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蒼い背中  作者: kagedo
EP.4 無差別襲撃事件 調査任務編
58/162

-楽しいおしゃべり-

 拠点へ搬送された時平を見送ると、そよぐ風に銀の髪をなびかせた上官が紅葉の元へ戻ってくる。


「少佐、これからどうします?」

「被害の全容が分からなければ、どのみち我々も帰れない。亜久斗中将の調査が終わるまでは周囲の警戒を、」

「お二人とも、少々よろしいですか」


 牙雲と今後の会話を続けていた最中、不意に亜久斗から声がかかった。


「これまでの情報を整理していたのですが――この無差別襲撃事件の犯人は、一人ではなさそうです」

「時平は相手が単騎で襲ってきたと話していましたが。どういうことでしょうか」


 牙雲が尋ねると、亜久斗は自身の見立てを口にした。


「時平少佐が最後にしていた話から、襲撃事件の犯人は別の“何か”から逃れていたようです。そうなると、犯人は南の方へ追い込まれていたと考えるのが自然でしょう」

「では、その“何か”が伝令兵を害したと?」

「相手に思惑があり、他の軍から襲撃犯の情報を意図的に隠すつもりで伝令兵を狙っていたとすれば説明がつきます。詳しい事情は――そこにいる方がご存知かもしれませんね」


 ひゅ、と鋭い音を立てて、紅葉の耳元を黒い塊が過ぎる。振り向いた先の廃屋の壁には苦無が突き刺さっていた。


「ちょ、ちょっと、亜久斗さん!? 何してくれるんですか……って、あの人ドコいったんだ?」


 忽然と姿を消した上官を探していると、朽ちた壁の裏で鋼の打ち合う音が響く。陰から飛び出して来たのは黒衣の兵だ。その後ろにもう一つの影が肉薄する。


 牽制で放たれた鉄杭の先には亜久斗がいた。完全に気配を殺していた彼は、予備動作すら見せずに同じものを返す。


 弾かれた艶消しの黒い先端が地面に散らばった。自身の動体視力では高速で交わされる投擲を捉え切れない。だが、それよりも恐ろしいのは、躍動する互いの肉体がほとんど音を立てていないことだ。


 視界の隅を走った残影を追いかけると、既に亜久斗が敵の首を狙っていた。組み付かれた相手が黒革に覆われた腕を振り解こうとする。だが、覗いた項へ容赦ない手刀が叩き込まれた。


「お手数ですが、縛る物を持ってきていただけませんか」


 きゅ、と短く鳴いた敵がその場へ倒れ込む。呆気にとられていた自分に向かい、亜久斗が飄々と要求を述べた。敵兵の手足は寄越された縄ですぐに括られていく。


「あっという間に一人でノーバディの偵察兵を捕まえちゃうなんて。ホントに内勤の人なんですよね?」


 あれだけ激しく動いていたはずが、彼は呼吸一つ乱していない。思わずそう零せば、亜久斗は手をはたきながら秀麗な笑みを浮かべた。


「僕は単独任務の機会が多かったので、必要最低限の危険感知と護身術を身に着けています。しばらく前から視線を感じていましたが、時平少佐のおっしゃっていた話で後をつけられている確信を持ちました」


 前線に立つ自分たちよりも遥かに鋭敏な索敵能力と、何事にも動じない胆力。そして、あの流れるような体術の所作が“必要最低限”だというのなら――この上官は、過去にどんな修羅場を潜って来たのだろう。


 そんな考えを巡らせている間に、亜久斗は相手の白磁の面を剥がし、露出した頬を叩いて目覚めさせた。


「おはようございます。お加減はいかがですか」

「なっ、き、貴様……!」

「ふふ、ちゃんとお話のできる口があって安心しました。盗み聞きをしなくても済むように、貴方を僕たちの輪に入れて差し上げようかと。さあ、これから楽しいおしゃべりをしましょう」


 つ、と黒革の指先で首筋を撫で、彼はいやに穏やかな口調で語りかける。赤い舌を覗かせる唇を見て、紅葉は背筋に薄ら寒いものが走るのを感じていた。


「最近、この緩衝地帯では人族に対する襲撃事件が頻発しています。それについて僕たちが現地調査をする中で、気になる点を見つけました。他人事ではないと思いますし、良ければ情報交換をしませんか」

「話すことなどない」

「ふむ、平時であればその反応も致し方ないかと。しかし、この場にいる貴方の目的が我々と同じなら、我々の間には明確な利害関係があります。僕は自軍の被害を食い止めたいだけで、他を害するつもりはありません」


 穏便に事を運びたいのならば、敵も交渉に応じるはずだ。ただ、簀巻きにされて円陣の最中に置かれたままでは、こちらを信用できないのも頷ける。


「僕たちが追っているのは、血染めの陣羽織を着た人物です。単独でも軍の部隊を壊滅させる圧倒的な力を持っているようですが、生き残りが証言するには、その人物も何かに追われているようだった、と。大変興味深い話ですので、近くにいた貴方も同じ感想を持ったのでは?」

