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蒼い背中  作者: kagedo
EP.1 上官との邂逅編
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-荒療治-

「っあ、ぐ、うぅうッ」


 焼き切れるような痛みと熱が神経に走る。腕に矢が刺さった時の比ではない。自分の脇腹を裂いたのは、波打つ刃の短刀だ。通常の切断面とは異なり、獣の牙で食い破られた咬傷に近い跡が残っている。


「紅葉ッ!」

「さあ、どうする? 時間が経つほど、コイツの傷からは血が出ていくぞ。じわじわ痛みが広がって苦しいだろ。オレの愛刀は一裂きで破る範囲が広いからなぁ」


 滴る赤を見せつけたノワールの手からようやく身体が解放される。だが、大きく裂けた患部の痛みが強過ぎて動けない。引きつれた呼吸を零す自分に、牙雲が頬の鱗を大きく逆立てた。


「部下が大切なら大人しく引き下がった方が身のためだ。それともコイツを見殺しにする気か? 薄情なヤツめ」

「三つ目の選択肢を忘れているぞ。すぐに俺がこの戦いを終わらせてやる。覚悟ッ!」


 蛮行に触発された牙雲が啖呵を切った。月夜にかざしたハルバードが宙を駆ける。きぃん、という甲高い金属音。閃撃を浴びせかけるも、仇の双刀に阻まれて一つも通らない。


「なってねぇなァ」


 連撃の中でわずかに甘く入った太刀筋をノワールは見逃さなかった。振り抜いた短刀にハルバードの刃が弾かれる。たった一瞬で攻防の手が入れ替わった。


 敵の得物は確かに小さい。ただ、その腕力は武器ごと牙雲の身体を弾き飛ばせる強靭さだ。懐へ潜り込む接近戦では、身体能力の高い黒豹に圧倒的な分がある。自らの上を行く力と速度の斬撃を受けたら、牙雲も防戦に甘んじるしかない。


「せっかくならお得意の魔法を使ってみろよ」

「黙れ。貴様などこれで十分だ!」


 そして、《男爵》の位を持つノワールは己の力を過信しなかった。牙雲が魔法に優れた将だと理解した彼は、倒れている自分の傍からつかず離れずの間合いを保っている。味方に累が及ぶことを恐れる牙雲の性格を見抜き、強力な魔法さえ封じれば殺せると考えているのだろう。


 思惑に気づいた牙雲も、どうにか相手を引き剥がそうと武器を振りかぶる。しかし。


「っ!」


 がり、という音を立て、的確に放たれた刃が隊章の塗装を削ぐ。ハルバードを盾に、牙雲は辛うじて左胸への致命傷を避けた。だが、これが続けばいつかは限界が来る。


「……くそっ、……少佐、」


 ――ああ、本当に、今の自分は足手まといだ。自分のせいで上官をまた危険に晒している。このまま終わるなんて絶対に嫌だ。とにかく牙雲が優位になれるように手立てを考えなければ。


 金属の擦れる音が近くで響いている。少し遠ざかってはまた耳元で喧噪が過ぎる。


 泥の中で伸ばした掌にふと何かが触れる。掴んで手繰り寄せたのは弩だった。よく見ると矢が装填されたままだ。先に牙雲が放った魔法により、獣人の兵が持っていた物が流れてきたのだろう。


 寝転がったまま咄嗟にそれを構えた。ただ、牙雲へ肉薄するノワールの動きが速過ぎる。自分の腕だと照準を合わせるのは無理だ。


「やっぱり、ダメか」


 破れた腹を押さえていた片手を月明かりに晒せば、真っ赤に染まっていた。出血が酷くて意識が朦朧としてくる。ここで自分が死んだら、牙雲は心置きなく魔法を使ってくれるかもしれない。そんなどうしようもない考えが頭を巡る。


 紅葉は弩から矢を引き抜いた。本物の戦場はこうして呆気なく人の命を呑み込んでいく。あれだけ息巻いて臨んだのに、人に迷惑をかけて犬死にするのか。認めたくないが、そういう運命ならば仕方ない。


「少佐、すみません……もう、オレ、持たないかも」


 刃のぶつかる撃音とノワールの笑い声。牙雲の乱れた呼吸が耳朶を打った。


 月明かりを受けた鈍色の矢尻が眩しい。これを心臓に刺したら、そう苦しまずに死ねるだろうか。つい楽な方に逃げるのは悪い癖だな、と自分でも思う。


 打ち合う鋼が意識の向こうで交錯する。その狭間で凛とした声が聞こえた。


「紅葉っ、絶対に死ぬなッ! ……お前みたいな馬鹿は、死んだ後も人に迷惑をかける!」


 誰にも届かない独り言を聞きつけるなんて、この上官はきっと地獄耳だ。しかも、死にかけているこの期に及んでまで小言を言われるとは。


 自分がそんなに気に食わなかったのか。強い痛みが過ぎたらとても眠くて、こうして意識を保たせているのもやっとなのに――


「だからッ、俺が……俺がお前の馬鹿を治すまで、死なせない!」


 ――自らの命が懸かっているのに、部下の心配なんてしなくていい。任されたからってそこまでするのか。この人の方が自分よりよっぽど馬鹿だ。馬鹿がつくほど真面目で、お人好しだ。


