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蒼い背中  作者: kagedo
EP.5 精鋭選抜試験編
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-澪の本音-




* * *




 深い霧の覆う明け方。何度も欠伸を嚙み殺しながら、紅葉は地下へ向かう石畳の階段を降りていく。


 今日はすやすやと寝息を立てている幼馴染を起こさないよう、一人で早起きするしかなかった。第六部隊が夜勤の監視当番だというのもあったが、昨晩は飛翼に大きな頼みごとをしてしまったからだ。


「やっぱり飛翼は頼りになるなぁ」


 片腕に抱えた分厚い教本を開く。端が折られたページを見れば、二人で夜なべしながら卒業試験を受けた時の記憶が蘇ってきた。


 ――筆記試験を攻略するため、紅葉は彼に出題分野の見立てをつけてもらっていた。替え玉受験はさすがに断られたものの、筆記の出来が良かった飛翼がいれば、最低限の知識は揃うだろう。


 とはいえ、中身は一朝一夕で覚えられる量でもなく、自室では温かい布団が手招きをして待っている。勉強に集中できる場所を確保しようと、早朝も開放されている修練場へ向かった矢先。


「あれ、こんな時間に先客か?」


 灰の壁に覆われた通路の奥で、何かのぶつかる音が反響している。目を凝らせば修練場の中央に二つの人影が見えた。


 一つは牙雲で、もう一つは澪だ。交わされる攻防の手をしばらく眺めていると、不意に牙雲が表情をしかめる。


「悪い。身体が治りきっていないゆえ、今日はここで終わりにする」

「……おれの方こそ無理をさせてしまいました。ただ、第五部隊で功績を残す前に選抜試験があったため、どうしても話をする時間をもらいたく」

「懸念があれば気兼ねなく言ってくれ」


 促された彼は、淡々とした口調で先を告げる。


「おれが選抜試験を受けることを、他の隊員にはどう説明しているんですか。特に紅葉は、おれが精鋭になるのをあまり快く思っていない気がします」


 どきり、と心臓が嫌な跳ね方をした。そんなことはない、という言葉が喉の奥まで競り上がる。だが、どうしてもそれは音にならなかった。


 すると、問いを受けた牙雲が怪訝な表情で返す。


「なぜそんなことを聞く?」

「紅葉はあなたを信頼していると言っていました。ただ、あなたは彼に当たりが強い。うまくやらないと、この部隊に長くいる彼が拗ねると思います」


 その提言が一理あると考えたのか。腕の鱗を収めると、牙雲は拾った軍服を肩へ羽織る。


「未来ある隊員のためには俺も全力を尽くしたい。そして、部隊内で軋轢が出ないように配慮もする。しかし、最も気にしているのは、お前たちが無事でいられるかどうかだ。アイツは他よりきつく言わないと勝手をするからで、それ以上の他意はない」

「それでも好き勝手しそうですけどね」

「……よく観察しているな」

「牙雲少佐。おれは立場を弁える方ですが、今回の件で揉め事になりそうであれば、フォローをお願いします」


 澪はその場で一礼すると、紅葉の隠れていた通路とは別の出口に向かった。


「ふむ。俺の手腕も試されているということか」


 当時、会議室にいた澪は、他の候補者からの視線を軽く受け流しているように見えた。ただ、彼は精鋭の座を射止めた後のことまで考えていたらしい。


 仮にこの部隊で精鋭になれたとしても、牙雲の口添えがなければ、新入りの澪の立場は危うい。下手をすれば、隊員の心情的な面で作戦遂行にも支障が出る可能性がある。


 そのため、彼は部隊の者を納得させるように上官へ配慮を求めたのだ。


「澪のヤツ、オレとは考えてる次元が違うな。やっぱり優秀なんだ」


 彼と比べ、自分は目下の試験突破だけに集中していて、先のことなど考えもしなかった。牙雲の右腕には、聡明で先の読める彼のような者が相応しいのではないか――


 視座の差を目の当たりにした紅葉は、教本の淵を強く握り締めた。




* * *




「……はあ、これで五連敗か」

「まだやる?」

「今日はもういいや。また少佐からお小言もらいそうだし」


 息を上げ、踏み固められた地面へ背中から倒れ込む。横で膝を抱えている澪は常に涼しい表情を崩さない。


 通常の手合わせでは彼にまったく歯が立たなかった。これが実技試験だったらと考えると、変なプレッシャーを感じて余計なミスを招いてしまう。前の試合では牙雲からも「稽古に集中しろ」と一喝された。


