-白線上の攻防戦-
* * *
「両者、位置につけ――第1回戦、始めッ!」
地下修練場の中央で、審判が手旗を振り下ろす。白線で囲われた試験場所で拳を交える隊員たちは、まさに闘技場の兵士を彷彿とさせた。
外周にいるのは評価者である牙雲と聖だ。左右の端にいる彼らは、修練着姿の隊員たちが繰り広げる戦いをじっと観察している。
「とうとう始まっちゃったなぁ」
待機場所で試験の様子を遠巻きに眺めつつ、手元にある札へ視線を移す。実技試験の開始前にくじで引いた番号は『4』だ。
一試合に二人が充てられるため、人数からすると自分は後ろの組になる。残念ながら、この手の試験は後へ残るほどにいらないプレッシャーを感じやすい。紅葉が冴えない溜息を零していると、横で膝を抱えていた澪が呟いた。
「さっき一番手で出た右の人、筆記試験の自己採点でほぼ満点だったらしい」
「マジで? 確かにできるセンパイだとは知ってたけど」
「おれも少し驚いた。実技も抜かりなくやらなければ」
隣ばかり気にしていたが、当然ながら古株の隊員たちも熾烈な枠の争いに食い込んでくる。澪が口にした噂も、勤勉な者が多いこの部隊ではあり得ることだろう。
そして、今回の試験では特別に『低出力の魔力行使』も許可されていた。
ただ、模擬戦闘の範囲を超えた攻撃を行った場合は“失格”だ。表向きは実戦的な能力を図るという話だったが、勝ち星欲しさに理性がコントロールできない者を弾く意図もあるのだろう。
ライバルを出し抜きつつ、特殊な環境下で平常心を保たなければならないストレスも相まって、今の修練場はひどく空気が張り詰めていた。
「――勝負あり!」
旗音が思考を遮る。急所となる左胸に爪を突きつけられた隊員が、うなだれて構えを解いた。噂の相手が危なげなく勝利を収めたらしい。
「つーことは、あの人が一抜け確定だな。残りはあと一枠か」
爪の端を噛みながら、紅葉は試験の進行を眺めていた。事前説明でこの試験は『模擬戦闘の結果』で評価されると言われている。だから、横にいる朴念仁がどこかで立ち上がってくれないかと内心では期待していた。だが、彼が動く気配は一向にない。
そして――
「次、4番の札を持つ者は前へ!」
残った隊員が牙雲の呼び立てに顔を見合わせる。いつの間にか自分の番だ。こうなったらもう腹を決めるしかない。
強張っていた背を伸ばし立ち上がる。すると、一拍置いて薄氷色の髪が視界に現れた。これまでずっと前だけを見つめていた相手が、やっとこちらを振り向く。
「なんだよ。オレ相手で良かったって顔じゃん」
「前に頼まれた手加減は、した方がいいか」
「へえ、マジで手ぇ抜いてくれんの? ――オレは本気でいくけどな」
澪が静かに口元へ弧を描く。黒星を喫している自分が強者の余裕に乗せられては、それこそ勝ち目がない。
相変わらずのツキのなさを嘆きながら、紅葉は引かれた白線の中へ足を踏み入れた。右に入った澪が浅葱色の鱗を腕に顕現させる。
ちら、と牙雲へ視線を向ければ、彼は吊り目がちな瞳を不機嫌そうに細めた。無言の圧――いや、これは期待だと信じよう。稽古中の気まずい既視感を覚えていると、不意に肩を叩かれた。
「紅葉隊員、靴紐が解けそうだ。結び直しておきなさい」
「あっ、ハイ。ありがとうございます」
「はは、緊張している様子だね? 力み過ぎず、普段通りを意識して動きたまえ」
横にいた聖が片目を瞑る。察しの良い上官に励まされ、紅葉は屈めていた身を起こした。
「両者、位置につけ」
一つ息を吐き、真紅の鱗で両腕を覆う。握った拳の先では澪が低く構えていた。群青の双眸は揺らぐことなく自分を捉えている。
「第4回戦、始めッ!」
手旗が振り下ろされると同時に、澪が地面を蹴っていた。普段の彼は悠然と構えて出方をうかがってくるが、今日は早々に切り上げるつもりなのだろう。
「そうはさせないっての」
