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蒼い背中  作者: kagedo
EP.3 中央区画 防衛戦編
40/168

-愛の鞭-




* * *




「……《ノーバディ》が、新たに1000の兵を率いてここへ向かっているだと?」


 伝令兵から報告を受けた牙雲が、手にしていた駒を取り落とした。ウェスカーの暗殺未遂からわずか数時間後。明朝に飛び込んできたのは、消耗した拠点にとって最も望まない報せだ。


「獣人と精霊族の軍を追い返したばかりだぞ。どうしてこのタイミングで、」

「もしかして、ケーブルの到着が今日の夕方になることが漏れたんじゃないっスか?」


 隣で盤面を覗き込んでいた自分に、上官が苦い表情を返した。


「人間たちの狙いは初めからこの拠点の制圧だったのか。そうなると、中佐の暗殺計画はこちらを弱体化させるための一策だ。昨日の戦も、我々の戦力を把握する目的で他軍を焚きつけたのならば辻褄が合う」

「でなきゃ敵の動きが早過ぎますもんね」

「ある時から俺たちの動きは筒抜けになっていたのかもしれない。しかし、それを知った上で迎え撃つのであれば、昨晩決めた体制からまた兵を動かさねば」


 事態の収集を図る間もなく舞い込む悪い話に、牙雲は両手で顔を覆っている。昨晩の襲撃はウェスカーが導いた勝利に大きく水を差した。牙雲の指示で第五部隊も各所の支援に回っているが、一変した状況を回復するまでには至っていない。


 敵は暗に『ウェスカーを潰せば終わりだ』という不安を煽ってきた。内部の士気も露骨に落ちているだろう。今回の暗殺計画は、成功しても失敗してもこちらの痛手となる周到な策だった。何重にも敷かれた罠が、内部統制の要となる牙雲の焦りを増長させる。


「少佐。オレにできることはありませんか」

「悪いが、少し考える時間をくれ」


 紅葉は黙って頷いた。一房の銀髪がかかる背中に添えていた手を離し、柄にもなく考え込む。


 夜に一人で立ち去って以来、誰もウェスカーの姿を見かけていない。昨晩、自分が部屋の前に置いた薬瓶はなくなっていたので、動いた形跡はある。ただ、軍帽の彼は食堂や廊下にさえ顔を出していない。傷の状態が芳しくないのだろう。


「これからウェスカー中佐にお会いして、対応の判断を仰ごう」


 牙雲は彼が腕に深手を負っていることをまだ知らない。この状況下で、もしも例の上官が気丈な振る舞いを見せていただけだとしたら。隠していた事実が喉元まで出かかった時。


「何が攻めて来ようとも、やることは一つしかない」


 開け放たれた扉から軍帽の陰が差す仏頂面が現れる。新調した軍服を確かめるように裾を払うと、ウェスカーは椅子に身体を預けた。すると、その横で牙雲がすぐに席を立った。


「申し訳ございません、中佐。昨晩は予測できたのにも関わらず警戒を怠り、拠点内に敵の侵入を許しました。内部統制の責任者として、自分は中佐からご叱責と処罰をいただかなければなりません」


 漆黒の双眸に睨まれ、深く首を垂れた牙雲がきつく唇を結ぶのが見えた。


 だが、彼も慣れない環境の統制に苦心している。昨晩の宴も心身共に憔悴していた拠点の隊員たちを慮ってのことだ。そこに斥候たちの罠が張られていたのだとしたら、多少の被害はやむを得ない。紅葉が同情を口にしようとした時だった。


「ーーそうしてくだらない罰を受けたら、貴様の仕事は終わりか?」

「それは、」

「俺は自分の言葉に責任を持てないヤツが嫌いだ。戦の際の動きを見て少しは使えるかと思ったが、やはり本部から代わりを呼ぶべきだったか」


 ぎり、と奥歯を噛み締める音がした。ウェスカーが意図したのかは定かではない。ただ、牙雲にとっては今の一言が最も重い罰になる。


「ッ……自分には中佐のように千の敵を焼く力はありません。拠点一つの統制もままならず、敵に欺かれてばかりです。将として不甲斐なく、軍にも申し訳が立たずにいます」

「大抵のヤツはそうやって組織や他人を枕詞にする。仮に組織に死ねと言われれば、黙って自害でもしそうだな。もし貴様に将の自覚があるのなら、他人に迎合せず、自ら存在価値を証明しろ。それができない限り、俺と戦場に立つ資格はない」


