-ドラーグドの《暁光》-
「しょーさ、この資料を片付けたらちょっと休憩しましょうよ」
「ダメだ。戦果報告書の記載と人員配置の処理は終えたが、まだ備品の出納帳が残っている。そちらも次の催促が来る前に片付けなければ」
巨大な柱に沿って伸びる螺旋階段を、一日でどれだけ上り下りしただろうか。ゆらゆらと不穏な動きをする書類の山を抱えながら、紅葉は先を歩く上官の返事に肩を落とした。
「この紙の束、まだ他にあるんスか? オレたちのところだけ明らかに量がおかしいと思うんスけど」
「つべこべ言わずに前を見て歩け。でないと足を踏み外すぞ」
「どうせ吹き抜けなんだし、ココも飛んで行き来ができたらラクなんだけどなぁ」
「そこは我々の緊急出撃用の導線として確保されている。他の皆が不便を強いられているのだから、横着せずに我慢しろ」
相変わらずの小言に唇を尖らせ、鉄製の手すりから遥か下にある石畳を覗き込む。すると、蒼い軍服の群れがその場に集まっているのが見えた。しかもなぜか女性隊員ばかりだ。
「どうした」
「いや、一階に女の子がたくさんいたんで何かあったのかと」
「今日は出撃命令もないはずだが、正面玄関に人だかりがあるということは――しまった、出遅れた!」
首を傾げていると、その場に佇んでいた牙雲が弾かれたように螺旋階段を駆け下り始めた。
「あっ、待ってくださいよ、少佐! 《戦況管理部隊》に書類を出しに行くならこの階じゃ、」
「そんな些事は後だ! こうしてはいられない、いっそ緊急経路を拝借してだな――」
「さっき我慢しろって自分で言ってたじゃないっスか」
「ぐっ、そうだった……ええい、とにかく俺は先に行く!」
「自分が身軽だからってズルいっスよ!」
引き留めようとするも、自分の声は牙雲の耳へ届いていないらしい。流されるままに紅葉は上官の後を追って正面玄関へ辿り着いた。
その途端、閉ざされていた黒い門が鈍く軋みながら開き始める。濃霧の奥から現れたのは布で覆われた複数の大きな搬入物だ。体積と台車の牽引音からして、かなり重量のある代物だと予想がつく。そして、その前には霧に紛れた人影が立っていた。
「お帰りなさい! 任務お疲れさまでした!」
凱旋に浮足立つギャラリーの前で、白く囲われた視界が晴れる。しかし、現れたのは誘導灯を構えた冴えない隊員の姿だけだ。それが分かるや、黄色い歓声を上げていたはずの女性たちが即座に声色を変えた。
「……ちょっと、誰よアンタ!」
「《第三部隊》の砲台が戻ってくるって聞いたから、せっかく仕事の時間を割いて来たっていうのに!!」
「なんで『ウェスカー中佐』じゃないのよ!」
「いや、自分に言われましても。今日は消耗した砲台のメンテナンスだけなので、本人は戻ってきませんよ」
誘導役の隊員は発光する棒を頼りなく振り、非難の声を上げる女性たちに辟易している様子だ。それを見た牙雲も項垂れている。
「中佐はまだお戻りにならないのか。今回は無駄足だったな」
「それはオレのセリフですよ……で、何が運ばれてきたんですか?」
「あれは《第三部隊》が所有している魔導式の砲台だ。一つあれば多くの敵を一瞬で焼くことができる」
「ええっ、ならわざわざオレたちが戦闘に出なくたっていいじゃないっスか」
「生憎だが、稼働させるには10人分の魔力が必要な上、佐官の俸給の3年分にもなる高価な代物だ。そう易々とは扱えない」
「《第三部隊》だけそんな特別待遇なのおかしいじゃないっスか! しかも、オレたちが帰ってくる時にはこんな出迎えもありませんでしたよね?」
「先のような物資に多くの投資をしても、それ以上の見返りがあると軍は判断しているのだろう。事実、我々の実力は『ウェスカー中佐』の足元にも及ばないからな。ああして迎えられたいなら精進することだ」
扱いの差に肩をすくめていると、牙雲が咳払いをして件の上官の実績を告げた。
「《第三部隊》を率いるウェスカー中佐は歴代最年少で《中佐》の位を得た実力者だ。ドラーグドで随一の広範囲戦力を持ち、これまで将として出た防衛戦では無敗を誇っている」
「え、昇格してからずっと防衛戦で負けナシって、めちゃくちゃスゴくないですか?」
「ふっ、お前も中佐のすばらしさが分かってきたようだな。あの方は単に強いだけでなく、群を抜いた容姿端麗さで女性からの人気も非常に高い。唯一残念な点は、中佐本人にはほとんどお目にかかれないことだけだ」
「オレも本部にしばらくいますけど、たしかに見かけたことありませんね」
「たまに砲台のメンテナンスで帰還することもあるそうだが、普段は激戦地の中央区画を巡回しているからな。とはいえ、戦場を日夜駆け巡り、窮地に陥った拠点を救う勇姿は――まさにドラーグドの《暁光》だ!」
「ファンみたいな反応だなぁ」
「何を言う。俺はウェスカー中佐のファンクラブ会員だから当然だろ」
「そんなのあるんスか!?」
「むしろ軍の公式だぞ。広報誌に中佐が載った年は、女性隊員の志願が顕著に増えたらしい。ちなみに俺は会員番号0番の権利をあるだけの金で買い取った」
「最終的にはオレたちにも還元されるんだろうけど……この軍、資金繰りヤバいのかなぁ」
賞賛の度が過ぎる気もするが、牙雲がそこまで言うのなら相応の実力を持った人格者なのだろう。機会があれば一度ぐらいは会ってみたいものだ。
「書類を出しに来たつもりが、余計な時間を食ってしまった。戻るぞ」
「オレが原因で寄り道したみたいに言わないでください」
軽口を交わしながら二人が階段に足をかけた時。不意に上の階から伝令兵が駆け寄って来た。
「牙雲少佐! 急報です!」
「そんなに慌ててどうした。戦況は落ち着いていると聞いていたが」
「実は第三部隊から緊急の支援要請があり、戦況管理部隊からすぐに出撃できる第五部隊へ指令が出ています」
聞いた報告の真偽がつかず、牙雲は眉をしかめている。それを察した伝令兵がおずおずと丸めた指令書を差し出した。
「当初は我々も誤報かと思ったのですが、ウェスカー中佐の直筆でしたので要請自体に間違いはないかと」
「ふむ、不測の事態があったことは確かだな。現地の状況は?」
「中佐が向かったのは中央区画にある大規模な拠点だと聞いています。一週間前に敵の掃討作戦を開始したようですが、その後の仔細は不明です。
ただ、本部にいる《戦況管理部隊》の整備班が直近でやりとりした履歴があります。数人がこの要請と一緒に現地まで呼びつけられたものの、理由は書かれておらず……」
「承知した。ひとまず整備班も我々に同行させよう。それと紅葉、お前は執務室に戻って皆を正面玄関前で待機させろ。俺もすぐ追いかける」
「了解っス。あっ、伝令さん! ついでにコレの提出もヨロシク」
「え? ちょ、ちょっと、困りますよ!」
「だってオレは“緊急対応中”なんでね!」
伝令兵へ書類の束を押し付けるや、紅葉は広げた竜の翼で吹き抜けの空間を駆ける。塔の天蓋から差し込む光の筋を振り返れば、遥か下で牙雲が大きな溜息をつく姿が見えた。




