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蒼い背中  作者: kagedo
EP.4 無差別襲撃事件 調査任務編
69/167

幕間 蜘蛛の古巣




* * *




 消毒液の匂いが染みついた白い廊下。傷の診察を終えた紅葉は、ぼんやりとそこを歩いていた。


 痛みは随分と引いたものの、内側には時折疼くような感覚が走る。初陣を終えた時のように管につながれていないだけマシなものの、まだ安静を申し渡されていた。診断を口実に、仕事を放って牙雲の病室を訪ねようと思っていた時。


「おや、紅葉君ではないですか」


 耳元へ触れた吐息に振り向けば、怜悧な顔立ちの上官が横で微笑んでいた。


「うわっ、びっくりしたッ!? 亜久斗さん、おどかさないでくださいよ」

「先に声はかけましたが」

「どっちかっていうと距離感を気にしてほしいっス……!」


 近過ぎる相手との間合いに狼狽えていると、宙に浮かせていた手が黒革の掌に包まれた。


「ああ、それは失礼しました。ちょうど傷に効く軟膏があったので、君に渡そうと気が急いてしまいまして」


 薬瓶を握らされた拍子に手の甲をすり、と撫でられる。ぞわぞわとした感覚に、頬には次々と鱗が浮かび上がった。


「前から思ってたんスけど、その触り方ってわざとやってます?」

「さあ、どうでしょう」

「まさかソッチ系のご趣味だったり……?」

「君のことを気に入っているのは事実です」

「その、オレも確かに美人は好きなんですけど、それとこれとは別でして」

「先日は僕のことを追いかけて、部屋まで声をかけに来てくれたではありませんか」

「うぐっ! あ、アレは、完全に勘違いしてたっていうか」

「そうしてつれない態度を取られるのも悪くないですねぇ。僕、逃げられると追いかけたくなる性分なので」


 赤い舌先がゆっくりと色付いた唇を舐める。何を問いかけたところで、返されるのは麗しい含み笑いだけ。紫紺の双眸からも全く真実が読み取れない。


「……そういえば、亜久斗さんはなんでココにいたんスか?」

「救護部隊から依頼のあった、新薬の治験結果を報告しに来ました」

「この間は普通に一人で敵と戦ってたのに、救護部隊の手伝いもしてるんスね。逆にできないことを聞いた方が早そうだなぁ」

「まあ、僕は見た目以上に軍にいる歴が長いもので。他の人よりも多くの経験を積んでいるだけですよ」

「へえ、いつからドラーグドに入ったんですか」


 頬へ伸ばされた掌をやんわりと押し戻していると、亜久斗が長く噤んでいた口を開く。


「――怪我をしている方をずっと立たせておくのも忍びないですね。よければそちらに行きませんか」

「え? ああ、わかりました」


 促されるまま、廊下の途中にあった病室に入る。空き部屋になっていた寝台へ腰掛けると、亜久斗がその横に座った。しかし、見つめた顔は物憂げな表情に変わる。


「どうして君は、僕について色々と尋ねてくださるのですか?」

「や、詮索したいワケじゃないんスけど。亜久斗さんがどんな人なのかは知りたいと思ってます」

「……では、僕に対して私的な情があると?」

「うっ、なんか含みあるんでそれには頷けないっスね」

「ならば、なぜ君は僕に興味を持つのでしょう」


 ふと向けられた視線には、純粋な興味と疑念が入り混じっている。


「何でって言われてもなぁ。こうやって話してても掴みどころがないっていうか。本音がわかんないんスよね」

「でしたら、仮に僕がこの口から本当の気持ちを言ったところで――君は信じますか?」

「わっ!?」


 黒い掌が伸ばされたと思った途端。隊章の淵をつ、と撫ぜられて、狭まった距離にまた辟易する。妖艶な容姿には元通りの微笑が刻まれていた。


「こうして何を考えているのかを容易に見せない方が、僕としては都合がいいのです。君のような例外を除き、僕に近づいてくるのは敵の斥候や内通者ばかりですから」

「その、亜久斗さんについての噂はあえて放置してたってことっスか」

「そもそも、己の言動が他人にどう解釈されるかを操作する術はないので。まあ、たとえ操作できたとしても、僕が取る選択は変わりません――最小限の犠牲で《組織》の大義が成せるなら、僕はいくらでも恨まれましょう」


