-空中戦-
* * *
味方を鼓舞するウェスカーの砲撃がもうずっと聞こえていない。遠ざかっていく戦場の喧噪が逆に不安を煽っていく。隣にいる彼女もそれを感じ取ったのか、唇をきつく噛み締めていた。
牙雲と離れた心細さが今になって襲ってくる。彼女も仲間とはぐれた時にはこんな気持ちだったのだろう。だが、今は護衛役の自分がしっかりしなければ。
――走って、走って、走って。ようやく《竜のとぐろ》が視界に大きく見えてきた。
「オレが先に行くよ」
拠点の陰から南面へ駆けつける。しかし、そこにあったのはひしゃげた魔導砲の残骸だけだ。静まり返った荒野から吹き付ける風にも硝煙の残り香はない。ただ、少し前まで激しい交戦が繰り広げられていたことを示すクレーターが地表のそこかしこにできている。
「もしかして、みんなして消し炭にされちゃったとか……わッ!?」
抉られた溝の数に視線を取られていると、不意に激しく爆ぜる音が耳朶を打った。咄嗟に気配を探れば、黒い衣を纏う竜人たちが空から地表に火炎弾を放ってくる。正体に気付かれてしまったらしい。
頭上を過ぎ去った影は拠点を急襲しにきた敵の群れだ。その先鋒隊が仕掛けてきたのだろう。
「紅葉さん、どうすれば」
焦げ付いた跡を残す地面に輸送班の隊員は青ざめている。旋回している相手も合わせると敵数は小隊規模だった。ここは下手に戦うより、護衛としての務めを果たす方が先だ。
だが、進路は既に業火に包まれている。火竜の血を引く自分なら耐えられるが、彼女は無理だろう。敵の姿が後ろに迫ってきた。逃げ道は見つからない。自分には彼女を守る術はないのか――
「上まで飛ぼう」
燃え盛る炎球を鱗の腕で打ち払うと、紅葉は彼女の腕を引いた。
「悪いけど、オレだけじゃあの数は倒せない。でも、君には絶対に生き残ってもらわなきゃ。拠点のみんなを助けるためにも、オレを信じてついて来てほしい」
輸送班の隊員がその説得に頷いた。白磁の面を投げ捨てる。なけなしの余裕を繕った笑顔で、紅葉は軍服の背にあるフラップを外した。
竜の翼を広げた二人は、屋上にある監視塔を目指して飛び立つ。ごう、という燃焼音と共に再び火炎弾が放たれた。彼女を庇いながら壁沿いに向かわせると、紅葉は迫る炎球を両腕で弾き返す。
「なーんだ、ぜんぜん弱火じゃん。油でも燃やした方がよっぽど温かいけど?」
対峙した敵に向けて舌を出す。挑発に乗った数体が自分を追尾してきた。
「オレはいいから先に行って! 屋上に着けば絶対に大丈夫だから!」
その言葉に、彼女は羽毛の生えた翼を力強く羽ばたかせる。自分の幼馴染と同じ飛竜の翼であれば、敵からは逃げ切れるはずだ。
「あの女を逃がすなッ!」
「だーかーらー! オレのこと無視するなっての」
「ちっ、邪魔しやがって」
炎を纏わせた腕を振りかざし、紅葉は追い抜こうとした敵を妨害する。だが、背後から複数の燃焼音が耳に入った。
「マズいな、ちょっとカッコつけ過ぎたか」
感じる空気の温度が変わる。見れば何人かの敵が集い、巨大な炎球を作ろうとしていた。炎熱だけならまだしも、不安定な空中では着弾の衝撃まで相殺できない。当たり所が悪ければ墜落するだろう。
その間にも生み出された白熱が軍服の裾を煽る。頬にぶわりと鱗が浮かんだ。敵は拠点ごと燃やすつもりで自分にそれをぶつけようとしている。
「紅葉さんっ……!」
振り返った輸送班の隊員が悲痛な声で叫ぶ。じり、と肌を焼く灼熱の色に息を呑んだ時――
「放てッ!」
号令と共に屋上の淵から気弾の嵐が降り注いだ。攻撃に集中していた敵は回避できず、次々に翼のコントロールを失って墜落していく。
「無事か!」
「あはは、一瞬死ぬかと思いましたけど……センパイたちのおかげで何とか」
怯える彼女を連れて飛び込んだ先、砲台を操作していた精鋭たちが駆け寄ってくる。襲撃に気付いた彼らが臨戦態勢に入っていると考えて、惹きつけた敵を一網打尽にしてもらったのだ。だが、まだこちらを狙う複数の影が付近を飛び交っていた。
「オレがアイツらの攻撃を弾くんで、その隙に倒してください!」
紅葉は制止を振り切って再び宙へ向かった。炎熱を物ともしない自分が盾になることで、攻守の役割がはっきりしたのだろう。牙雲の腹心である彼らは多くを語らずとも適切に動いた。
向かってくる紅蓮を順に叩き落せば、同時に狙い澄まされた気弾が的確に仇の翼を突き破る。連携の取れた空中の攻防を繰り返すうちに不利を悟ったのか。拠点の襲撃を試みた敵は、捨て台詞を吐いてどこかに姿を消した。
「助かったぞ、紅葉隊員。散っている奴らを倒すのに苦労していたんだ」
黒衣の影を追い払った紅葉が屋上に戻ると、精鋭たちが手を振って迎えてくれた。
「いーえ、大したコトないっス。ただ、なんで誰も下にいなかったんスか?」
「ああ、ウェスカー中佐が南面に張っていた敵の撃破に成功したんだ。全員無事だったから、今は拠点の守備に人員を回している」
「よかった! すげぇ心配してたんスよ」
「あれはまさに死闘だったぞ。中佐も傷を負っていて、最後の方は魔導砲に腕を括りつけるように撃っていたからな」
聞くに、双方の撃ち合いで生じた莫大な魔力の出力に耐え切れず、敵の砲は射出口が溶け出してしまったらしい。怪我を押して粘り続けたウェスカーは、仇が機能停止したところを仕留めたのだ。
しかし、生還したはずの指揮官がどこにも見当たらない。
「ただ、すぐその後に西側にいた敵が動き出したのが見えて。我々が危険を知らせる空砲を撃ったら、中佐はその場で煙幕を焚いて消えてしまったんだ」
「えっ、じゃあ誰も居場所が分からないってことっスか? せっかくケーブルを持ってきたのに」
彼女の抱えている箱を見た精鋭たちは、その言葉で襲撃の訳を悟ったらしい。
「中佐を撃破できず、ケーブルを奪えなかった以上、敵が憂いを断つには砲台を破壊するしかない。またここを襲撃される可能性もあるから、我々は動かない方がいいな」
「でも、ウェスカー中佐はまだ戻ってないんスよね。オレがちょっと様子見てきます」