 この人の前で無様に終われない。死んだら一生、自分が彼の心の棘になってしまうから。


「……ああ、もう。これじゃうるさくて、死ねませんよ」


 閉じかけていた瞼を抉じ開ける。ぼんやりとした光の中、浮かぶ銀の髪と蒼い背中が、自分を夢から現実へと引き戻した。


 たとえここで死んだとしても、あの分だと優しく弔ってはくれなさそうだ。血を流す傷口に掌を当てる。紅葉はそこに微量の魔力を籠めた。


 じわりとした熱。それが次第に温度を上げて患部を焼き閉じる。自分の物とは思えない醜い呻きが口をついた。痛いとか、辛いとかの次元を超えている。自ら身体に火をつけるなんて、大体の場合なら本当に死んだ方がマシだ。


 今の精神力なら弱火で丁度いいだろう。こんな荒療治をする羽目になるなんて、自分も大概な馬鹿だった。


 ゆっくりと上体を起こし、無理に塞いだ傷口を見て思う。ああ、どうせ焼かれるなら――せめて可愛い救護部隊の女の子に、優しく世話を焼いてほしかった。


「……う、ぐ……ッ」


 支えもない場所でふらふらと立ち上がる。視界が明滅して上手く機能していない。それでも将が諦めずに武器を振るう気配だけは感じた。しかし、牙雲をあしらう横でノワールが歩き出した自分の姿を捉える。


「ちっ、あれだけ血を流してもまだ立てるとは。長い尻尾を落としただけだったか?」


 苦々しげに吐き捨てると、黒豹は緩慢な歩みの自分を再び地に伏せさせようとした。だが、その行く手をハルバードの刃が阻む。


「貴様の相手は俺だッ!」


 自分を逃がそうとした牙雲が食い下がった。力で圧倒する仇の攻撃を受け続け、彼も満身創痍だ。だが、気力を振り絞り、築かれた可能性をつなぐ意志を見せる。


「邪魔だって言ってんだよッ!」


 重い一刀。受け止めた鈍色の柄に大きな傷が走る。渾身の力で放たれた斬撃に牙雲が地面へ弾き飛ばされる。ばき、と何かの折れる音がした。鈍色の武器が静かに泥へ沈み込む。掠れた呻きが耳を掠める。


 すぐにでも振り向いて上官を助けたかった。ただ、かけられた言葉が靴先を留める。自分の身は自分で守る。人の心配はその後だ、と。


「……ッ、少佐、……オレも、死にそうだけど、がんばってるんですから、……少佐も、死ぬとか、やめてくださいよ」


 生き残らなければならない。顔を上げると、騒ぎを聞きつけた篝火がこちらに向かってきていた。これまで届かなかった光がボロボロの身体を照らす。しかし、それと同時に後ろから闇が疾走してきた。


「逃がすかッ!」


 牙雲を振り切ったノワールが再び黒豹の姿を取り、兄弟の仇を討とうと追ってきた。ここまで来て、後少しで――もう、祈りは届かないのか。


「ッ、うぅうっ」


 どん、という大きな衝撃と共に、背中へ黒豹の爪が掛かる。後ろに引き倒され、視界がまた黒に呑まれていく。もみ合うように足掻いて、藻掻いて。呻きながらも頸部を狙う爪を引き剥がそうとした時。


「な、に……?」


 ノワールの唸り声が途絶えた。動きを止めた黒豹の心臓に生えていたのは、弩の太い矢だった。互いに地面を転がった弾みで、手にしたままの物がそこに刺さったのだ。


 朦朧とした意識の中で、紅葉は敵将を穿つ矢尻を見た。そして、精一杯の虚勢を吼えた。


「アンタには悪りぃけど。オレはまだ、死ねないんだ」


 一度は自らの心臓を刺すつもりだった物が、敵に突き刺さっている。自分は、あの小言をまだ心のどこかで聞いていたかった。


 掴んだその矢を躊躇わずに深くまで押し込む。獣の喘鳴。貫通した胸部から鮮血が流れ出す。崩れていく闇の色へ押し潰されるようにして、紅葉はふつりと意識を手放した。

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