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蒼い背中  作者: kagedo
EP.1 上官との邂逅編
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-戦果報告-




* * *




「――先日の第8541戦線について、第五部隊の牙雲が戦果を報告します。死者数は31名、負傷者は72名、うち重傷者は28名。

 対する敵兵討伐数は計78体、うち敵将1体。敵将討伐者は紅葉隊員。拠点防衛の完了後、残党の掃討と拠点の復旧作業を手配中となります。第一報は以上です」


 濃い霧の漂う山岳地帯の奥地。切り立った断崖に天を裂く黒い塔がそびえ立つ。幽谷と山々の間を抜け、翼持つ者のみが訪れることのできる場所――この辺境の地に、ドラーグド本部は存在していた。


 今、自分がいるのは本部内にある《大佐》の執務室だ。戦闘部隊を管轄するここは格式高い佇まいで、いつも自然と背筋が伸びた。


 負傷した片腕を三角巾で吊りながら、牙雲は報告書を読み上げていた。あの夜はどうにか勝利を納めたものの、課題の多く残る結果だった。特に己の無様な痛々しい姿はその一つだろう。


 ノワールから最後の一撃を食らった時。肋骨にはヒビが入り、左腕の骨は完全に折れていた。腕を覆っていた鱗も大きく削がれ、他も刀傷だらけだ。当面は本部での内勤を指示されるだろう。少佐にもなって、ここでの怪我が次の戦闘に影響を及ぼすとは考えられなかったのか。まだまだ未熟なものだ。


 ただ、つい唇を噛んだ自分の内心とは裏腹に、戦果を聞いた上官は大きく頷いている。


「本当にご苦労だった。満足な人員を渡せない中、君のおかげで重要な拠点を失わずに済んだよ」

「恐縮です」

「それと、報告を聞く限りでは優秀な新米が来たそうじゃないか。指導に熱が入るな」

「……まさか、紅葉のことでしょうか?」


 不意の話に、賛辞に深く下げていた顔をつい上向ける。


「普段ならとやかく言うつもりはありませんが――あの男は新入りの癖に上官の命令を全く聞かずに振り回し、挙句の果てに今も救護部隊の世話になっている始末です。将を討伐できたのは偶然が重なったからでしょう。優秀というには語弊があります」

「ははは! 君が一隊員についてそこまで言うなんて珍しい。手を焼くなら別の部隊へ移そうか。同期の彼なら、荒っぽい性格の隊員でも柔軟に受け入れるし」

「……いえ。お気遣いは嬉しく思いますが、一度ここへ受け入れた以上は自分が責任を持ちます」


 正直、紅葉への対応はこれからも頭を悩ませ続けるだろう。だからこそ、今しがた話題に挙がった別の少佐の元に彼を送りたくなかった。きっと犬猿の仲の同期に、彼を躾けられなかったことをドヤされるに決まっている。


 ――と、またうっかり私情を挟んでしまった。我に返れば、大佐は嬉々とした表情で紅茶を啜っている。自分の苦労話を面白がっていたのだろう。


 決まりが悪くなって咳払いを一つすると、牙雲は話題を報告内容に戻した。


「そういえば、先にここへ帰した人員の状況はいかがでしょうか」

「君が現地に入ってからは撤退判断も早く、傷付いた兵の回復も早期にできた。おかげで影響はほぼ最小限だ。最終的な結果を見れば、君は優れた判断をしているよ」


 内心では大佐も負け戦が続いたことを案じていたのだろう。だが、自軍の隊員をやみくもに消耗させるのは憚られる。


 普段から攻め時や敵の力量を見誤らないように慎重を期していた。ただ、自身がどれだけ想定しても被害は抑えられない。そう、まさに今回のように。


「しかし、また複数の死傷者を出してしまいました。これについては至らない点が多く、大佐からのご叱責をいただくべきかと」

「――よく聞きなさい、牙雲少佐。これは戦争だ。犠牲が出ない争いなどあり得ない。だから、君は何も悪くないんだよ」

「ですが、」

「まったく、頑固だね。そういう意味であれば、真に悪いのは君に至らない兵を渡さざるを得なかった私や上層部の者だ。それについて面と向かって文句を言うつもりかい?」

「そんな、とんでもない!」


 慌てて否定すれば、大佐は赤い瞳に緩く弧を描いた。威厳ある立場なのに、こうも気さくな人柄で接されると時々余計なことを吐いてしまう。


「ふふ、相変わらず冗談が通じないな。君の真面目さは良くわかっているから、戦場以外ではもっと気を楽に持ちなさい。さて、君も報告をもらった重傷者の一人だったね。私からの命令は『怪我が完治するまでの休養』だ」

