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蒼い背中  作者: kagedo
EP.2 波乱の合同演習編
23/168

-背水の陣-

 追い詰められたネフライトが細い剣を構えた。浮かぶ水鏡へ魔力の輝きが収束する。静かな水面が波打った。刹那、弾けた銀の水盆が精霊族の白い軍服を瞬く間に覆い隠していく。


 紅葉たちの前に築かれたのは、巨大な鏡面と見紛う水壁だった。しかも、頭上を含めた全ての面が流水に覆われており、中にいる敵の様子も隠されている。


「何ですかコレ? デカい水の箱みたいですけど」

「敵の魔力が働いているのは確かだ。単なる防壁とも思えない。警戒するに越したことは――」

「こんな壁の中に籠って耐えるつもりか? 突破できるだろ、やっちまえ!」


 牙雲が制止をかけるよりも早く、本体と合流した第六部隊の隊員たちが水壁に攻撃を開始した。鱗で覆われた豪腕が当たった場所から、次々と波紋が広がる。


 だが、流水でできた壁は脆そうに見えて、物理的な攻撃を通さない。手応えのなさに、血気に逸る彼らは興を削がれた様子で顔を見合わせている。


 それを見た牙雲が、自分の部隊にいた後衛に指示を下した。


「後衛、牽制で魔力弾を放て!」


 紅葉の後ろにいた数人が、水鏡の表面へ気弾を放つ。しかし、それも同じく波紋を広げるばかりだ。


「全然ダメっスね。あんまり効いてる感じじゃ……わっ!」


 そびえ立つ水壁を見上げていると、わずかな間を置いて波紋の中心から魔力弾が放たれた。間一髪で横に避けると、続けて数発分が同じ方向へ射出される。


「ちょっ、危ないって! これっ、オレたちの攻撃を反射してません!?」

「反射? ……そういうことか。この期に及んで厄介な代物を出してくれたものだ」


 紅葉の横で牙雲は苦々しげにそう吐き捨てた。この巨大な水鏡の箱はネフライトの陣全体を覆っている。その特性は物理的な攻撃を無効化し、魔力弾での遠距離攻撃は反射するらしい。


「これじゃ埒が明かないなぁ。どうします?」

「魔法での攻撃は危険だとわかった。だが、物理的な手段に秀でた時平やその精鋭の力を借りて、攻撃を一点に集中させれば突破できるかもしれない」


 ネフライトを討とうとした時、牙雲自身も水の鎧を纏っていた。しかし、叩き割るハルバードの斬撃は相手に届かず、逆に敵の持つレイピアの刺突は通った。その道理で行けばこの壁も同じ仕組みだろう。


「ただ、今は戦力が分かれてしまっている。時平たちと協力して一つの面を同時攻撃しなければ、奥へ向かうのは難しい」

「ならオレたちが移動して声かけに行くしかないっスね」

「しかし、簡単にはいかないな。あれを見ろ」


 牙雲に言われて目を凝らせば、箱の中にある白い輝きが見えた。


「あの光って銀矢の先っスか?」

「下手に動いたところから攻撃するつもりだ。機動力のある飛翼隊員がいれば、攻撃を回避しつつ、上空から連携の合図ができるのだが」

「オレ、アイツが時平さん側に着陸してたの見てました。だから反対側へ行けば確実に会えると思います」

「かなり危険な賭けになるが――足の速い者が敵の攻撃を潜って、箱の向こう側へ指示を伝えるしかないな」

「じゃあオレ行きます。足には自信あるっス」


 捨て身の大役を任せる相手を考え込んだ上官が、名乗りを挙げた自分に眉をしかめる。


「根拠がない。やめておけ」

「いやいや、伊達に遅刻の帳尻合わせで走ってませんから。入隊時に追いかけられた時も、軍営内でオレのこと誰も捕まえられなかったでしょ?」

「ろくでもない話だが、否定できないところが苦しいな」

「ちゃーんと根拠ありましたね」


 悪びれもせず告げれば、牙雲が呆れたように首を振った。だが、面を上げた涼やかな瞳がこちらを見据える。


「――いいか、これから伝える策を良く覚えておけ。まず、まだ体力の残っている第六部隊の面で囮を目的にした攻撃を仕掛けてもらう。敵の注意が逸れたタイミングを見て、俺と時平の部隊が集合し、総攻撃を開始するという流れだ」

「連携の合図はどうしますか」

「お前が時平たちの所に辿り着く時点で敵も攻撃を始めるだろう。その隙にここからもう一人動かして、加勢した第六部隊側へ待機の指示を出す。その後、上空の飛翼隊員から合図が出たタイミングで、第六部隊の攻撃を始め、続けて俺たちが箱の正面へ回ろう」

「了解っス。頭に入れました」

「膠着状態を破れば連携が難しくなる。皆も疲弊している以上、機会は一度きりだ――紅葉、頼んだぞ」


 牙雲に背中を叩かれる。いつもの小言とは違うそれは、素直に耳へ入って来た。


「へへ、帰ったら俸給弾んでくださいね」

「そういう話は成果を出した後だろ」

「しょーさってば手厳しいなぁ。けど、冷たくされると逆に燃えるっていうか。じゃ、行ってきます」

「必ず生きて帰れ」


 言われなくともその“命令”には背いたりしない。牙雲や他の隊員に見送られ、紅葉は移動して木立の合間に身を潜めた。水盆の面がある向こうには、時平たちが佇んでいるのが見える。


 牙雲が離れた場所で第五部隊や水神の兵を構えさせていた。僅かでも敵の注意を自分から逸らすため、牽制を仕掛けるつもりらしい。深く息を吸い込んだ紅葉は、号砲を一人で静かに待った。