「まだこちらが情報を持っている確証もないのに、よくしゃべるものだな」


 誠意を示すために先んじて情報提示を行ったものの、相手は頑なに口を閉ざしたままだ。しかし、亜久斗は色付いた唇を横に引く。


「確証ならありますよ。貴方の持っていた機密文書を拝借しましたので」


 彼は敵の鼻先に折り畳まれた封書をちらつかせた。縛り上げるついでに懐を探っていたのだろう。


 優雅で気品ある仕草からは想像もつかないほど、彼は手癖が悪い。いつかの懐をまさぐられた気分になり、紅葉は無意識のうちに脇腹をさすった。


「暗号文なので僕が読める範囲となりますが……ふむ、先ほど聞いた襲撃犯の特徴と合致する者を探せという内容でしょうか。ただ、最も気になるのは、その人物を『追跡せよ』という記述です」


 大きな事を起こした者を“始末”するのであれば理解できる。だが、彼らにはどうやら別の事情があるらしい。書面はいずれ解析できるため、亜久斗の望みは斥候だけが持つ機密だろう。しかし、相手から返ってきたのは沈黙だけだ。


「どうしても僕とおしゃべりしたくないようであれば、こちらを使うのもやむを得ませんね」


 長い睫毛に縁取られた瞳をぬらりと光らせ、彼は懐から試験管を取り出した。淵を傾け、敵の目の前で満ちた液体を暗器に纏わせる。零れた雫が地面に触れた瞬間、じゅ、と焼け付く音が響いた。


 ほんの一滴で骨肉を溶かす劇薬に、斥候の顔がわずかに強張る。露骨な脅しだがこの場では有効だ。


「自分はそこにある内容以外、何も聞かされなかった」

「そうですか。ただ、僕の経験則から申し上げますと――斥候の類が最初に口にする真実は、得てして不誠実なものです」


 紫紺の底深くで疑念の炎が燃え広がる。相手を静かに、しかし、確実に追い詰める威圧の視線が注がれる。それは暗がりに潜む捕食者を彷彿とさせた。


「ッ……なぜ、追跡しろという命令が出ているのかは、本当に知らない。それ以外で分かるのは、ヤツの名前ぐらいだ」


 吐き出された真実に、亜久斗は抑揚を無くした声音で追い討ちをかける。


「おや、それはぜひともご教示いただきたいものです。仇の名も知らずに殺しては、死んだ味方に申し訳が立ちません」

「事を起こしているのは――『(ヒョウ)』という名の男だと聞いた」


 明かされた正体に蒼い軍服たちが息を呑んだ。亜久斗もしばらく考える素振りを見せていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「聞き覚えのない名前ですね。ただ、ノーバディはその男に価値を見出しているのでしょう。そちらにとっては、喉から手が出るほどに欲しい駒でしょうし」


 当然ながら、一人で部隊ごと相手取る兵は各組織の位持ちに匹敵する逸材だ。実力を持つ将の情報はどの組織も互いに有している。


 しかし、軍の中枢機関にいる亜久斗がその名を耳にしたことがないのであれば、襲撃犯は組織外の第三者なのだろう。そして、斥候を中心とするノーバディにとって、他を圧倒する武力を持つ存在は特に貴重だ。


「貴方たちは、襲撃犯を懐柔する目的で各軍の伝令兵を殺害し、襲撃犯に対する情報を意図的に隠そうとしていたのではありませんか」

「……仮にそうだとしたら?」

「生憎、こちらは既に実害を被っています。報復せずには引き下がれません。ゆえに貴方たちが妨害を続けるつもりなら、こちらも相応の手段に出ます」

「事実がどうであれ、この件には関わらぬ方が身のためだ。あれは貴様らの手に負える存在ではない」


 再び閉ざされた相手の口を、亜久斗がどのように抉じ開けようかと思索していた時だった。


 蒼い群れの隙間を縫うように黒い一閃が走る。空いた背中に向けられた攻撃を、亜久斗は直前で回避した。しかし、放たれた切っ先の真の狙いは別にある。


「――右に二人、左に三人ですか。思ったよりも数がいましたね」


 喉元へ苦無が刺さった遺体を見て、周囲の隊員たちは警戒体制に移る。残念ながら手がかりは始末された。このままでは真実が闇に葬られてしまう。


「牙雲少佐。僕は左に逃げた者を追いかけますので、そちらは右を追ってください。また、残った人数で現場の保全をお願いします」


 手短な指示だけを残すと、亜久斗はその場から音も無く姿を消した。彼の補佐をしていた分隊は動揺していたが、牙雲から紫紺の影を追って支援するように命じられる。


「紅葉、我々も行くぞ」

「了解っス」


 ハルバードを携えた牙雲の背中を追い、紅葉は点々と並ぶ朽ちた廃屋の間を走り抜けた。

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