-《ノーバディ》-
* * *
「――前方に敵影を確認。規模は想定通り1000前後と見えます」
「ふん、見た目でこちらに圧力をかけるつもりか」
魔導砲を担ぐウェスカーの舌打ちが響いた。広がる荒野の先に臨む敵の陣形はほぼ正方形だ。その隊列を囲うように黒い軍旗が等間隔に高々と掲げられ、実態以上の存在感を醸し出している。ただ、対峙した中で最も目立つのは、兵士たちの異質な姿だった。
「なんか気味悪いっスね。みんなして黒ずくめで、お面みたいなのつけてるし」
「《ノーバディ》は多種族からなる複合軍の利点を生かすため、正体を隠しているんだ。厄介さは随一だろう」
黒いローブとのっぺりとした白磁の面がずらりと並ぶ。理論に裏打ちされた戦術が取れない点を牙雲も不安視していた。
「総員、配置につけ。手筈は昨日の通りだ」
ウェスカーから指示が下った。牙雲が左で魔導砲を抱えようと動く。しかし、彼はそれを制すと紅葉を睨み据えた。
「少佐は後方の指示もやると思うんで、小銃の方をお願いします。魔導砲は取り回し悪いからオレがやりますよ」
無言の指示を察し、紅葉は言い訳をつけて牙雲と場所を替わった。淀んだ空気に鼻を啜り、敷かれた防衛線を靴先でなぞる。
「まずは中央に一撃を入れる。さらに左右の陣形に偏りが出たところを狙って一発。そして前へ溢れた兵を最後の攻撃で焼き尽くすぞ」
宣言と共にウェスカーの瞳が金に変わった。機先を制するため、今回も果敢に先手を取るらしい。将の肩に乗せられた魔導砲の射出口に青白い光が収束する。無情なる雷の暴威がいよいよ牙を剝いた。
「出力確認、安全装置解除、照準セット……発射!」
空気がきん、と張り詰める。きりきりと音を立て、砲口から溢れる鮮烈な輝きが轟音と共に放たれた。
白昼の光が空を埋める。放物線を描いて落ちる高密度の魔力が敵の上空で炸裂する。固まった隊列に大穴が開くと誰もが思っていた。しかし。
「砲撃が、消えた……?」
轟く天罰が敵の頭上に触れた途端。隊列に落ちたはずの青い雷火が急速に覇気を失っていく。眩い光が突如として霧散した光景に、自陣の内部へ動揺が走った。
呆然と荒野を見つめる紅葉の横で、ウェスカーが控えていた牙雲に問う。
「仕掛けの予想はつくか」
「砲撃の発動自体に異常はありませんでした。しかし、今の攻撃は何かに吸収されたように見えます」
「これから二撃目を放つ。攻撃が通らない原因を即刻解明しろ」
ウェスカーがわずかに表情を歪めながらも魔導砲を構える。無謀な要求だが、牙雲は将の命令に異を唱えなかった。
「行くぞ」
閃光の溢れる口径から再び砲撃が放たれる。重い射出音を轟かせた迅雷は、迷いなく仇を滅しようと空間を暴れ回った。
紅葉は目を凝らしてその軌道を追った。すると、激しく明滅する砲撃に触れた軍旗の先端が、奇妙な輝きを発している。
「敵の旗に攻撃が集中してませんか?」
「奴らは軍旗を避雷針にしているのか。それならば、吸収された中佐の魔力はどこに――」
原因を探る間、魔導砲を投げ捨てたウェスカーが無言のまま狙撃銃を構える。複数の発砲音が響くと、白磁の面をつけた前列の一部が膝を着いた。
将が抉じ開けた隊列の隙間から覗いたのは、見覚えのある箱型の装置だ。
「あれって、砲台につながってた動力装置じゃないっスか! しかも旗の後ろにケーブルっぽいのもありますし」
