-立入禁止区域-
* * *
「――まいったな、この中から探すのか」
自分の背丈を越えた棚が目の前にずらりと立ち並んでいる。広さのある空間の端まで書類で埋め尽くされている部屋に、紅葉は辟易しながら足を踏み入れた。
戦況管理部隊が持つ保管庫に入るため、今日は牙雲が一筆したためた紙を握らされている。彼からは部隊配置の分析のため、過去の資料をここで探すように命じてもらっていた。
歩を進めるたびに湿っぽい紙とインクの匂いが鼻先を掠める。棚のひしめき合う狭い通路をいくつも抜け、紅葉は棚の番号を頼りにようやく目的地へ辿り着いた。
「この近くだと思うんだけど……アレ? なんでココだけ書類が無いんだろ」
背表紙が並んでいるはずの場所にはぽっかりと空いた穴だけが残されていた。他の誰かが先に書類を拝借していたのだろうか。
「けど、本棚一つ分が丸々なくなってるのも変だし。整理でもしてて、別の部屋に持って行ったのかなぁ」
室内を見渡していると、奥まった壁際に深緑色の扉があることに気付いた。狭い場所では作業ができないので、別の空間でも設けているのだろうか。
少しばかりの期待を込めてそこへ向かうと、錆びた金属のプレートが提げられた取っ手が目についた。
「ちぇっ。この部屋は立入禁止か」
部外者の入室を拒む赤い表記に小さな溜息が漏れる。だが、このまま何の収穫もなく帰るなら、少しばかりの好奇心を満たしたい。
「だって“立入”禁止だもんな? 開けて見るだけならイイでしょ」
「屁理屈だ」と怒鳴られそうだが、今は小言を言う相手もいない。紅葉はくすんだ真鍮の取っ手を捻った。
押し開いた隙間から見えたのは、微かに湿った薄暗い石畳の床。そして――ずるずると音を立ててそこを這う、蠢く緑の群れ。
「……うわああぁッ!?」
瞳など無いはずなのに。丸く平たい葉を長い蔓でもたげた植物たちが一斉に紅葉を睨んだ。次の瞬間、大小様々な緑が突如として金切り声を上げながら迫ってくる。
理解できない状況に全身の鱗が逆立つ。紅葉は叫びながら握っていた取っ手を勢いよく引いた。
大きな音を立てて閉ざされた扉の間から、細い蔦が指でも伸ばすかのように溢れている。時折、そこを突き破らんばかりに何かが衝突する音も交ざっていた。
「いや、何だよ、今の化け物……!」
プレートがざらりと扉の表面を擦る音。それを聞いた紅葉は、そこでやっと並んだ言葉の意味を理解した。
本能が警鐘を鳴らしている。自分の意思とは関係なく、足が勝手に通路へと後退っていた。言われずとも分かる。ここを開けたら、きっと――
「悪い子だねぇ。入っちゃダメだって書いてあったのに」
背後から誰かの手が自分の肩を掴む。不意を突かれたせいで硬直が解けなかった。危険だと分かっているのに、指先一つさえ動かない。
「もう大丈夫。“彼ら”はいなくなったから」
とん、と軽く背中を押された途端、全身の金縛りが解ける。聞き覚えのある声に振り返ると、そこには掴めない笑みが鎮座していた。
「す、スマイリーさん? 何でココに、」
「キミを見かけたから、声をかけようと思ってついて来たんだ」
扉の奥から聞こえる音はもう収まったらしい。室内は耳鳴りがしそうなほどに静まり返った空間だった。いつの間に自分の後ろをつけてきたのだろうか。
「……あの扉、開けちゃって、すみませんでした」
「しょうがないなぁ。反省してるみたいだし、今日は見逃してあげる」
「ハイ、もう絶対にイタズラしません」
項垂れながら素直に謝罪する自分の姿を見たせいか。スマイリーはそこで扉の件に関する追及を終えた。
「それで、キミは何かを探しているみたいだね」
「そこの棚にある資料を閲覧したかったんスけど、一つも無かったんで困ってました。今はどこにあるんです?」
紅葉が書類の在りかを尋ねると、相手は肩を竦めながら返した。
「残念だけど、その棚の中身はすべて処分してしまったんだ。だからキミの希望には応えるのは難しいね」
「そうだったんスか。でも、どうしてこの棚だけ?」
「さあ? ボクも命じられただけだから」
その問いにスマイリーは静かに笑みを――否、笑みらしき表情を浮かべている。大将の位に指図ができる相手は、自分にとって雲の上のような存在だ。同時に彼の口から訳を話すことはないのだと察する。
「じゃあ、少佐から頼みは別の資料で対応します」
「そうしてもらえると助かるよ」
紅葉は一礼すると近くの書類を適当に掴んだ。会話を交わしながらも、一刻も早くこの場から立ち去りたいという焦りでいっぱいだった。
「そうだ、紅葉クン。もう理解しているとは思うけど……“この次”は無いよ?」
――よく研がれた刃物の視線が、また内側を貫く。
本部内で気を抜いていたのもあったのだろう。戦場とは異なる種類の恐怖と動揺が、一緒くたになって襲ってくる。
告げられた言葉の意味を深くまで呑み込めないまま、紅葉はまた駆け足でその場を離れた。
* * *
「どうした? 何かあったのか」
執務室へ戻った紅葉は、指の跡がつくまで掴んでいた資料を牙雲の元へ届けた。ただ、彼が思わずそう口を開くほどに、自分の顔色は悪かったらしい。
「いや、何でもないっス。欲しい資料が無かっただけで、」
歯切れの悪い物言いに牙雲が首を傾げている。だが、不意に席を立った彼は、紅葉を人気のない格納庫へ呼び寄せた。
「さてはお前、あの部屋で『立入禁止』と書かれた扉を開けたな?」
「えっ、何で分かったんスか」
悪戯を見透かされて驚いていると、牙雲が深い溜息をつく。
「俺が隊員だった頃、書類集めをしていた時平と共に、間違ってあの部屋へ入ってしまったんだ。そこで“緑色をした何か”に襲われかけたが、その時は二人がかりでどうにか扉を押さえつけて事なきを得た」
「そんな昔からあったんスね、あの部屋」
「次の機会に訪れた時には、警告の札も下がっていたから大丈夫だと思っていたのだが……お前のことだから、余計なことをしかねないと気付くべきだった」
「そりゃあ勝手に扉を開けたオレも悪いっスけど! 普通に化け物が徘徊してるとか、あの部隊の部屋、危険過ぎません?」
「戦況管理部隊には俺でさえ把握していない機密区画が多い。戦場と同じで、下手をすれば命に関わるということを肝に銘じておけ」
牙雲はそれだけ残してその場を去った。腑に落ちないことばかりだが、さすがに今回は上官の忠告を聞くべきだろう。
「あーあ、例の話も振り出しに戻っちゃったしなぁ」
消えた手がかりに、紅葉はその場でしばらく肩を落としていた。




