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蒼い背中  作者: kagedo
EP.4 無差別襲撃事件 調査任務編
53/161

-熱い視線-




* * *




 戦況管理部隊の資料保管庫で起きた出来事から、もう一週間が経っていた。


 ルームメイトの飛翼は時平たちと共に、数日前から中央区画の侵攻戦に出ていた。ウェスカーが一時的に留めていた戦況が戻りつつあるので、今のうちに自軍の持ち分を広げるように指示が出たのだろう。


 一方、領土内の敵を追い払う第五部隊には、まだこれといった召集がない。愚痴を言う相手もおらず、本部内の執務室と修練場を行き来するばかりの日々だ。


 ただ、穏やかな時間とは裏腹に、紅葉はどうにも落ち着かない生活を送っていた。


「うーん、なんか変なんだよなぁ」


 隊員たちで賑わう昼の食堂は普段と変わらない様子だ。だが、得も言われぬ視線を感じて、口に運ぼうとしていた食器を皿の上に置く。すると、隣にいた牙雲が大きな溜息をついた。


「さっきから何をブツブツ言っているんだ」

「いや、ここ最近、ずーっと誰かに見られてる気がして」

「誰が何の目的でお前にそんなことをする必要がある?」

「ですよねぇ。やっぱオレの勘違いか」


 あっさりと否定されたのもあり、せっかくの食事を冷めないうちに平らげようとした時――


「……ん?」


 不意に上向けた視線を宙で留める。配膳で並ぶ蒼い軍服の陰で、一人の隊員が遠巻きにこちらを見つめていた。一瞬だけ捉えたその容姿に、思わず食器を取り落とす。


 ――輪郭を覆う毛先の切り揃えられた紫の髪と、図らずも色を覚えてしまう眼差し。柳眉を覆う前髪の奥、伏した長い睫毛が濡れた艶を放っている。眉間からすっと通った鼻筋を下りた先で、薄く紅を引いたような唇が緩く弧を描いていた。


「しょ、しょーさ! ちょ、ちょっとイイですかッ!」


 向けられた妖艶な微笑みに食卓から身を乗り出す。勢いのまま牙雲の肩を揺さぶっていると、鬱陶しげに手を払われた。


「急に耳元で叫ぶんじゃない。食事ぐらい静かに、」

「アレ見てください! 今そこの廊下にめっちゃ美人がいて! オレに向かってニコってしましたよね!?」

「誰もいないぞ」

「そんなわけ……え? ウソだ、さっきまで絶対いたのに」


 改めて振り返ると、例の人影は跡形もなく消えている。何度も目を擦ったが、あったのは談笑する隊員たちの姿だけだ。


「おっかしいな。あんな美人がいたら、すぐに気付くと思うんだけど……って、少佐は何やってるんですか」

「熱はなさそうだな。幻覚が見えるほどの重病かと思ったのだが」

「いや、オレ元気ですよ」


 額へ押し付けられていた手は離れたが、牙雲は首を傾げながら口を開く。


「……紅葉。修練中に頭を打ったのなら、なぜすぐに言わないんだ? 早く医務室へ行って来い」

「だからホントにおかしくないですって!」

「そうだな、さっさと診察を受けて大事なければ戻れ」


 牙雲には明らかに白い目で見られている気がする。今の話が妄言であるという確証を得たいということだろう。


「ま、ちょっと仕事サボれるからいいか」


 すっかり冷めてしまった食事を掻き込むと、紅葉は一人で食堂を後にした。




* * *




「もー、だから異常なんか無いって言ったのに」


 診察室を出た紅葉は白い壁に向かってそう呟いた。前の戦からはいくらか時間が空いている。おかげで身体的な疲れもなければ、これといった精神の不調もない。


 ――その他で考えられる要因があるならば。自分の悪戯を目撃したスマイリーに、少しばかり脅かされたぐらいだろう。それでも謝って許されている。


「にしても、さっきの人がホントに幻覚だったらどうしよう。ってか今まで同じ場所にいたはずなのに、あんな美人を見つけられなかったのが一番ショックだなぁ!」


 これでも周囲にいる女性たちには常に気と視線を配っていたつもりだったのだが。下心でも見え透いて警戒されてしまったのかと考えていると、不意にまた視線を感じた。


「あ、」


 消毒液の匂いがする廊下を出た先。中央にある螺旋階段の手すりから自分を覗き込む影が落ちていた。


 天蓋から差し込む陽光がその容貌を照らす。深い紫の髪色と微笑を湛えた姿は、先ほど見た人物と同じだ。ただ、謎の人影はこちらを一瞥すると、中層へ通じる連絡通路に姿を消した。


