-初陣-
* * *
「――10時の方向に複数の敵兵を確認。目立った得物はなし」
「こちら5時の方向、大型の飛び道具を持った敵兵がいます」
「2時にも複数の敵影を確認しました」
無数の殺気が茂みへ走る。合流地点にしていた山道はぴりぴりとした嫌な空気で満ちていた。消耗した自軍の小隊を追って、敵もここまで入り込んできたのだろう。
「敵は我々を暗がりへ誘い込むのが目的だ。挑発には決して乗るな。後衛は明かりを絶やさずに灯せ。他は向こうから来るのを待ち、落ち着いて対処しろ」
じり、とこちらへにじり寄ってくる気配。最前列にいた自分の視界には、篝火に照らされたいくつもの影が浮かび上がった。
敵味方の微かな息遣いだけがやけに耳に入ってくる。これが本物の戦場だ。そう認識すれば心拍数が上がり、戦意が強く昂っていく。乾いた唇を舐めると、紅葉は軍服の袖を捲った。
「ハイハイ、じゃあ右はオレが引き受けますよ」
「将は俺だ。お前は勝手をせず、左にいる三体のうち一体をしっかり落とせ」
「へえ、それだけでいいんスか? 少佐ってば優しいなぁ――そんなにヒマさせてくれちゃってさッ!」
視線の交錯、次いで鈍い衝突音が闇に響く。暗がりから伸びた鉤爪を受け止めたのは、逆立つ真紅の鱗だ。
「その程度じゃオレに傷は入らないぜ」
獣の双眸を睨み、紅葉は硬質化した腕で前方を薙ぎ払った。竜の力を顕現させた剛腕は容易に骨身を砕く。正面からの衝突で不利を悟った獣人が再び闇へ溶け込もうとした。だが、そうはさせない。
「次はこっちからだッ!」
大きく踏み込んだ姿勢から、逃れる体躯へ鋭い蹴りを放つ。鳩尾へ減り込む靴先の感覚。長身を活かした遠心力が懐へ重く入る。骨と臓腑の軋む音を響かせ、敵の身体が呻きと共に木々の奥まで吹き飛んだ。
「どーよ、今の一発! ねえ少佐! ちゃんと見てくれました?」
「知らん。口より先に手足を動かせ」
「いや動かしてますってば……ちぇっ、せっかくイイとこ見せたと思ったのに」
すれ違い様、ハルバードにばっさりと斬り捨てられたのは敵だけではなかったらしい。気のない返事に肩をすくめるも、将の戦いぶりを見ればその反応も頷ける。
「これ以上、ここで狼藉を働くのであれば黙っていないぞ」
敵は再三の警告を聞き入れなかった。闇の奥から飛び掛かってきた一人に狙いを定め、牙雲が鈍色の矛先を振り上げる。鋭い突きを回避した敵と入れ替わるように、別の獣人が横から間合いに入った。しかし。
「それで俺の首を獲れると思ったか」
「あぐッ……!」
頸部へ迫る爪を物ともせず、牙雲が翻した鋼の柄を相手の腹部へ叩き込む。敵が体勢を立て直す時には、既に鈍色が振りかぶられていた。
空を裂く音、仇の悲鳴。斧の残影が付近の二体を続けて斬り伏せる。敵の動きを見切る冷静さと、的確な武器さばきには全く隙がない。明らかな力量差に怯んだ残りの一体も、刃の射程に入っていた。
「我々の地を踏みにじり、民を害した報いを受けろ」
逃げる背を矛の先端がすばやく捉える。刃の重量に引きずられ、貫いた身体が後ろに倒れ込んだ。呻く獣に最期の一撃が振り下ろされる。
「すっげぇ! 少佐、今のめっちゃカッコいい!」
「おだてたところで何も出ないぞ」
正直、出陣前まで牙雲が前衛に立つことをどこか心許なく思っていた。だが、自分が一人にかけていたのと同じ時間で、三体を軽々と屠るなんて。流れるような武舞に垣間見えたのは、若くして位を得た者の実力だ。
ただ、鮮血を振り払った上官は無邪気な賞賛にも表情一つ変えなかった。使い手の実直な性格に反し、斧と槍が合わさった外観は癖が強い。だが、彼は得物の性質を活かして体格の不利を補っている。
「いいな、オレもそーいうの使いたいっス」
「これは将として自軍を守るための証だ。新入りのお前が持つには当分かかるだろう」
「それってまずは少佐になってからってこと? 一生ムリそうだなぁ」
鉱物資源の節約という面もあるが、竜人の身体は武器として十分な能力を持っているため、部隊の全員が得物を握る機会は少ない。特に前衛は自身の肉体を頼りにする傾向が強かった。
ただし、ドラーグドの将として位を得た暁には、固有の武器が軍から直々に授けられる。牙雲たちが持つこの世に二つとない武器は、多くを率いる力の象徴であると同時に、任された部下の命を守る誓いでもあった。
「そう言うな。お前が昇格したいというのなら、俺も休み返上で扱いてやる。やる気のある部下は好きだぞ」
「うん、やっぱりさっきの話は忘れてください」
「まったく、新入りのくせに向上心ぐらい持てないのか? 俺が隊員だった頃はだな――」
「あーもう! 戦場に来てまで小言はいりませんって……ちょっ、うわっ!?」
問答の最中にハルバードの先が肩口を掠める。敵の接近に気付かず、鱗の浮かぶ頬を冷や汗が伝った。身を屈めていると、背後にいた獣人を斬り捨てながら牙雲が告げる。
「だったら言われる前に状況を見て動くことだ。己の役目が何かを忘れるな」
息を呑んだ自分を一瞥すると、彼は篝火へ迫る敵を再び屠りに向かった。本来ならば夜の戦闘はこちらが不利なはずだ。しかし、前衛で戦う将の勇姿に自軍は前よりも士気を高揚させている。
味方を鼓舞する方法は檄を飛ばすだけではない。これまで目にした光景すべてが将としての役目だ。自分よりも小さかった上官の背中が、今は途方もなく大きく見えていた。
「オレの役目、か」
かけられた言葉を何度も頭の中で繰り返すも、すぐに答えは見つからない。
近くの敵は士気を高揚させた自軍に一掃されていた。ただ、今は狭い山道で味方が固まっている状況だ。激しく火花を散らす戦線の外に視線をやれば、闇の深まる木立で動く影が見えた。
目を凝らすと、茂みの奥で弩をつがえた獣人が何かに狙いを定めていた。照準の先にあるのは隊列から外れた蒼い背だ。
「うっ……!」
ぱしゅ、と乾いた音が響く。放たれた太い矢が味方へ突き刺さった。流れた血を嗅ぎ付けた獣人が、弱った獲物へ一斉に襲い掛かる。呻きながら闇へ引きずり込まれた蒼い軍服は、二度と篝火の下へ戻らなかった。
「くそ、アイツら! こっちの死角から撃ってきてるな」
彼らは自分たちをどうやって闇に招くのかを常に考えている。屈強な前衛兵の体躯に目を奪われがちだが、侵攻のきっかけを作る飛び道具を扱う獣人の方が厄介だ。
その対処に歯噛みしていた時。囲まれた味方を庇うため、前へ出た牙雲の姿が視界に入った。