-三人目の大佐-
* * *
「――まさか、あの中央区画がここまで静かになるなんてなぁ」
視界に広がる黄色い荒野へ蒼い隊列が連なる。聖の率いる部隊は《竜のとぐろ》を宿営地としてから、さらに区画の奥へ向かっていた。
ほんの数日前まで、各種族の主力部隊が群雄割拠していた空間の名残を歩く。怒号と喧噪に覆われた戦の跡地に残っていたのは、吹き荒ぶ砂塵と、どの兵かもわからない亡骸だけだ。
すると、乾いた地面の上でふと澪が立ち止まった。
「あれが例の監視塔か」
「すげぇ、ホントだ! いつもは周りでドンパチやってるから気付かなかったわ」
二人で見上げた先にあったのは、照らす陽光を反射する白壁の建造物だ。普段は戦火のせいで見通せなかったが、こうして見るとかなり大きな造りだとわかる。
頂上に当たる尖塔には青銅の鐘が設置されていた。あれが噂に聞く《静なる鐘》だろう。そして、その周囲には四つの人影が立っていた。
一つは覚えのある蒼褪めた軍服をまとっている。塔の上で東西南北を監視する彼らは、この大陸で争っている四つの人族だ。
「皆、聞きたまえ。そろそろ軍事境界線の中に入るところだ」
上ばかり眺めていた紅葉の耳に聖の指示が届いた。砂嵐の中、鋼鉄の塀が正面に築かれている。通用門に辿り着いた自分たちの前には、白い軍服を纏った一段が待機していた。
「聖大佐。あれは《エトワール》の近衛兵ですか」
遠目にも眩さを感じさせる眉目秀麗な一団について澪が尋ねると、聖は大きく頷いた。
「よく知っているね。彼らは精霊族を統括する《女王》の直属部隊だろう。側近である彼らの結束と忠誠は、死をも厭わぬものだ。私としても何度も相手はしたくない存在だよ」
「えっ、大佐はあの人たちと戦ったことあるんスか?」
「もちろん。私の知る有力な側近は未だに健在だろう。獣人たちの方も、きっと優秀な兵を連れてくるはずだ。今日は準備期間だから接触することはないが、明日の会議場では懐かしい顔を見られるかもしれない。とても楽しみだ!」
そう告げた上官はどこか子どものように高揚した様子で、きらきらと瞳を輝かせていた。
聖の率いる《第一部隊》は本部の守りの要となる存在だ。それもあって普段はドラーグド内にいることが多い。また、軍の最古参である彼の役割も、現在は進軍計画の策定や後進の育成、組織統制に重きを置いている。
ただ、大佐の彼は過去に最前線で多くの敵と刃を交えていた一人だ。今でこそ戦地から離れてしまっているが、武勇伝も数多くあるだろう。
「おっと、つい年甲斐もなく興奮してしまったな……さて、諸君にも伝えておくが、門を潜った後もこうして他の軍事組織の者と出会うだろう。ただし、敷地内での戦闘行為は固く禁じられている。衝突の引き金となる行動を取らぬよう、気を引き締めて任務に当たってくれ」
出発前に牙雲から聞いた話では、ここで衝突が起きた際には、当事者に大きな懲罰が与えられるらしい。さらに、所属組織に対してもペナルティがかかるという点を何度も聞かされていた。
「少佐も心配性だよなぁ。さすがにこんな雰囲気の場所で無茶なんてしないのに」
「でも、紅葉は本部を発つ時間に遅刻してた」
「いやいや! 大佐が正門に来る前だったからセーフだろ?」
「おれ、直前に牙雲少佐が聖大佐のことを引き留めてたのを見たけど」
「えっ、そうだったの?」
ぼそりと呟かれた事実に、紅葉は思わず頬へ浮かんだ鱗を掻く。彼の話では、出発前に廊下で牙雲と話していたせいで、聖の到着が数分遅れたらしい。自分がその間に隊列へ滑り込んだと考えると、上官にはすべてがお見通しだったようだ。
贔屓はしないと言っていた彼だが、やはりそこは部隊の面子もあるのだろうか。
「ま、ここから挽回すればなんとかなるっしょ」
「わかった。なら、おれが報告のためにちゃんと見ておく」
「澪くんってばー、意地悪しないでちょっとは自由にさせてくれよ」
「おれも上官にいい顔をしたいから、できない相談だ」
たまには羽を伸ばせると思いきや、とんだ監視役がついてしまったものだ。肩を落とすと、紅葉は同僚の後を追いかけて門の中へ入っていった。
* * *
招かれた監視塔の内部は、思いのほか洗練された造りになっていた。
ドラーグドの正門とまではいかないが、ゆとりのある広間が紅葉たちを出迎える。辺りを見渡せば、塔の天蓋へ通じる白亜の階段が伸びていた。
