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蒼い背中  作者: kagedo
EP.4 無差別襲撃事件 調査任務編
59/168

-透明な鬼神-




* * *




 荒涼とした大地が続く中。嫌な静寂だけが空間に満ち満ちている。


 黒衣の伏兵たちは、灰に包まれた世界へ巧妙に気配を溶け込ませていた。彼らは進路にある物陰に隠れては現れ、こちらを翻弄しながら逃れている。牙雲が小隊を連れて警戒に当たっているものの、いまだに捕捉できずにいた。


「家屋を重点的に調べろ!」


 号令に蒼い軍服たちが周囲へ散る。彼らに続き、紅葉も付近に点在する建物を調べた。


 乾いた空気に塗炭の屋根がからからと笑う。剥がれかけた木の板が軋みながら呻く。割れた硝子窓を抜ける風がひゅうと咽ぶ。今にも崩れ落ちそうな物置小屋を覗き込めば、眼前に白磁の面が浮かんだ。


「うわッ!?」


 扉の裏から飛び出した黒衣が小刀を振りかぶる。咄嗟にかざした腕の鱗が腹部への刺突に噛んだ。だが、組み合う前に視界が一段下がる。


 途端に反転する天地。足を払われ、掴み損なった黒衣が視界の端で翻る。


「ッ、くそ、オレより逃げ足が速いなんて」


 埃を被った床から身を起こすと、紅葉は黒衣を追った。踏み締めた地表から土埃が舞う。自分を撒こうとした敵が再び廃れた家屋へ飛び込んだ。


「少佐っ、その建物に一人います!」

「敵から目を離すな!」


 牙雲が複数の隊員を朽ちた建造物へ向かわせる。黒衣の兵が古ぼけた曇り硝子を突き破った。


 大きく響いた物音に視線が集中する。それでも命令に従い、紅葉は目の前に現れた黒衣を追跡し続けた。しかし。


「……!」


 ――びょうびょうと鳴く、一陣の風。


 風切り音を立てながら周囲の地表が筋状に抉れた。吹き抜ける烈風が吼える。並走する自分の前で、黒衣の肉体が縦半分に切断された。


 血飛沫はほとんどなかった。ぱっくりと割れた断面から溢れる臓物もない。それほどまでに研がれた刃を思わせる斬撃。


「――来ちゃダメだっ!!」


 硬い地面を削ぐ鬼の爪痕に、頬の鱗がぶわりと逆立つ。蒼い群れを留めようと、紅葉は声の限りに叫んだ。だが、周辺の家屋を震わせながら不可視の殺意が一帯に吹き荒ぶ。


 唸る吹きおろしが鼓膜を揺らした。透明な爪があらゆる遮蔽物を破壊しながら迫ってくる。砕けた家屋から巻き上がる粉塵で、辺りは灰の嵐と化した。


 視界が奪われ、向かい風で移動も叶わない。死を連れた息吹だけが急速に接近してくる。


「がはッ……!」


 大きな質量を伴う衝撃が肉体を襲った。足元が嫌な浮遊感に包まれる。踏み止まれず、紅葉は瓦礫の山に全身を叩きつけられた。


 暗転する視界。舞う砂埃が呼吸のたびに喉へ張りついて、ひどく不快だ。覆い被さっていた木板を押し退けて、紅葉は呻きながら上体を起こした。


「さっきの攻撃、直撃じゃなかったのか」


 あの暴威を目の当たりにした以上、四肢の切断ぐらいは覚悟していた。ただ、打撲の痛みや神経に走る痺れは、自分が五体満足でいる証拠だ。暴風で剥がれた廃材に弾き飛ばされた結果、幸運にも鎌鼬の軌道から外れたらしい。


 だが、自身の無事を喜んでいる暇はない。歪な斜面を滑り降りると、紅葉は旋風に巻き込まれた蒼い群れの姿を探した。


 ――最初に飛び込んできたのは、全身から青い輝きを放っている上官の姿だった。濡れた地面を見る限り、牙雲が水壁で鎌鼬を相殺したのだろう。魔力の及ぶ範囲にいた隊員たちは、膝をつきながらも生き残っていた。


 ただ、彼は凛とした横顔にある鱗をひどく逆立てている。視線の先には大地に広がる鮮明な赤があった。


 今の一撃でこの場にいた小隊の半分が消えた。縦横に裁断され、肉塊へ変わり果てた亡骸を前にして、さっと血の気が引いていくのを感じる。


「生きている者は即刻この場から離れろッ!」


 地表を荒れ狂う暴風が止んだ。牙雲が切迫した声で退避を命じる。しかし、彼は武器を構えたまま動かない。


「少佐、何するつもりですか!」


 四方へ散った蒼の群れに逆らい、紅葉は彼の背中へ辿り着く。牙雲は振り向きもしなかった。それでも叫んだ問いは耳に届いていたらしい。


「こんな場所にいないで、早く下がれ」

「だったら少佐も行かないと! まさか、本気で仇討ちしようなんて考えてませんよね?」

「……その選択ができるほど、力が拮抗していれば良かったのだが」


 乾いた声で告げられた事実に紅葉は唇を噛んだ。よく見れば、牙雲の纏う軍服の裾には断ち切られた跡が残されている。


「鎌鼬への魔力干渉には確かな手応えがあった。ただ、俺の力量では完全に相手を制圧できない。自衛だけならまだしも、他者を庇っての戦いは不可能だ――だから、今は俺の指示に従ってくれ」


