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蒼い背中  作者: kagedo
EP.4 無差別襲撃事件 調査任務編
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-要注意人物-

 恭しく一礼すると、亜久斗は黒革で覆われた手を差し出した。誘われるようにそれを掴み、紅葉も立ち上がる。


「へえ、亜久斗さんっていうお名前なんですね。オレは、」

「――第五部隊の紅葉君、ですよね?」


 ほのかに赤く色づいた唇が笑みを形作る。名乗ってもいないのに自分のことを口にされるとは、どう考えても脈アリだ。


「オレ、どこかでお会いしましたっけ?」

「いえ、“直接的な”機会は今回が初めてです。ただ、君にとても興味があったので、事前に少しばかり調べさせていただきました」

「実はオレも亜久斗さんのことスゴい気になってて! 食堂とか廊下でオレのこと見てくれてたんで、声かけようと思ってココまで来たんスよ!」

「......おや。お互いに追いかけたくなるほど興味があるとは、まるで運命のようですねぇ。紅葉君さえ良ければ、これからお茶でもいかがでしょう?」

「マジっスか、なら喜んで!」

「では、どうぞこちらへ」


 すっと伸びた蒼い背中に導かれ、紅葉は廊下の一番奥にまで辿り着く。そして、開かれた樫の扉の向こうへ足を踏み入れた。


「うわぁ、書類だらけじゃないですか」


 視界を埋め尽くしていたのは、それぞれの卓上で山積みになった白い斜塔だ。ドラーグド内のあらゆる情報が集約された空間に圧倒されていると、前にいる相手がくすりと笑う。


「《調査班》は戦果報告書の分析だけでなく、戦闘以外で発生するあらゆる問題の調査も行っています。普段なら一日で依頼の山が五つほどできますが、今日は三つなので少ない方です」

「この量だと読むだけで日が暮れちゃいますって」

「そうですか? 慣れれば半日で片付けられますよ」


 事務方の彼らは自分たちが到底追いつかないような処理速度で仕事を進めているのだろう。白い小山をうっかり倒さないよう、紅葉は壁際を慎重に歩いていた。


 密集する紙束の隙間からは蒼い軍服が覗いている。報告内容についての愚痴――否、議論が数人で交わされているので、調査班の隊員たちが奥にいるのだろう。


「お茶の用意をしますので、ここでお待ちいただけますか」


 正面に視線を戻せば、部屋の隅で半開きになっている扉が現れた。中は薄暗くて窺えないが、相手の私室だろうか。


 以前の失敗から勝手をするのは憚られたので、紅葉はそこでおとなしく待っているつもりだった。しかし。


「亜久斗中将、お戻りですか!」


 執務室の奥から一人の隊員がこちらに駆け寄ってくる。私室へ入ろうとした亜久斗が振り返ると、彼は切羽詰まった表情で告げた。


「中央区画近隣で発生した“例の件”に関連する依頼が届いたため、すぐにご相談を……あ、すみません。取り込み中でしたか?」


 隊員は気まずそうに紅葉と上官を交互に見つめた。すると、亜久斗はしばらく視線を伏せた後、こちらへ向き直る。


「紅葉君。申し訳ないのですが、急ぎの用が発生してしまいました。続きはゆっくりと話ができる時にでも」

「残念ですけどしょうがないっスね。またお願いします」

「ええ、それでは」


 受け取った報告書を手にすると亜久斗はすぐに扉の裏へ消えた。すると、見送りを指示された隊員が苦い顔で耳打ちする。


「どこの誰か知らないが、危ないところだったな。いいか、亜久斗中将から誘われたとしても、絶対ついて行くんじゃないぞ」

「え、なんでダメなんスか?」

「……世の中には知らない方が幸せなこともあるんだよ」


 樫の扉が静かに閉じられる。廊下へ取り残されたのは、蠱惑する微かな甘い香りだけだった。




* * *




「――やけに帰りが遅かったな。どこで油を売っていたんだ」


 浮ついた思考のまま執務室の机に戻ると、自席にいた牙雲が刺々しい声を上げた。吊り目がちな青い瞳が今は完全に三角になっている。小言が倍増されそうな予感に、紅葉はこれまでの出来事を白状した。


「さっき食堂で言ってた美人を見かけたんで、それを追いかけてて」

「お前というヤツは、本当に懲りないな」

「けど、相手の正体がやっとわかったんスよ! その人もオレに興味があって、個別で話がしたいって誘われちゃいました」

「……お前にそんな話をしてきたのは、どこの誰だ?」

「《調査班》にいる亜久斗中将っス」


 がたん、と大きな音を立てて椅子が倒れる。驚いたのも束の間、牙雲が血相を変えて自分の所へ駆け寄ってきた。


「ドラーグドの“要注意人物”に一人で会うだなんて! 命知らずも良いところだぞ」

「いや、そんな大げさな」


 そうは言ったものの、牙雲は冗談を言う性格ではない。思い返せば、戦況管理部隊で道を尋ねた隊員や見送りに来た隊員も、なぜか自分を引き留めようとしていた。


 妖艶な容姿を持つ上官の正体について首を傾げていると、牙雲が苦い顔で先を続けた。


「真偽のほどは定かではないものの、あの人の周りでは常に数々の噂が尽きない」

「たとえば?」

「あの人に声をかけられ、私室に連れ込まれた隊員が帰って来なかったという話や、個人的に有している研究室で何者かの悲鳴が聞こえた、という類の話が散見されている」

「ちょ、オレ拉致される寸前だったんじゃないっスか!」


 周りで聞き耳を立てていた隊員たちも、牙雲の話に小さく頷いている。隊員の間で囁かれる俗な内容であれば、牙雲は気に留めないだろう。むしろ、上官を侮辱するなと叱責されるかもしれない。


「なんで目ぇつけられたのかなぁ」

「お前が合同演習の時にやらかした騒ぎの件で、《調査班》へ顛末書を出した覚えはあるが」

「そっか、アレって亜久斗さんの管轄だったんだ……それより、どうしてそんなにヤバい人が野放しなんですか」

「仕事面だけで言えば、あの人の手腕は軍の折り紙付きだ。中将がいなければ《調査班》の仕事の大半が回らないとも聞いている。

 スマイリー大将の《懐刀》として懇意にされている上、軍の情報を掌握する参謀役ともなれば――内部の些事ぐらい簡単に揉み消せるだろう」

「それにあの見た目なら、大将だって絆されちゃってもムリないか」

「上官の判断をお前の下心と一緒にするな……というより、まだ気づかないのか? 確かに器量は良いが、あの人は」


 牙雲が口を開こうとした時。ぞわ、と背筋を冷たい何かが走り抜けた。机の上で突き合わせていた額を離すと、二人の背後に影が差す。


「――ふふ、随分と仲良しなのですねぇ」


 聞き覚えのある淑やかな声音と、誘惑の香りが本能の底深い場所を刺激する。ぎこちなく振り返れば、そこには噂の相手が妖艶な笑みを湛えて佇んでいた。


「第五部隊の皆さんへ至急ご協力を願いたい件があり、こちらをお訪ねしたのですが。それより先に、ぜひ僕にも秘密のお話を聞かせてください」

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