――古い言い伝えでは、人間がこの塔と静なる鐘の設計を行い、竜人が元となる鉱物を提供し、精霊族が鋳造を手がけ、獣人が塔を築いて鐘を設置したのだという。
戦争が始まる以前の中央区画には、人族の叡智が詰まった建造物が所狭しと並んでいたらしい。《静なる鐘》も、この塔が築かれた当時はあらゆる種族の心に響く穏やかな音で、時の訪れを告げていたのだろう。
大陸が戦火に覆われた時代しか知らない自分たちにとっては、信じられない話だ。
「聖大佐、お待ちしておりました」
一行が玄関口を抜ければ、待機していた監視塔の隊員がこちらに近づいてきた。
「任務ご苦労、出迎えに感謝するよ。他の参加者の到着状況は?」
「本部のスマイリー大将からは、《大総統》と共に今晩こちらへ到着予定との連絡を受けています」
「では、我々は会場の設営と警備体制の準備をしておこう。諸君らも補佐を頼む」
先導する聖に続き、紅葉もその後を追う。ただ、小耳に挟んだ会話が自分の中で引っかかっていた。
「大佐、ちょっと聞いてもいいっスか」
「また面白いものでも見つけたのかな、紅葉隊員?」
「へへ、滅多に来られないところなんで、気になるものばっかりっス」
悪戯な笑みを返すと、聖も口元へ同じ笑みを浮かべていた。
「それで、さっきスマイリーさんたちが今夜ここに来るって話を聞いてたんスけど、一緒に来る《大総統》はどんな人なんですか?」
「おや、入隊式の時に見かけなかったのかい」
「実はオレ、いきなり戦地に飛ばされちゃったんで、式典には出てなくて」
「ふむ、君の配属の際には特例措置が入ったようだね。それなら顔を見たことがないのは頷ける」
入隊当時、ドラーグドの門前へ到着した瞬間に戦地へ派遣される通達を受け取ったことを思い出す。途中までは物資を持った輸送班と共に動いていたが、牙雲のいる前線基地には地図を頼りに一人で向かった覚えがあった。
「《大総統》はドラーグド全体を統括する最高司令官で、今は『輝月』という男が担っている」
「輝月さんっスか。名前も聞いたことないっスね」
「彼はとてもシャイなんだ。余程のことがない限りは補佐役のスマイリーが表に立っているし、立場上から君と面識がないのも当然だろう」
「ドラーグドのトップってぐらいだから、てっきりめちゃくちゃ怖い人かと思ってました」
拍子抜けする話を受け、つい思ったままを口にする。その素直さが気に入ったのか、聖は続きを語ってくれた。
「その観点で言うと、当時《大佐》の一人だった彼は、敵から見たらとても恐ろしい男だっただろう。統括者として引っ込んでくれた方がありがたいと思われていそうだ」
「へえ。その時は、輝月さんと聖大佐が戦闘部隊の一番上だったんですね」
「いや。実を言えば、15年ほど前は私と輝月、そしてもう一人の《大佐》を含めた三人で戦闘部隊を率いていた。ただ、残念ながら人のやりくりが難しいところもあってね。今の《大佐》は第一部隊の私と、第二部隊にいるもう一人だけになっている」
意図して明言を避けたのかは分からない。ただ、確信を持って尋ねた結果、聖は三人目の大佐――楼玄の情報を持っていた。その話題に乗じ、楼玄について尋ねようと口を開きかけた時。
「……聖大佐、会議室のある階を過ぎています」
「おっと、すまない。年寄りの話は長くなってしまっていけないね」
澪の呼びかけに聖が肩をすくめながら振り返る。上官に隠れて呆れた顔を見せた彼が、話し込んでいた自分の裾を引っ張ってきた。
「目的地はちょうどこの下か。教えてくれて助かったよ、澪隊員」
「いえ、とんでもない」
「おや、よく見たら君は牙雲少佐の若い頃にそっくりだな。彼も当時からしっかりしていたのを思い出す」
「まだ上官には遠く及びませんが、認めていただけるように精進します」
さらりと洗練された礼を返す彼に対し、聖は目尻に柔らかな皺を刻んだ。
「そうだな。これからも我が軍のために励んでくれ」
首を垂れる相手の肩を叩くと、聖は鷹揚とした足取りで来た道を戻っていく。一方、澪はしばらくそこへ留まっていた。
「澪ー、大佐に褒められて緊張でもしたのか?」
「……別に。紅葉より上官にいい顔ができたと思っただけ」
普段のように澄ました顔でもしているのかと思ったら。澪はす、と群青を細めていた。その様子に首を傾げつつも、紅葉は階段を降りていく彼を追いかけた。