 薄く紅を引いたような唇はまだ緩く弧を描いている。しどろもどろになった自分をよそに、亜久斗は先を続けた。


「あの調査で、僕は撤退を考えていた牙雲少佐へ進軍を命じました。それがなければ、牙雲少佐も君も傷付かずに済んだはずです。《組織》を守るため、僕は君たちへ犠牲を強いた――だから、君に恨まれることはあっても、好かれることはないと考えました」


 過去を呼び起こす左肩の疼きにそっと触れる。亜久斗の言う通り、当時の指示がなければ自分も牙雲も無事だったかもしれない。だが、彼は確かに言っていた。亡くなった隊員の死を、決して無駄にはしないと。


「……オレは亜久斗さんを責めるつもりなんてないっス。だって、みんなのために必要なことをしてくれてるだけじゃないですか。オレたちがボロボロになったのも敵にやられたせいですし。誰も悪いとか思ってませんよ」


 あの惨状の中で、亜久斗は取るべき行動を即座に見極めていた。第一に全滅を回避すること。第二に飆の存在を本部へ持ち帰ること。そして、第三に生きている人員を無事に帰還させること。


 当然、その人員にも優先順位がある。彼は本部を発つ前から将である牙雲の命を一番に考えていた。そうでなければ、自分よりも遥かに重傷だった上官を救える輸血が、あの場で簡単に調達できるはずがない。


 彼は《組織》として正しい判断を下している。牙雲を助けたくて、私情に流された自分とは大違いだ。


「君は優しいので、僕を庇ってくださっているのですね。ただ、君が恨んでいるのなら、僕はそれを甘んじて受けるつもりです」

「どうしてオレが恨んでくれないとダメみたいに言うんです? イイことしてるのに、誤解されたままだと辛くないですか」


 すると、亜久斗は微笑んだまま静かに身を引いた。


「――昔の僕は、人としての道義にもとることばかりしてきました。ただ、それに気付いても己の行いを顧みず、ずっと逃げ回っていた。僕はそれを裁かれたくなかったから、今は君のような善良な隊員を守るために陰徳を積んでいます。なので、この本音は誰にも気付かれない方がいいのです」


 過去の罪滅ぼしを誰にも悟らせぬよう、彼は《組織》に自らの身を捧げるのだと言った。だが、その口から出た理由はどこか不自然にも思える。


 あの調査の犠牲者は確かに自分たちだった。聡明な彼は、進軍の判断を下した己に負の矛先が向くことを理解していたはずだ。ただ、そうして《組織》のために恨みを買った彼のことは、一体誰が守ってくれると言うのだろうか。


「昔のことはわかりませんけど、もしも今の亜久斗さんが困ってたら、オレはドラーグドの《仲間》として助けたいって思います。それに、自分から憎まれ役を買ってくれるいい人だってみんなにも伝えたいです。オレが勝手にそう信じたって言って回るだけなら、亜久斗さんの願いも邪魔しませんよね?」


 数ある彼のゴシップに新しい一つを付け加えるだけだ。そう言った自分に、亜久斗は初めて本物らしい笑みを見せた。


「……ふふ、ありがとうございます。あまり大将以外に気遣ってもらえる機会がないせいか、新鮮な気分です」

「まー、亜久斗さんの仕事って難しそうですし、オレが役に立てるかはわかんないっスけど」

「その気持ちだけで十分ですよ――では、お礼に一つだけ僕の《秘密》を教えましょう。廊下で聞かれた質問へ答えていなかったので」


 あらゆる物事をそつなくこなす彼は、きっとどの部隊からも引く手数多だったのだろう。些細な問いを思い返した相手が、その唇からとうとうと過去を紡ぐ。


「僕は両手の指で数えられる歳から少年兵となり、これまでにいくつかの部隊を渡り歩いてきました。以前は戦闘部隊に配属された経験もあります」

「どうりで肉弾戦が強かったわけっスね」

「もしも僕に魔法の適性があったなら、もう少し長くそこに居たかもしれません。ただ、《古巣》で磨いた技も、残念ながら一騎当千の役割を果たす将たちには敵いませんでした」


