-憧れの人-
* * *
「……本当にウェスカー中佐がそのようなことを?」
いやに静かな明け方。珍しく召集前の時刻に目覚めた紅葉は、作戦室にいた牙雲の元を訪れていた。
「オレたちは戦いに手を出すなって言ってたっス。しかも、中佐自身は夜中にずっと一人で監視塔に張りついて、敵の偵察兵を撃ってました」
「だが、それならどうして我々をここに」
二人で考え込んでいた最中、閉め切られた扉がノックもなしに開かれた。
軍帽を深く被った彼は引き出した椅子へもたれながら、執務机に長い足を載せる。表情はうかがえないが、きっと酷い隈を作っているはずだ。
「おはようございます、ウェスカー中佐。紅葉隊員から昨晩の敵襲について聞きました。その件で確認がございます」
「何だ」
「周辺の偵察情報を元に分析したところ、この拠点の防衛体制は既に危機的な水準に陥っています。そのため、仮に二方面から攻撃があった際には50%の確率で内陣まで攻撃を許すことになります。
僭越ながら申し上げますが――第五部隊の役割は、防衛線を維持するために敵を排除することではないのでしょうか?」
冷静に現状を鑑みた牙雲の問いを、ウェスカーは鼻で笑って返す。
「勘違いも甚だしいな。貴様らを呼びつけた理由は、俺の睡眠時間を確保するためだけだ」
「……はい? 睡眠時間、ですか?」
その話に牙雲は青い瞳を瞬かせている。ただ、当人は大真面目な顔だ。
「この地形を見ろ。平坦な荒野では昼間は俺の砲撃を警戒して、敵もむやみに近づいては来ない。だが、夜になると斥候共が蛆のように湧いてくる。今の見張りの人数では俺が都度撃ち殺していなければ、確実に侵入されていたはずだ」
今は拠点の外周を巡回する隊員が手薄だ。さらに、監視塔から敵襲を報告する人員や、それと連携して排除する兵も満足に捻出できていなかった。そこで彼は夜間に自ら外へ赴き、見つけた敵をその場で射殺していたのだ。
「だが、夜通しの任務をやったところに、木偶共が拠点の些事を俺に尋ねてくれば休むどころではない。だからその対応要員を本部に要請しただけだ」
唯我独尊を地で行くような内容には驚くばかりだが、ウェスカーの話も一理ある。彼が黙って夜の番を続けていたのは、砲撃を行えるまで拠点内を混乱させず、持ち堪えようとしたからだろう。
「事情は把握しました。とはいえ、この敷地の広さでは見落としも出かねません。万全の備えは必要だと思慮しますが、」
「この天候でネズミを見逃すものか。昨晩は23発撃った。同じ数の死体が南面の周辺に残っているはずだ。俺はここで寝るから、その間に探して来い」
立ち尽くす牙雲を押しのけてウェスカーは仮設寝台の上を陣取った。間仕切りの布を引くと、彼はそれきり顔を見せなかった。
「どうします、少佐?」
「そういったご判断であれば、俺たちは中佐の邪魔をしない範囲で必要なことをやるだけだ」
ウェスカーが片付けた兵を確認するのも情報収集の手段としては悪くない。目配せした二人は、寝入った上官を起こさないようにそっと部屋を出た。
* * *
「……20、21、22……あー、少佐。やっぱり一人足りませんよ」
乾いた風が争いの爪痕を残す荒野を吹き抜ける。
《竜のとぐろ》の外周にやってきた紅葉は、牙雲や他の隊員と共に黒い装束を纏う屍を数えていた。
種族は違えど、闇に紛れる斥候たちは似たり寄ったりの格好だ。それでもウェスカーの弾丸は寸分違わずに敵の眉間や胸部を貫いており、精密な射撃の腕には舌を巻く。
だが、南面のどこを探しても、23体目の遺体が見当たらない。
「中佐の攻撃から逃れた者がいるとしたら大問題だ。場合によっては拠点の内部に侵入されている可能性がある。もし手を出されたとしたら機密書類か」
「でも、昨日は少佐が作戦室に寝泊まりしてましたよね? 書類はほとんどそこにあるから大丈夫じゃないですか」
「だとしたら物的資源が狙われたかもしれない。直ちに食料や備品などの点検をするように伝えてくれ」
「了解っス」
「……大きな影響は見えずとも、こちらの窮状を見抜かれた可能性がある以上は、最悪の事態を想定すべきだろう。今のうちに最低限の防衛線を引かなければ」
行方知れずの屍探しは不毛だと判断した牙雲は、作戦室にいるウェスカーの説得を決めたようだ。
「聞き入れてもらえますかねぇ」
「中佐もこの状況で理不尽なことはおっしゃらないはずだ」
「オレたち、十分に理不尽な理由で呼び出された気がするんスけど……」
「そう言うな。きつい物言いの時もあるが、ウェスカー中佐はきっと味方のことを第一に考えてくださっている」
「少佐って、どうしてそこまでウェスカー中佐のことを信頼してるんスか? だってそんなに会ったことも無いんですよね」
あの横柄な態度と、人の目を気にしない振る舞いは普通であれば目に余る。品行方正な牙雲がどうしてそこまでウェスカーを慕うのか。すると、しばらく視線を伏せていた牙雲がぼそりと呟いた。
「……俺は昔、あの人に命を助けてもらったことがあるんだ。当時は隊員の端くれに過ぎなかった俺のことなど、中佐はきっと覚えていないだろう。だが、どこからか駆けつけてきたあの人が、俺を取り囲んでいた敵を一瞬で撃ち貫いてくれたことを鮮明に覚えている」
本来、飛び道具を持つ後衛の人員が最前線に赴くのは統率上、あり得ないことだ。だから、牙雲は戦場を俯瞰していたウェスカーが囲まれている自分の存在に気付き、手を貸してくれたのだと考えていたらしい。
「その時から、ウェスカー中佐は俺にとってずっと憧れの人だ。操る属性は異なるが、魔法を主体にして戦うのも似ているし、俺はあの人を目標にして日々努力している。まだ到底追いつけそうにもないが、いつかは――」
――あの憧れの将のように、自らも一人で多くの味方を守ることができる力を持ちたい。そう願った彼自身もまた、誰かの目標となる背中を持っている。
「大丈夫ですよ。少佐はいつも強くなろうってがんばってるじゃないっスか。だから、今回の戦いもみんなでどうにか乗り切りましょう」