「澪ってめちゃくちゃ強いよな。どうしたらそんなふうになれるんだ?」


 それに瞬きを一つ返すと、彼は珍しく困ったような表情を浮かべる。


「それを言ったところで、紅葉がおれになれるわけでも、おれが紅葉になれるわけでもない」

「まあ、そりゃそうだけど」

「紅葉は強くなりたいのか」

「もちろんなりたいよ」

「……たとえ、どんな犠牲を払ってでも?」


 声音は普段の淡々としたものだった。しかし、群青色の双眸だけが異質な輝きを宿している。


「時々、思うことがある。おれたちはここで人殺しの術を学んで、うまくいったら生き残って、そしてまた人を害しに向かう。それが本当に正しい行いなのだろうかと」


 向かい合う色彩のように、紡がれた音が深く沈んでいく。同時に、呼び起こされた鬼神の言葉が耳の奥で蘇った。



『――生憎だが、外野から見りゃあテメェも単なる人殺しでしかない』



 牙雲を激昂させたその台詞は、軍にいる誰もが見ないふりをしてきた真実だった。


 だが、今は自らが立ち上がらなければ、全てを奪われてしまう世界だ。目的を持って戦火へ身を投じる者や、戦という選択しかできなかった者、起きた悲劇から復讐に呑まれた者もいる。


 ただ、そんな当たり前の事実が、澪の中では腑に落ちていないらしい。彼は己の強さが決して賞賛を受けるべきものではないのだと示していた。


 しかし、次の瞬きで彼は抑揚のない声音を繕う。


「悪い、おかしなことを言った。気にしないでほしい」

「いや、澪は変じゃないと思うぜ」


 寝転んでいた身体を起こすと、視線の先で澪が瞳を見張っている。


「別にドラーグドの存在や、ここにいる人たちのやってることを否定するわけじゃないけど……この世界が平和だったら、オレは軍に入ってなかっただろうし」

「なら、仮にこの軍で上り詰めることができたとしたら、紅葉はどうしたい?」


 これまでの自分は身近な誰かを守るために戦ってきた。


 集落にいる家族や、軍の皆と過ごすこの場所が好きだから。乱世を懸命に生きている者を助けたいから。自分が必要とされている実感があるから。強くなりたいと願うのは、そんなささやかな想いがあったからだ。


 だが、澪は戦に対する本質的な問いを立てている。なぜ精鋭になるのか。将校になるのか。ひいてはこの軍を統べる者になるのか――


「そうだなぁ。もしも今よりずっと偉くなったとしたら、オレはきっと、この戦争を終わらせるためにがんばるよ。方法はこれっぽっちも思いつかないけどさ」

「――紅葉、おれもこの戦争を終わらせたいと思っている。でも、おれたちが生きる時間はそう長くない。早く強くならないと、手遅れになってしまう。志が同じならば、どうかおれのことを否定しないでくれ」


 わずかに掠れた言葉が、周囲の喧騒を遠ざけていく。


「急に何言ってんだよ。仲間なんだから否定するわけないじゃん」

「……紅葉がおれの部下になっても、だからな」

「あ、今のもしかして“宣戦布告”ってヤツ? 澪ー、オレ相手ならいいけど、他にそういうことやると嫌われるぞ」

「別に構わない。ただ、紅葉はおれを否定しないと言った。だから安心して部下にできる」

「ちぇっ、そういうことか。カマかけられたな」

「でも、紅葉とは仲良くしたい。それはおれの本音だ」

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