-将の頼み-
* * *
「――まったく、礼儀がなっていないヤツだ。上官の部屋に入るなら声ぐらいかけろ」
ノックもなしに白い空間へ飛び込めば、相変わらずの小言が漏れる。それを聞けるのが嬉しくて、紅葉は悪戯な笑みを返した。
「あー、すみません。最初はそうしてたんスけど、ずっと反応なかったから勝手に出入りしてました。まあ、オレと少佐は救護部隊公認の仲なんで、許してください」
「俺は認めていないぞ」
「そうツレないこと言わずに。オレ、ホントに心配してたんスから。あの時は全身血塗れだったし、魔法も使いまくってて、死んじゃうんじゃないかと思いましたよ」
飆との戦いでは目の前で多くの味方を失った。飛翼や時平たちもひどく傷ついており、初陣の時よりも死の匂いを色濃く感じていたのは事実だ。
そして、あの戦いの中で、自分は牙雲が抱えていた苦しみを図らずも知ってしまった。だから、早く顔を見せて安心させたかった。
「……いつまでも突っ立っていないでそこに座れ。押しかけられたのに、これでは俺が怪我人を呼びつけたように見える」
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔します」
蘇ってきた記憶にまだ響く左肩を押さえていると、不意に牙雲が上体を起こした。表向きばかりのそっけなさに促され、紅葉は近くの丸椅子を引き寄せる。
「さっき受付で聞きましたけど、午前中に亜久斗さんが来たんですよね? 調査の件で聞き取りされて、疲れてませんか」
「今日は必要な話だけで切り上げてもらった。しばらく横になっていたから、会話程度は問題ない」
「そう言いながらしょーさはしっかり無茶するんで、信用してません」
「お前こそ、傷も癒えていないうちにふらふらと歩き回って。治りが遅くなるぞ」
「なら、仕事の量減らしてくれます? 少佐が寝てる間、こっちは後始末でてんやわんやだったんスから」
「机仕事ならこの場でも片付けられる。処理が必要な物があるなら俺の所へ持って、」
「いや、お願いですからちゃんと休んでくださいよ」
相変わらずの生真面目さに、こちらの方が溜息をつかされる。すると、しばらく不服そうな顔だった牙雲がじっと自分を見つめてきた。
「紅葉、もう少しこっちに来い」
「どうしたんですか」
寝台の近くへ身を乗り出すと、牙雲が管につながれた手をおもむろに持ち上げる。頬の横をすり抜けたその指を黙って見ていると――
「いッ……!? なっ、急に何するんスか!」
尖った耳の先をぐい、と引っ張られる。思わず声を上げれば、彼はしれっとした顔で手を放した。素直に従ったはずが、どこで彼の不興を買ったのだろう。
「耳飾りがないと思って。失くしたのか」
「いや、ちゃんとありますけど。だからっていきなり耳引っ張るのはあんまりっスよ!」
言われて初めて外したままだった黒環の存在を思い出す。スマイリーから聞いた真実のこともあり、無意識のうちに着けるのを躊躇っていたのかもしれない。ただ、些細な自分の変化を気にした彼の行動には疑問が残る。
「少佐、もしかしてアイツにやられたせいで、性格変わっちゃったんじゃ?」
水面に宿った“竜”は、まだ彼の中に巣食っているのか。受けた理不尽に口を尖らせながら問えば、青い双眸が横へ逸らされた。
「柄にもないことをして悪かった。お前が普段通りなのかを、どうしても確かめたくなったんだ」
凛とした声音が、どこか掠れた囁きに変わる。
牙雲は生まれながらに多くの命を背負い、常に一つの過ちも許されない行動を求められ続けてきた。自ら軍で名を挙げると宣言した以上、それを貫く覚悟の重圧もあっただろう。
牙雲はひどく心を擦り減らしていた。当時の判断は正しかったのか。己は何も救えなかったのではないか。それどころか、逆鱗に支配された力で味方さえ傷つけてしまったのではないか――
「もー、変なこと言って。そんなの見たら分かるじゃないですか。オレは大丈夫ですよ。ちゃんと少佐が守ってくれたから」
「……そうか、俺は、守れたんだな」
今、ここで互いに言葉を交わしている事実こそが、何よりの証拠だ。その答えに、牙雲の表情は最初よりもいくらか柔らかくなっていた。
「あの時、お前が共に脅威へ立ち向かうという選択肢をくれたから、俺は生き延びようと思った」