黄色い土埃が上がる。がり、と音を立てて鉤爪が噛んだ。躊躇なく懐を穿つ一撃を逆立てた真紅で受け止める。前を大きく薙げば、相手は深追いせずに後ろへ跳んだ。
「なんだよ、かかって来ないのか?」
「紅葉とまともに打ち合ったら、疲れるだけ」
「ふーん。それじゃオレの方からいくぜッ!」
下がった相手を追い、前へ強く踏み出す。交錯する視線。澪が回避の体勢に入った。しかし、自分が狙ったのはその進路だ。
「……!」
澪の頬に薄く鱗が浮かぶ。何度も手合わせしていたおかげで方向は読めていた。右へ逃れた相手の半身へ、跳び上がった靴先が鋭角から入る。
「っと、ガード固いな……!」
交差した澪の腕が蹴りを弾き返す。だが、タダでは終わるものか。反動で浮いた身体を宙で捻ると、紅葉は間髪入れずに踵を落とした。
連撃で相手の姿勢がわずかに崩れる。押し切ろうと力を乗せる。眉根を寄せた澪が咄嗟に屈んだ。靴底が滑るように肩を走る。
背面を取られるとまずい。着地の直後、牽制で後ろへ肘を打ち込む。案の定、迫ってきた拳と自分の鱗が激しくぶつかった。
「紅葉、いつもより動きがいい。さっきのは危なかった」
「言っただろ? 今日は本気出すって」
振り向き様に浅葱色の腕を掴むも、腕力勝負を嫌った澪に叩き落される。組み技にはかからず、横をするりと抜けられる。
「澪のヤツ、足さばきがうまいんだよな」
彼は積極的に懐へ入ってこない。思えば、逃げ回る相手に誘導され、焦れた自分が深追いした時ばかりに手痛いカウンターを食らっている。
「この策、一回試してみるか」
試験前に牙雲から受けた説明によれば、この模擬戦闘では三つの勝利条件が用意されている。
一つ目は何らかの手段で相手の急所を突くこと。二つ目は相手の背中を完全に地面へ着けること。そして、三つ目は敷かれた枠線から三回以上、相手を押し出すことだ。
空間を広く使おうとする相手を端へ追い込み、自由にさせなければ可能性はあるだろう。
「もう疲れたの?」
「まさか。澪の方こそいつものキレがないんじゃね?」
「うん。まだ、本気を出してないから」
「だったら、そっちの本気も見せてもらわないとフェアじゃないよな!」
間合いを保った相手に拳を振りかぶる。群青が攻撃の軌道を読もうと動く。だが、紅葉は突き出した正拳の先からさらに炎熱を放った。
物理的な手段ではない策に、澪の反応が顕著に遅れる。その隙を突き、連続で火炎弾を撃ち込んだ。それでも彼は迫る灼熱を機敏な身のこなしでかわす。
「そういう、ことか」
最後の紅蓮を打ち払った澪が、そこでぼそりと呟いた。己の足先が線の淵へ差し掛かっていたことに気付いたらしい。だが、プレッシャーがかかっている状況では逃げられない。
「もらった!」
好機到来。一瞬で距離を詰めると、紅葉は大きく上体を捻った。重さの乗った一撃なら確実に押し出せる。唸る風切り音。炎熱を纏う腕が標的を捉えた。刹那、ぐるりと視界が逆転する。
「えっ、わ、ちょっとッ……!?」
目下で待ち構えていた薄氷の色が消えた。広がる高い天井、続いたのは嫌な背中の浮遊感だ。
「――前にも言ったけど。紅葉の攻撃は、真っ直ぐ過ぎる」
落ちてきた声と同時に右肩へ衝撃が走った。見下ろす群青にやっと状況を理解する。
受け身は取れたが、派手に転がった先は完全に線の外だ。空いた胴に潜られ、掬い投げられたらしい。
「紅葉隊員。身体が場外へ出たため、一つ目のペナルティだ」
審判の宣言に紅葉は思わず頭を抱えた。付近にいた聖は苦笑し、牙雲に至っては大きな溜息をついている。
「背中がついたらおれの勝ちだったのに。運が良いね」
「そりゃどうも」
差し出された手を紅葉はむくれながら退けた。だが、追い詰め方には手応えがあった。ここから気持ちを切り替えなければ。
「両者、開始時の位置につけ――試験、再開!」
中央で拳を軽く突き合わせていた二人は、号令と共に再び間合いを取った。




