、ウェスカーに指導を仰げると淡い期待を抱いていたのだが。聖にはそんな私欲まで見透かされていたのだろうか。
「さてと、君もやることが山積みだろうから、もう戻りなさい」
「はい。長い期間にわたってご協力いただき、ありがとうございました」
広げた書類を集め終えた牙雲は、ゆっくりと瞬きを返す彼に一礼して出口へ向かった。
聖は自分が気負わないよう、好きで精鋭選抜に協力しているのだと言ってくれている。ただ、その実は自分が判断を誤らないように見守っていたのだろう。彼の配慮には頭が下がる。
聖からの期待や新たな精鋭の顔触れを考えると、身が引き締まる思いだった。ドラーグドの名将となり、多くを救うこと。それは、自らがこの世界に生きる意味そのものだ。背負うものが増えるほどに、受け入れる度量も求められる。
与えられた課題に視線を落とせば、着々と目標に近づいている実感が湧いてきた。成長著しい彼らを右腕とするならば、それに相応しい力を持つべきだ。彼らにこの背中を任せ、自身も次の道へ挑まなければ。
銀の髪を束ねた後ろ姿が廊下へ消えた。それを見つめる赤い瞳がそっと伏せられる。
「――いくら他人が干渉しても、切れない縁があるらしい。これが運命というものか」
開かれた扉の先にある未来が、たとえどれだけの苦難に満ちていたとしても。自身ができるのは、横で手を差し伸べることだけ。それを掴むかどうかは彼ら次第だ。
それまでは老兵として、部下から頼まれた後始末をするぐらいが丁度いい。閉ざされた扉を前に、聖は変わらぬ笑みを浮かべていた。