「――行けッ!」


 振り下ろされた掌の先、その場にいた前衛が水鏡を攻撃する。反応した銀矢が箱の奥から放たれた。矢の進行方向へ逆らうようにして、血と泥に塗れた地面へ踏み出す。


 空いた鏡面の前を脇目も振らずに疾走する。中ほどを過ぎたところで、自分を狙う魔力弾が足元に着弾した。木立に大きな窪みを残すそれを振り切って、紅葉は息を切らせて緑の大地を駆ける。


 次は銀矢が右半身に向けられた。何本かが手足を掠めたが気に留めてはいられない。


「テメェ、一人で何やってんだ!」


 背中のすぐ後ろを白銀が貫通する。遠くで大鎚を構えていた時平が自分の姿に気付き、瞳を見張っていた。上官の所まであと少しだ。呼吸を止め、最後まで駆け抜けようとした時。


「おいおい、冗談だろッ……!」


 突如、平らだった鏡面から棘のような物が突き出てきた。脚を止めかかるも、背後からは絶え間なく魔力弾が射出される音がする。


 ――万事休すだ。動いている身体を止められず、己の胴を貫こうとする水槍が妙にゆっくりとした動きで近づいてくる。


「……諦めんな、紅葉ッ! いいから突っ走れ!」


 空間を流れていた“時”がぴたりと凪いだ。時平の咆哮と魔力の波動に背中を押され、紅葉は止まった水槍の前から蒼い群れを目掛けて飛び込んだ。


「うわあぁっ!」


 転がるようにして無様にぬかるみの中へ滑り込む。ただ、すぐに時平が腕を掴んで引き起こしてくれた。


「……ううっ、生きた心地しなかったなぁ」

「ったく、こっちまでヒヤヒヤさせやがって! いいか? オレの魔法は万能じゃないんだぞ。使える回数も限られてんだからな」

「はいっス……時平さんがいなかったら、多分さっきので死んでました。ありがとうございます」

「礼はいい。で、こんな所に来たのは牙雲の指示か? アイツ、部下にどんな話を吹っ掛けてやがる」


 表情をしかめた彼に、紅葉は泥だらけのまま首を横に振った。


「オレが行くって言いました。全員に協力してもらいたい策があるのと、飛翼に任せたいことがあって」

「飛翼ッ、すぐに来い!」

「ひゃっ……は、はい!」


 第五部隊の後衛に紛れていた飛翼が呼びつけを聞いて、慌てて飛び出してくる。


「飛翼、聞いてくれ。この水の箱を壊すためにやって欲しいことがあって――」


 息も絶え絶えになりながら、紅葉は飛翼たちに預かった策を伝えた。説明の途中で銀矢や魔力弾が撃ち込まれてきたが、時平はそれを打ち返しながら告げる。


「つまり、厄介なあの壁を突破するために、オレらと連携が取りてぇってことだな」

「そうっス! 飛翼から全体が動く合図を出してもらいたいんです」

「ぼ、ぼくにできるのかな」

「こんな時に女々しいこと言うんじゃねぇ。頼りにされてんだ、ビビってねぇで胸張って行け」

「っ、は、はい!」


 大役を任されて気弱になっていた飛翼の背を叩くと、時平は自分へ向き直る。


「少佐が二人で出てもこれだけ手こずる戦だ。こっちの兵も頭数の多い敵を相手にし続けて疲弊してる。そろそろ潮時だな」


 紅葉は大きく頷いた。このまま手をこまねいていたら、せっかく崩した敵の統制が元に戻ってしまう。


 ネフライトの目的は時間稼ぎだ。自軍を落ち着かせ、集団戦に強い精霊族本来の戦術で仕切り直しを狙っているのだろう。兵力差を考えると消耗戦は避けるべきだ。


「そうっスね、牙雲少佐もチャンスは一回きりだって言ってました」

「はん、上等じゃねぇか」


 時平は傷の入った大鎚を煉瓦色の鱗で覆われた肩に担いだ。そして、後ろにいる隊員たちを一喝する。


「良く聞け、テメェら。これから総攻撃を仕掛けに行く。この先は死ぬ気でやる戦だ、全員腹括れ!」

「おれらは死んでも時平少佐について行きますッ!」

「第五部隊もそのつもりです!」

「我々も御供いたします」


 時平の檄には第六部隊の精鋭だけでなく、これまで彼らに庇ってもらっていた第五部隊や、牙雲の元から分かれた水神の兵も頷いた。


 ――時は満ちた。紅葉の隣で、真っ白な翼を広げた飛翼が虚空を見て息を呑む。


「飛翼、行けそうか?」

「……大丈夫。深呼吸したし、これも着けたし」


 彼が装着したゴーグルは、前に時平から初陣の活躍祝いでもらったと言っていた物だ。


 過去に精霊族と対峙した時、飛翼はその翼で敵を撹乱し、第六部隊を窮地から救ったという。今はその経験を思い返し、緊張から上がりかけている心を落ち着けていたのだろう。


「できるよ、飛翼なら」

「うん、ありがとう。行ってくるね」


 親友の肩を叩き、紅葉はいつもの笑顔で彼を送り出す。力強い羽ばたきの音がそれに応える。掲げられた時平の掌に軽く触れると、飛翼はそのまま一気に空へ舞い上がった。


 高く高く昇った白い翼の姿に牙雲も気付いたはずだ。そして。


「――みなさんっ、今です!」


 上空から降り注いだ合図。待ち侘びていたそれに蒼い群れは一様に笑みを描いた。

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