 亜久斗は目の前で腕章の付いた左袖をおもむろに捲った。


 覆う黒革の無い上腕から肩口にかけて、抽象化された生き物の刺青が刻まれている。伸びた節のある黒い八脚の存在が、こちらをじっと見据えていた。


「この刺青は、既に解体された僕の《古巣》で使われていた所属証明です。当時、その部隊には同じ役割の者が何人かいて、僕の記号は『蜘蛛』でした。他にいたのは『蛇』とか、『蠍』とか、『蜂』とか。よく人が入れ替わるので、名前なんて覚えるだけ無駄でした――つまり、僕たちは単なる“物”だったのです」


 自嘲めいた語り口ながらも、亜久斗の指先は刺青をずっと愛おしげになぞっている。


「その部隊では、表に立つ“人”が行えない命令を与えられます。そのくせにどれだけ尽くしても、任務に失敗したら簡単に捨てられる。僕もその一人でした。


 そんな扱いだったのに、生きていた中ではそこにいた時が一番自由で、楽しかったのも事実です。《組織》に身を投じる選択を後悔してはいません。ただ、ともすれば役割を放り出してしまいたいという誘惑が常にある。


 ――嗚呼、今でもあの《古巣》で過ごしたすばらしい日々が思い出されます。たまに、顔も知らないかつての“同胞”が、僕を訪ねてくれることがあって。立場は違えど、そうして“彼ら”と懐かしい昔話をしながら過ごすのも悪くないですね。どれだけ長くても、一晩だけの付き合いだというのはとても残念ですが」


 恍惚とした顔から、亜久斗が懐古の情に浸っているのは事実だった。だが、その口から出た全てが言葉通りの意味には取れない。その瞳は時折ぞっとするような影の色を覗かせる。


 黒白の混じる紫紺が瞬いている。深淵にある真実を知りたくてそこを覗こうとすれば、不意に長い睫毛が伏せられた。


「……さて、おしゃべりはこのぐらいで切り上げましょうか。僕も君もやることがあるでしょうから」


 すっと伸びた背筋と、たおやかな仕草で佇む彼の本音は、いまだに知れない。


「時間が取れたらお茶でもしましょう。次は君のことも聞かせてください」

「いやぁ、亜久斗さんに話すとなんか変なところまで掘り返されそうで……あっ! そういえば少佐に渡したお見舞い品、喜んでもらえましたよ」

「それは良かった。救護部隊の方に聞いた時、牙雲少佐のお見舞いの品にはよく薬湯の素があるという話を聞いていましたから」

「さすが情報通っスねぇ」

「実は早い回復を祈念して、同じ品を僕から時平少佐にもお贈りしました。ただ、どうしても受け取ってもらえず……何がいけなかったのでしょう?」

「あー、直接だと、その、色んな意味で警戒しちゃうかと。飛翼から渡せば大丈夫だと思います」

「ふむ、ならば次からそのようにしましょう――それに、いつか時平少佐のことはお誘いしたいと思っていたので。あれだけ逞しい御仁にお相手願えるなら、僕も興奮してしまいます」

「え、待って、お相手って何の……?」

「無論、手合わせの話ですが? たまには現役の戦闘部隊の方に協力いただいて、自己研鑽でもしようかと。回復が待ち遠しいですね」

「良かった、修練の話か」

「逆に君はどんな想像をしたのでしょう。とても気になりますねぇ」

「いやっ、何でもないっス!」

「――では、もっと楽しい“おしゃべり”に切り替えましょうか?」

「遠慮します!!」


 個室に閉じ込められては逃げ場がない。尋問されたらいらない口まで割ってしまいそうだ。慌てて病室の扉まで向かったが、紅葉はふと踏み出した足を止める。


「あの、最後に聞きたいんスけど。亜久斗さんが今日してくれた話って、何がどこまでホントなんですか?」


 それまで白い病室を静かに照らしていた明かりが、不意にちらちらと瞬く。生まれた陰影の奥で、薄く紅を引いたような唇が動いた。


「そうですねぇ……君がそう思ったところまで、ですよ」






fin.

亜久斗は長編スピンオフで主人公にしたこともあり、シリアス、アクション、ギャグ、お色気等なにを振っても受け入れてくれる器用さがあります。

本編ではしばらく顔を見せませんが、存在はちらちら出てきます。

さて、明日から新章更新ですので、よろしくお願いします。

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