-呼び出し-
* * *
――誰かが隣で自分の名前を呼んでいる。
だが、今はどうでもいい。返事をするのも億劫だった。それでも相手はまったく諦めてくれない。布団越しに肩を揺すられながら、紅葉はやっと薄目を開けた。
「紅葉、起きて! これまでしばらく遅刻してなかったのに、また怒られちゃうよ」
「うーん。まあ、どうせいつも怒られてるし……ほら、早く行かないと飛翼まで遅刻するぜ」
内心、懸命に自分を起こそうとしている幼馴染には悪いと思っていた。ただ、今は部隊の集まりへ出向く方が余程気が重い。しかし、飛翼はその場に座り込んだままだ。
「今日は紅葉が動くまで、ぼくも動かない」
「なんだよ、時平さんに怒られるぞ」
「朝食抜けばギリギリ間に合うもん」
「第六部隊の訓練、飯抜きじゃ持たないだろ?」
「でも、落ち込んでる紅葉がさらに怒られるぐらいなら、ぼくはご飯抜きでもいいや」
普段は呆れた顔で二度寝には付き合ってくれないのに。今日の彼は珍しく頑固だ。もっとも、彼を意地にさせている原因は昨晩の自分の態度だろう。
――澪に負けた後。自分がどうやって執務室に戻り、何をして部屋に帰ってきたのか、まったく覚えていない。現実を信じたくなかったせいで、当時は半分夢に足を突っ込んでいるような状態だった。
そんな自分を見て、幼馴染の彼は昨日の出来事を察していたらしい。寝台へ倒れ込んだ自分には何も聞かず、飛翼は脱ぎ捨てられた軍服を畳んで、布団をかけてくれた。そんな彼の優しさを思い返し、ぽつりと零す。
「……執務室に行きたくないんだ」
「でも、結果はまだ見てないんでしょ? 仮に試験がダメだったとしても、顔ぐらい出さないと。せっかく受けさせてくれた牙雲少佐がもっと残念がると思うよ」
その話はもっともだ。しかし、自分は牙雲の期待に応えられなかった。惨めな気持ちになるぐらいなら、部隊の者と顔を合わせずにいたい。
踏ん切りがつかずに枕へ顔を埋めていると、飛翼が小さな溜息をついた。
「じゃあ、執務室まで行かなくていいから、まずは食堂で一緒に食事しようよ。紅葉、昨日だって夜から何も食べてないみたいだし」
その提案に紅葉はしばらく悩んでいた。ただ、最後には彼から「飲み物だけでもいいから付き合って」と懇願され、渋々起き上がった。
* * *
「あれ、思ったより人が少ないな」
朝霧の覆う鉄橋を渡り、本部内へ向かう間。自分たちとすれ違う隊員は片手で数えるほどだった。すると、横にいた飛翼が少し驚いた顔でこちらを見つめる。
「紅葉、気付いてないの? ぼく、今日は普段の起床時間より一時間も早く起こしたんだけど。ほら、朝食時って混んでるからゆっくりできないし」
返ってきた答えに紅葉は両目を瞬かせた。ただ、食堂に入ってその理由に気づく。彼は自分が第五部隊の隊員と鉢合わせないように気遣ってくれたのだ。
「……ありがとな、飛翼。それと、心配かけてゴメン」
「ぼくだって落ち込むこともあるし、お互い様だよ。はい、これ食べて」
取り分けられた食事をもそもそと口に運ぶ。あれだけ激しく動いたのに、昨晩食事をしなかったのはやはり間違いだった。温かいスープを前にして、気持ちとは裏腹に匙が進む。それを見た飛翼も、安心した顔で自分の食事を口にしていた。
すると、黙々とパンを齧っていた自分の横に影が差す。
「あ、時平さん! おはようございます」
「よぉ、紅葉。飛翼も一緒か」
「はい! 今日は時平少佐もこの時間からお食事なんですね」
大柄な体躯の上官にぺこりと頭を下げると、彼も挨拶代わりに大きな掌を掲げた。
「野暮用を頼まれたついでにだ」
「こんな朝早くから用事っスか?」
「お前がココにいたら“拾って来い”って、昨日の夜中に言われてな。おかげで長々張り込みしないで済んだぜ」
「げっ、ご指名先はオレなんスね」
この強面な彼を小間使いにできるのは、それこそ上官ぐらいだ。そして、自分に用事があるという時点で依頼主も見えてくる。
「聖大佐が会議室でお前を待ってる。メシ食い終わったら、さっさと行って来い」
持ち掛けられる話で思い当たるのは、昨日の試験に関することぐらいだ。食事の残りを慌てて掻き込み終えると、飛翼が自分の肩を叩く。
「食器はぼくが下げておくよ。大佐の呼び出しだったら早く行った方がいいから」
「ああ、悪りぃ! じゃあ頼むわ」
小さく手を振った幼馴染に見送られながら、紅葉は走って食堂を後にした。
* * *
「――こんな時間から急に呼び出して悪かったね」
広い会議室の中央に座っていた黒髪の上官へ、扉越しに頭を下げる。入室を促された紅葉は、おずおずと革張りの椅子を引いた。
「いや、大丈夫っス。たまたまルームメイトから早く飯に行こうって言われたんで」
「ああ、同室の隊員が先にフォローしてくれたようで安心したよ。私も、試験後の君の様子を見て心配していたんだ。終わった時には、まるで魂が抜け出てしまったかのような顔をしていたじゃないか」
聖は自分がもっと落ち込んでいると思って、声をかける機会を作ったのだろう。
「ああ、ええと、オレを呼んでもらったのって、その件だけですか?」
「そこもあったのだが、それとは別で君に伝えておきたいことがある」
そう残したまま席を立つと、聖は変わり映えのしない窓の外をしばらく臨んでいた。普段の穏やかな笑みを朝霧で陰らせた彼の口から、その続きが紡がれるのを待つ。
「……楼玄について、君もスマイリーから多少の話を聞いていると言っていたね」
「ハイ。オレがしてるピアスの持ち主について尋ねたら、スマイリーさんが楼玄さんの持ち物だって教えてくれました。けど、どうして急にそんなことを?」
「全軍円卓会議の場で、君は飆との接触と同時に、間接的に楼玄の存在について仄めかした形になる。そして、スマイリーはノーバディに楼玄が潜んでいると考えていた。彼の推測が正しいのであれば、人間たちはいずれ厄介な口になりうる君を潰しにくるだろう。身を守るためにも、君は彼について理解しておいた方がいい」
自分が聞きたかった話について、聖は自ら語ってくれると告げた。だが、その動機は強い危機感からだ。返す言葉に悩んでいると、上官が口火を切った。