「中佐の砲台に使われていた装置の設計情報まで解析されているようだな。攻撃として出力された魔力を分散して吸収させ、あの中に蓄積しているのだろう」
「そんな! あの砲撃が単なる魔力に逆変換されちゃうなんて」
攻撃が通らない要因が判明した。だが、次の問題はどうやって攻撃を通すかだ。
「撃てない的ほど目障りなものはないな」
軍帽の将が苦々しくそう吐き捨てた時。突然、敵の前列が大きく動き出す。陣の後ろからせり出してきたのは小型の砲身だ。鈍色に輝いたその奥で微かに何かが燻っている。
「――すぐに魔導砲を寄越せッ!」
ウェスカーが吼えた。同時に収束した光の粒子が敵の砲身から吐き出される。抱えていた武器を慌てて渡すと、彼は間髪入れずに籠めた魔力を射出した。
「ッ!」
バチッ、という満ちた空気が破れ弾けたような音に思わず耳を塞ぐ。至近距離で起きた爆発により、周囲にはもうもうと土煙が立ち込めていた。
「アイツら、中佐の魔力を吸い取ってこっちを攻撃してきてるのか……!」
防衛線のすぐ先に刻まれたクレーターに紅葉は歯噛みした。敵はこちらの砲撃と遜色ない威力を繰り出せるらしい。今は反撃が間に合って相殺できたが、衝撃波だけでこの有様だ。だが、軍帽の将が金色の瞳を光らせたまま声を荒らげる。
「銃を急げ! 全員死ぬぞッ!」
まずいと思った時には対峙する銃口が火を噴いていた。返された砲撃を見て、冷徹な眼光の奥に明らかな焦りの色が覗く。装填された魔導砲が後ろから引き渡された。抱えたそれをどうにかウェスカーへ届ける。
だが、撃ち出された閃光は狙いがままならず、敵の砲撃からわずかに軌道が逸れた。
「ちッ……!」
ウェスカーが帳尻合わせの魔力弾を放つ。軌道は辛うじて保たれたが、無理矢理に持ち直したせいで威力を殺し切れない。爆ぜた雷火の一部が自軍の前列に降り注ぐ。飛び火した魔力を阻もうと、牙雲がやむを得ずハルバードの刃先から水撃を放った。
ばしゃん、と大きな水泡が空で弾ける。紅葉は濡れた短い髪を振るった。辛うじて人的な被害は防げたらしい。ただ、牙雲は蒼白な顔でウェスカーに告げる。
「申し訳ございません! 用意した武器が、」
先を告げようとした牙雲をウェスカーが掌で遮った。水をかぶった銃が使い物にならないのは彼も理解している。
「……ここまでか」
ウェスカーが白煙を上げる砲をその場へ投げ捨てた。その左腕には微かに赤い色が滲んでいる。仮に将が投降すれば、多くの兵が捕虜として命をつなげるだろう。反対に抵抗するなら流血は避けられない。それでもウェスカーが単騎でこの戦に臨んでいたのなら、絶対に後者の選択を取ったはずだ。
背負うつもりもないと言っていた命の重さが、今の彼を縛る桎梏になっている。
「本部へ伝達しろ。俺が無能だったために、この拠点を守り切れなかったと」
「中佐、まだ策はあるはずです。考えれば突破口が、」
「奴らが数時間もここで大人しくしていると思うか? 既に拠点を狙った分隊も放たれているだろう。現実としてこちらは一面しか庇えない。この戦へ赴いた時点で嵌められていたんだ」
――降伏の文字が全員の脳裏をよぎった。
誰が見ても今の状況は覆せない。しかし、握り締められた将の拳には、言葉通りの諦観が宿ったようには思えなかった。これまでウェスカーや多くの人員が守り続けてきたこの拠点を、敵に明け渡すしかないのか。苦渋の決断を迫られた指揮官たちの横で、紅葉が唇を噛み締めていた時。