 時平の率いる第六部隊は物理的な破壊力と頑健な鱗を持つ代わりに、魔力による反撃手段を持たない。そのせいで見えない敵から一方的に攻撃されていた。


 反対に、牙雲自身は強力な魔法を主体とした戦い方ができる。しかし、付近に味方がいる環境では本領を発揮できない。だからこそ、彼は部下を安全に逃がすため、一人で残る決断を下した。


 ただ、気丈に見せているものの、上官の呼吸はずっと乱れている。落ち着きを見せる声音へ埋もれた恐慌を、紅葉は肌で感じ取っていた。


 盟友を傷つけられた怒りもあるだろう。だが、彼が最も恐れているのは――この場の全てを失うことだ。


「紅葉、もう時間が無い。次の攻撃が来る前に逃げろ」


 びょう、と吹き付ける生温い風が一房の銀色を揺らす。牙雲の背から発せられた魔力の輝きが倍に膨れ上がった。


 冴えた冷たさを帯びた魔力が赤い鱗をさざめかせる。紅葉は彼の肩へ伸ばそうとした手を下した。守るべき者が退いていく気配を察したのか。牙雲が鈍色の切っ先を正面へ向ける。


「……警告する。ここは不争の掟が存在する緩衝地帯だ。こちらに戦闘の意思はない。しかし、この警告を無視するようであれば、防衛行為としての戦闘を継続する」


 無情なる命の蹂躙を前にしても、彼は軍人としての立場を貫いた。しかし。


「ッ、やはり俺たちを皆殺しにするつもりか」


 その最後通告に対する答えは、烈風に紛れた鎌鼬だった。地表を高速で走る疾風を押し留めようと、牙雲がハルバードの一振りで白波を生み出す。高密度の水壁に無数の風刃が衝突する。着弾点から連なる水飛沫が上がった。流れる水鏡の表層が抉られ、青い輝きが周囲に乱反射する。


 瀑布(ばくふ)のごとく激しい流水音に振り返れば、透ける壁の向こうに朧げな人影が見えた。刹那、歪む水面が一瞬にして霧散する。


 破裂音と共に、気流を従えた影が壁の中央を突き破った。反応した牙雲が武器をかざすも、瞬時に距離を詰められる。


 翻る蒼い裾、それと対をなす血染めの陣羽織が空虚な世界ではためいた。ハルバードの刃先を掻い潜り、旋風に乗った残像が標的へ突進する。


「ッぐ、……!」


 短い呻きが耳朶を打った。見れば重く入った膝頭が蒼い身体へ減り込んでいる。防御が間に合わず、細身の体躯が灰の地面へ吹き飛ばされた。


 魔法では牙雲とそれほど力量差がないと見たのだろう。瞬時に物理的な手段に出たということは、相手は心喪失状態でも、暴走している訳でもない。明確な目的の上に無差別な殺戮を繰り返している。


 ――頬に触れる温い風は、死の前触れだ。


「牙雲少佐ッ!!」


 追撃の鎌鼬が土煙を上げながら牙雲に迫る。紅葉は物陰から咄嗟に火炎弾を放った。


 伏した身体の前へ落ちた篝火が、渦巻く気流に沿って激しく燃え上がる。瞬く間に天高くそびえた真紅の柱が、止めを刺しに向かった敵の動きを鈍らせた。


「少佐っ、次が来ます!」


 蹲っていた牙雲が身体を起こす。彼がその場から退避した直後、透明な鬼の爪が炎柱を引き裂いた。数秒前まで牙雲が倒れ込んでいた場所には、幾筋もの爪痕が刻まれている。


「――ちっ、また逃がしたか。今日はえらく刈り残しが多い」


 低く呻るような悪態が遠くで聞こえた。獄炎が赤々と照らす中、紅葉は現れた鬼神の姿をようやく鮮明に臨む。


 背に束ねた長い山吹色の髪が凶風になびいている。ねめつけるような瞳もそれと同じ色だ。双眸の奥には周囲で揺らぐ炎よりも強く、ぎらぎらと滾る覇気が宿っている。


 頬に大きな箔のついた武骨な顔は険しく歪められていた。齢は自分より一回りも上に見える。体格は自身とほぼ互角だが、耳は尖っていない。獣の特徴も無いことから人間だろう。


 裾の擦り切れた陣羽織は、肩口を見ると元々白地だったらしい。その内側からは黒い着物と袴が覗いている。記憶の中で最も近い出立ちは、牙雲の故郷にいた水神の兵だ。民間人を襲って強奪した物だろうか。羽織は荒らした戦場の兵から剥ぎ取ったのかもしれない。


「あの飆ってヤツ、いったい何者なんだ」


 相手の動きを伺っていた時。透明な鬼神――『(ヒョウ)』と呼ばれた男が、ぎろりと物陰を睨む。次の瞬間には、紅葉のいる瓦礫の頂点にその姿が移っていた。

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