「オレも少佐が傍にいてくれたから、最後までがんばれました。アイツに殺されかけた時、少佐が『死ぬな』って言ってくれたおかげで、自分でもわからないぐらいの力が出たんです。絶対にアイツに勝つんだって、少佐を助けるんだって――少佐の背中を預かるって約束したんで、どうにか踏ん張りました」
牙雲は何度も必死に自分を守ってくれた。だから、同じように自分も彼を守りたい。その至極単純な理由が、己を奮い立たせる強さの源泉だった。
目の前にある背中を守るために、その背中を追い続けるために。自分は誰かを守る時に、最も強くなれる。そして、それは目の前にいる上官もきっと同じだ。
「普段は命令も聞かないし、好き勝手に俺を振り回すが……お前はいつも、俺が将として大切にすべきことに気付かせてくれる」
「それじゃあ褒めてくれます?」
冗談めかして肩をすくめると、牙雲の手がまた耳の横に伸びた。甘えるなとでも言わんばかり顔につい身構える。だが、その表情とは裏腹に、彼の掌が肩へそっと触れる。
「――紅葉。不甲斐ない将だが、今後も俺を支えてくれるか」
唐突な頼みだった。紅葉は丸い瞳を瞬かせたが、かけられた言葉にしっかりと頷き返す。
「当然じゃないっスか。ってか、面と向かってそれだけストレートに口説かれたら、誰も断れませんよ」
「……そんな軽口が叩けるのなら、傷は思ったほど深くなさそうだな。よし、また新たな訓練計画を考えておいてやる。後日対応するように」
「ちょっと! それとこれとは話が別でしょ? オレだって回復したばっかりなのに」
上官はあっという間に普段の調子を取り戻したらしい。畳み掛けるような命令には辟易するばかりだ。苦い顔を向ければ、牙雲は既に厚みのある紙束を布団の上で抱えていた。
「さて、そろそろ報告書の続きを読まなければ。お前は仕事が遅いから、さっさと戻れ」
期待を寄せた照れ隠しなのか、それとも本当に仕事のことしか考えていないのか――今は聞いても邪険にされるだけだろう。
「ハイハイ、わかりましたよ……あ、そういえばお見舞いの品なんですけど、傷に効く薬湯の素です。よかったら使ってください」
「それならお前が使うべきだ。俺はいいから持って帰れ」
「えー、せっかく奮発したのに。オレは詳しくないっスけど、なんでも幻の秘湯から取れた湯花が入ってるって話で」
「……それが事実なら、少しばかり興味をそそられるな」
「へえ、ホントに温泉好きなんスねぇ? 情報筋から聞いた通りでした」
いつの間にか贈った包みの方を握っている姿につい笑みを漏らすと、我に返った相手が声を荒げた。
「誰が俺の趣味を勝手に言いふらしているんだ。第五部隊の者か!」
「へへ、答えを聞きたかったら早く回復して戻ってきてくださいね。それじゃお大事に!」
「紅葉ッ! お前、待てと言っているのに――」
追いかけてくる声を白い扉で遮る。これ以上怒らせては彼の身体に悪いだろう。ただでさえ休みが足りていないのだから。
「少佐に余計な心配させたくないし、今は着けておくか」
懐に眠らせていた黒環を握り締める。スマイリーと約束した以上、牙雲を不用意に巻き込まないためにも、左耳へ戻した過去については自分で解決しなければ。
楼玄を知っているのは、おそらくドラーグドにいる古参の将校だろう。直接的に聞くのは難しくとも、歴代の《大佐》について尋ねれば、答えてくれる人物がいるかもしれない。
高位の将に会うためにはそれなりの理由が必要だ。場合によっては手柄を口実に、顔を合わせる機会を得る方法もある。そうして意気込んでいる最中に、左肩へつき、と痛みが走った。
「オレも、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかな」
肩へ巻きつけた包帯には血の滲む感覚がした。恩人について調べるためにも、牙雲の期待へ応えるためにも。今はほどほどの休みを入れなければ。
疼く場所をさすりながら、紅葉は白衣の天使を探して長い廊下を後にした。
fin.
EP.4の読了、ありがとうございました。
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EP.5も引き続きお楽しみください。