 詰られている上官の姿を見るのは居た堪れない。しかし、彼を庇おうと動いた身体は白い掌に制された。気まずい沈黙の最中、軍帽を目深に被り直したウェスカーがおもむろに立ち上がる。


「つまらない話で長居し過ぎた。俺は自分の失態で起きたことの落とし前をつけに行く」

「あっ、待ってください! ウェスカー中佐!」


 自分の引き止めには応じず、ウェスカーは作戦室を出て行った。しかし、諦めずに廊下の端まで追いかけると、彼はようやく足を止める。


「まさかとは思いますけど、一人で《ノーバディ》の兵と戦いに行くつもりっスか」


 息を切らせながら尋ねると、ウェスカーは背を向けたまま口を開いた。


「これほど時間をかけても、俺は未だに拠点一つすら守り切れないという醜態を晒している。あまつさえ撃ち損じた輩もいるとは、生き恥もいいところだ。"銃"になれなければ、俺は存在価値がない」

「オレ、中佐から口止めされた話はちゃんとヒミツにしてます。それに、自分の戦いに他の人を巻き込みたくないって気持ちも理解してるつもりです。

 けど、せめて牙雲少佐だけには本当のことを言ってくれませんか? 防衛体制についても長いこと考え込んでましたし、中佐のケガを知らないで判断を間違えたら、きっと気に病みます」

「生憎だが、木偶の助けは不要だ。俺に構う暇があるなら別のことをしろ」


 腕の傷を抱えたまま、ウェスカーは単身で戦場へ赴くつもりらしい。彼自身が弱っていると気づかれたら、味方は気落ちし、敵は付け上がるだろう。だから彼はあえて何も言わないのだ。


 立ち去った将を止められず、紅葉は肩を落として作戦室へ戻った。牙雲は項垂れたままその場に立ち尽くしている。


「……少佐、大丈夫っスか」


 呼びかけに顔を上げた彼の頬には、感情の起伏を示す青い鱗が浮かんでいた。ただ、深い水面の色を持つ瞳には、確かな意志の輝きが宿っている。


「情けない様を見せてしまったな。だが、俺は中佐がおっしゃりたかったことの真意を理解した」


 自身へ言い聞かせるように、牙雲は小さく頷きながらそう答えた。彼は迷いを振り切り、果たすべき責務を見つけたらしい。


「この立場になると頻繁に叱責されなくなる分、自身を正しく律しなければならない。それに気付かせてくれたあの人はやはり優しい方だ」

「え、ウソでしょ? しょーさって神経どんだけ図太いんスか」

「至ってまともなつもりだが」

「いやいや、さっきの当たりが自分に来てたらフツー立ち直れませんって! オレの心臓の方がダメージ食らいましたよ」

「感受性豊かなヤツだな。あれだけ言われて悔しいとは思ったが、全て事実だから返す言葉もない。だから精進して認めてもらうまでだ」

「鈍感なんだかタフなんだか」

「お前の不敬さも大概だぞ?」

「それで、これからどうするんスか。中佐は一人で敵と戦うつもりみたいっスけど」


 牙雲は置き去りにされていた盤面の駒を脇に退けた。


「本当にそうだったら中佐は黙って外へ向かったはずだ。わざわざ俺たちにあんな話をしたからには、きっと何かを訴えたかったのだろう。ただ、今はどこで情報が抜かれるか分からず、警戒しているんだ」

「だからってあの口ぶりじゃ何もわかりませんよ」

「いや、中佐の言動を整理する中でやるべきことが見えた。これから内部統制の失敗を挽回する。紅葉、お前も協力してくれ」


 ウェスカーは相変わらず自分たちを戦闘に参加させるつもりはないと言っていた。その前提がある中で、牙雲はどのような手を思いついたのだろうか。答え合わせが少しばかり楽しみだ。すっかり普段の気概を取り戻した彼に向け、紅葉も片目を瞑った。


「言われなくても、オレはいつでも少佐の隣にいるっス」

「そうか。なら、共に中佐からの愛の鞭を受けよう!」

「あ、それは少佐だけでお願いします」

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