-見敵必殺-
射殺す山吹の双眸と視線が交錯した。威圧する眼差しから目が離せない。全身で感じる殺気――今度は自分の番だ。
血潮の香りを運ぶ温い風が吹く。迫る鎌鼬に、息を呑んで身構えた時。
「させるものかッ!」
牙雲の咆哮を聞き、飆が迫る水泡を風の刃で断つ。ばしゃん、と弾けた水飛沫が氷雨となって地表へ降り注いだ。
「紅葉っ、俺が奴の相手をしているうちに逃げろ!」
旋風を連れて宙へと消えた飆を追い、牙雲が灰の地面を駆けていく。それを見送った紅葉はその場でへたり込んだ。
去った気配にふつりと緊張の糸が切れる。ひどい耳鳴りがしていた。風の音を探ろうと聴覚を酷使していたのだろう。圧倒する力を前に、しばらくまともな呼吸もできていない。
肺いっぱいに酸素を溜めていると、不意に遠くから地鳴りが聞こえた。見れば、牙雲が枯れた大地の上で立ち尽くしている。
その奥では灰の旋風が一帯に吹き荒れていた。高速で移動する鬼神が大地に歪な弧を描き、散った蒼い群れを次々と食らっていく。
暴風が過ぎた後に残ったのは、何度も目にしてきた絶望の赤――
「駄目だ、このままでは全滅する」
愕然とした牙雲の表情を見て、紅葉はやっと飆の行動の意味を理解した。
「アイツ、わざと少佐の相手を後回しにしたのか……!」
先の状況でより多くの兵が逃げ切るには、複数の方向に散って距離を稼ぐのが最善策だ。だから、牙雲は敵の注意を長く自分に惹きつけようとしていた。
しかし、飆は隊員たちの抹殺を優先した。実力を持つ将とまともにやり合えば、飛翼を逃した時と同じ轍を踏むと考えたのだろう。
あくまで理性的に、それでいて非道の限りを尽くす相手に、紅葉は激しい憤りを覚えた。誰かに対して、これほどまでに強烈な負の感情を持ったのは初めてだった。
打ち震える拳を握り締めていた時。振り返った上官が自分の姿を捉えた。
「俺のせいで犠牲者を増やしてしまった――あとは一人でやる。俺は、将としての責任を取らなければ」
おもむろに開かれた口から、淡々とした声が漏れる。だが、見開かれた瞳の奥にあったのは、普段の静かな水面ではなかった。
澄んだ青を濁す、暗澹たる深海の色が覗く。彼の横顔には先よりもひどく逆立つ蒼鱗が浮かんでいた。
「少佐っ、待ってください!」
破れた長い裾が視界の端で翻る。激昂する魔力の波長に、紅葉は急いで制止をかけた。だが、牙雲は既に憑りつかれたかのように灰の大地を駆けている。
ハルバードの刃先が淡く輝いた。青い閃撃が振り下ろされれる。乾いた大地に亀裂が走った。深くまで潜り込んだ水流が硬い地層を割り、無数の間欠泉が噴き上がる。砂塵を巻き上げる暴風に、牙雲は真っ向から激流を衝突させた。
標的になっていた隊員たちから鎌鼬の軌道が逸れる。真空刃が朽ちた家屋を切り刻む。礫の混じる水飛沫に進路を阻まれ、烈風の狭間にいた飆が露骨に顔をしかめた。
「何をやっても結果は同じだってのが、分からねぇみたいだな」
地表を覆う水流を死の息吹が分断した。重い音を響かせて撃ち込まれた気弾が水路を辿り、牙雲の足元まで逆流する。だが、彼はそれでも怯まなかった。
「先の攻撃が俺の限界だと思っているのなら、すぐに後悔するぞ」
押し戻された泥が激情に呼応して大地を波打たせる。地底で広がった水脈が煮えたぎるようにごぼごぼと音を立てた。
直後、暴風を打ち砕く水撃が渦を巻きながら地層を抉じ開ける。ぐしゃりと音を立て、付近の廃屋を膨大な質量がさらった。大洋の嵐と化した竜巻が宙を駆ける飆へ迫る。
白泡を纏う水流がごうごうと付近一帯を揺らした。射程内にいた蒼い軍服たちが退避しようと空へ羽ばたく。しかし。
「いいのか? 俺は余裕でかわせるが――鈍いヤツらはどうだろうな」
追い抜き様に、飆が広がった竜の翼を鋭利な風の刃で斬り落とす。墜落した味方を襲い来る白波が呑み込もうとした。
「ッ、やめろ!」