「やっぱり幻覚じゃなかった! あの階だと戦況管理部隊にいるのか」


 相手が同じ部隊の者でないとすれば、今まで接触が無かったのも頷ける。しかし、どうして相手は声もかけずに自分をずっと遠くから見つめているのだろうか。


「もしかしてあの人、オレのこと好きなんじゃ?」


 戦闘部隊は集団行動が前提のため、必然的に一人でいる時間は限られる。相手はどこかで自分を見かけたものの、声をかける機会に恵まれなかったのだろう。だから、ああして自分に秋波を送ってきたに違いない。


 紅葉は弾かれたように長い石畳の階段を駆け上がった。牙雲のいる執務室を通り過ぎ、戦況管理部隊の階層へ向かう。


「そこの人! ちょっといいですか!」


 荷台を押していた隊員を呼び止めると、紅葉は矢継ぎ早に尋ねた。


「仕事中にスミマセン。つい数分前にすっごい美人がこの辺を通りがかったと思ったんですけど、どこに行ったか分かります?」

「美人? ……あー、たぶん《調査班》の執務室に行ったんじゃないかな」

「それってどの辺りですかね?」

「あっちの廊下を真っ直ぐ行って、左に曲がったところの一番奥だよ」

「了解っス! ありがとうございました!」

「けど君! “あの人”に一人で会うのは止めた方が――」


 隊員が何か言っている気がしたが、紅葉は振り切って先へ進んだ。言われた通りに進んでいくと、狭まった廊下といくつかの扉が自分を待ち構えていた。


 ここも一部が資料の保管場所になっているらしく、扉には部屋番号が割り振られている。だが、自分の目的は一番奥の扉だ。訪ねる理由も考えず、息を切らせて執務室へ向かおうとした時。


「うわっ!?」


 不意に並んでいた扉の一つが開き、進路を遮る。狭い空間では回避も叶わず、紅葉はその場へ転がった。


 視界に無数の白い紙がはらはらと舞い落ちる。扉との正面衝突は免れたが、床へしたたかに打ち付けた背中が痛んだ。しかし、起こそうとした上体には華奢な体躯が乗っている。


「あっ、す、すみません! 大丈夫っスか!?」


 石畳と相手の緩衝材になっていた紅葉は、受け止めた蒼い軍服姿に詫びを入れた。だが、相手は顔を伏せたまま動かない。当たり所が悪くて気を失ってしまったのだろうか。


 無事を確認するため、衝突へ巻き込まれた相手の肩へ触れる直前。


「――そういう優しい方は、嫌いじゃないですよ?」


 果実のように甘やかで気品のある匂いが鼻腔をくすぐる。滲む誘惑の香りに朦朧としていると、伸ばされた黒革の手にすり、と頬を撫でられた。


 きめ細やかな白磁の肌が覗く。鼻先で見つめ合っていたのは、長い睫毛に縁取られた紫紺の瞳だ。まさか上に覆い被さっているのが例の探し人だったとは。しかも、向こうから吐息が触れそうな距離まで迫られている。


 こんな美人に熱烈な視線を受けていたなんて、本当に生きていて良かっ――


「……え、ちょ、ちょっと? いや、ドコに手を突っ込んで……!?」


 いつの間にか外されていた釦の隙間から、黒革の手袋をした片手が懐に潜っていた。探るような手つきに紅葉が狼狽えていると、紫紺がす、と細められる。


「先ほどはこちらが確認もせずに扉を開けてしまったので。君に怪我がないかを――こうして、ゆっくりと、確かめているのですよ」

「それにしてはっ、やたら、こう……触り方が、いかがわしいっていうか……ひえっ!」


 脇腹をつつ、と指先で撫でさすられて思わず声が裏返る。見た目から想い人を遠巻きに見つめている奥ゆかしいタイプだと信じていたのに。そんな誤算と邪な期待が煽られて逆にパニックへ陥り、頬にぶわっと鱗が浮かぶ。


「もっ、もうホント、大丈夫です! オレぜんぜん元気なんで!」

「おやおや、どの辺りが元気なのでしょう?」

「わーッ!! 違いますッ、そういう意味じゃ、」

「ココもこんなに固くして。無理をなさってはいけませんよ」

「この状況の方がいろいろと無理なんで勘弁してください!!」


 頬の鱗へ触れる手を強引に押し返し、急いで身体を引き離す。正直、嬉しさよりも動揺の方が大きく、展開に頭が追いついていない。


「ひとまず支障が無いようで安心しました。頑丈な方はとても好みです」

「それは何よりで……」


 乱れた服を整える自分の横で、相手は床に散った書類を拾い集めていた。よく見ればその左腕には腕章がある。描かれていた紋様はウェスカーの物と似ていた。


「もしかして《中》の位の方っスか」

「良くご存知ですね。申し遅れましたが、自分は戦況管理部隊に所属する《中将》の亜久斗(アクト)です。《調査班》の班長も務めておりますので、以後、お見知りおきを」

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