「……承知しました」

「不服そうな顔だが、私は言ったことを覆さないぞ。そうでもしないと君は休まないだろう?」


 上官から退室を促され、牙雲は敬礼して部屋を出た。


 あのように言われたが、やらなければならないことは溜まっている。事務方に渡す戦果報告書の作成と記録依頼、武器や備品の点検、負傷者と欠員の配置確認、次の戦までの反省点のまとめ――それと、個人的な用事も。


「まだ見舞いに行っていなかったな」


 報告に挙がった隊員の名前を思い出し、執務室とは反対の階段へ靴先を乗せる。向かったのは本部内の救護室だ。


 あの夜、黒豹の亡骸と共に倒れていた紅葉を見て、自分は彼を守り切れなかったことを悔いた。戦果を出さねばならないことに気が急いて、新入りを使う判断をした己を責めた。


 当時、彼が運良くノワールへ止めを刺していなければ。今頃は自分の命もなかっただろう。恥ずべきことに、自分はぬかるみまで吹き飛ばされた後、砕けかけた身体をすぐに起こせなかった。


 それに比べ、紅葉は臓腑を抉られたのにも関わらず、傷口を焼き閉じて自力で逃れたらしい。地を這うようにして篝火へ向かった自分が、倒れた彼を見つけた直後。蒼い軍服の群れが目の前に現れて、鬨の声を上げた。そこで自身もようやく勝利を理解したのだ。


 しかし、最も重い傷を負った紅葉は、顔を合わせる間もなく本部に輸送されてしまった。ただ、幸いなことに後遺症もなく、回復すれば再び部隊へ戻れる所見ももらっている。


 とはいえ、初陣であれだけのトラウマを植え付けてしまったのだ。死を前にして精神を病んでいてもおかしくない。軍から離脱する者の多くはそうした事情を抱えている。そして、悲惨な目に遭った者ほどその傾向が強い。


 ここ最近は彼の心配ばかりだ。消毒液の匂いがする部屋の前でひと呼吸置くと、牙雲は白い壁に囲まれた受付へ寄った。


「こんにちは、牙雲少佐」

「今日は面会を頼みたい。紅葉隊員の部屋を教えてくれ」

「はい。診察時間のスケジュールと合わせ、面会が可能かお調べします」


 手続きを終え、救護部隊の隊員と共に病室まで向かう。ただ、その手前で中から話し声が漏れ聞こえてきた。


「おかしいですね、もう診察は終わっている頃なのですが。声をかけてみましょうか」

「いや」


 病室の様子を覗こうとした隊員を止めると、牙雲は扉の前で聞き耳を立てた。すると、覚えのある声が隙間から流れてくる。


「ねえねえ、もう行っちゃうの?」

「別の方の診察がありますので、私はそろそろこれで」

「でもココ誰も来てくれないし、暇でしょうがなくてさぁ」

「はあ……」

「そうだ! おねーさん直通の無線ってあるの? 一人だと傷も痛いし、寂しくてオレ死んじゃいそう」

「それでは鎮痛剤を処方しましょうか」

「薬はいいから! 他の人を看たらここに戻ってきてほしいなぁ」


 ああ、締まりのない顔が目に浮かぶ。まだ数日の付き合いなのに、予測できてしまうことが我ながら嫌になった。


「まったく、見境もなく女性を口説くとは呆れた奴だ。迷惑をかけてしまったな」

「紅葉さんもここへ入られたばかりで、寂しいのは本当でしょうから。私も時間がある時には話し相手になっています」

「ダメだ、アイツは甘やかすとつけあがる。俺から釘を刺しておこう。それと、今後は俺自身の経過観察の後で、アイツとの面会予約を入れておいてくれ。監視しないと何をしでかすのか心配でいられない」

「承知しました。きっと紅葉さんも喜びますね」

「……どうだろうな。小言ばかりで顔も見たくないと言われそうだが」

「そんなことはないと思いますよ? だって私が紅葉さんとお話しする時には、牙雲少佐の話題ばかりですから」

「何だ、それは」

「ふふっ。すっかり懐かれてしまったようですね」


 彼は一体何をやっているのだろうか。とうとう救護部隊の隊員にまで節操の無さを笑われる始末だ。溜息をつきながら、ノックもそこそこに病室の扉を開ける。


「随分と楽しそうだな。俺に懲りて、救護部隊へ鞍替えか?」

「あ、えっ、少佐……?」


 何の連絡もなしに現れた自分を見て、紅葉は飛竜が豆鉄砲を食らったような顔をしている。まあ、当然だ。こちらはその顔を見に来てやったのだから。たまには悪い上官になってやろう。


「診察が終わっているなら席を外してくれ。彼に話がある」

「ええ、どうぞ。それでは失礼します」


 絡まれていた医療班の女性がほっとした顔で扉を閉める。改めて白い寝台へ向き直ると、気まずそうな表情の紅葉が先に口を開いた。

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