味方を庇おうと、牙雲が咄嗟に魔力を消失させた。引いていくさざ波の狭間で水飛沫が上がる。その後を一陣の風が過ぎ去った。刹那、幾重にも連なった風切り音が水面へ激しく叩きつけられる。
――どれだけ足掻いても、守るべき者が失われていく。
爆ぜる水面、さざめく波紋、滲んでいく赤。それを割りながら水上を疾走する暴風が、攻撃の手を緩めた牙雲を狙った。
「死ねッ!」
地表にいる蒼色へ、情け容赦のない透明な刃が吹きつける。それに応戦する青い光が煌めいているのが見えた。鎌鼬を連れ、飆が止めを刺しに下まで襲い掛かる。巻き上がった砂煙が、遠くにいた自分の視界まで覆い尽くした。
「少佐ッ……!」
魔力の暴発する轟音に互いの咆哮が交じる。刹那、眩むような青の光が灰の世界に満ち溢れた。輝きが去ると、仇の佇んでいた一帯を囲うようにして、半円状の巨大な水牢が築かれている。
「ったく、面倒なことしやがって」
水流に分かたれた空間の中で、飆が苦々しげに吐き捨てた。牽制で放たれた風の刃は、内側の膜に気泡を生むだけだ。魔力で編まれた分厚い水の膜は、過去の戦で見た水鏡を牙雲が応用したものだろう。
「俺を閉じ込めておくだけのつもりか。欠伸が出るほどに手ぬるいもんだな」
「すぐに始末しなかったのは、貴様の行動の理由を問うためだ」
水牢を隔てて鬼神と対峙した牙雲は、頬を伝う赤色を拭っていた。だが、裂傷が走る腕では、余計に鮮血を広げるばかりだ。
「貴様は何が目的でこのような蛮行を続ける? 答えろ」
この場に残っていたのは、牙雲と彼の後ろにいた自分だけだ。多くの味方を失った上官は、捨て身の覚悟で捕らえた仇へ静かな怒りをぶつけた。ただ、自由を奪われた苛立ちから、飆も食ってかかる。
「はっ、聞いてどうする? それだけボロクソにやられて、まだ正義の味方ヅラできるなら大したもんだ――どのみちテメェらは全員殺す。ムダなことして手間取らせるんじゃねぇ」
「貴様は俺が片付ける。これ以上、誰の命も奪わせない」
「……そういうテメェはどれだけ奪ってきたんだ」
刹那の沈黙。次いで水牢全体が大きく波打った。周囲の空気が鋭利な硝子片に変わる。飆が放った覇気は、水脈を伝って離れていた紅葉の元にまで及んだ。
心臓がいやに大きく跳ねている。十分な距離を挟んでいるにも関わらず、その純粋な殺意は直に喉元へ突きつけられた刃に等しかった。
「ああ、そうだったな。軍に入りさえすれば、どれだけ殺しても許されるってことを忘れてたぜ。他より多く殺せば、そいつは英雄扱いだ。そのうち神にでもなれるってのは本当か? ……くだらねぇ。まったくどうにも虫唾が走りやがる」
「――無抵抗の者を害しただけでは飽き足らず、我々を侮辱するとは。戦の掟さえ理解できない狼藉者が、我々の戦いを同列に語るなッ!」
牙雲がとうとう青い眦を決する。飆は嘲笑を浮かべていたが、山吹色の眼光には隠しきれない憎悪を滾らせたままだ。
「その“掟”とやらを理解してねぇのは一体どっちだ。もし本気で言ってるんだとしたら、随分とおめでたい野郎だな。生憎だが、外野から見りゃあテメェも単なる人殺しでしかない。テメェが俺のやることに説教垂れる資格なんざねぇんだよッ!」
途端に狭い空間から暴発した魔力が漏れ出した。牢の中にある瓦礫や廃材を風圧で巻き上げながら、飆が膜を打ち破ろうと殺気立つ。
衝突が起きるたび、内側を走る水脈が亀裂を修復しようと発光していた。同時にハルバードを掲げている牙雲の顔が何度も歪む。
「これほどの力の反発だと、持って数分か」
漏れ聞こえた言葉に、紅葉は上官が取るべき選択を迷っているのだと思った。
周囲に満ちる魔力には、逆鱗に触れられた牙雲の激しい怒りが現れていた。だが、飆の力量は彼よりも上だ。牙雲が仇を始末できなければ、残った自分にも同じ未来がやってくる。
一方で彼が敵を拘束していれば、自分を安全に逃がすことはできるだろう。ただ、源泉となる魔力が切れた時――彼自身はどうなるのか。




