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蒼い背中  作者: kagedo
EP.1 上官との邂逅編
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-最前線-




* * *




 頼りない篝火が日没を迎えた山道に灯る。焼けた草木の匂いと、肌を刺す殺気。それは自分が思っていたよりも遥かに強く戦火の色を残していた。


「入隊直後でいきなり本番ってのはさすがに予想外だったなぁ」


 近くの木立に背中を預け、紅葉は静まり返った周囲を見渡す。敵と衝突していた自軍との入れ替わりで、自分は牙雲たちと最前線の付近へ赴いていた。


 訓練とは明らかに異なる空気の質だ。ただ、しばらく身を潜めているうちに慣れてしまった。それでも、時折地面に転がっている蒼い亡骸だけはまだ受け入れられそうにない。


「ねえ、しょーさ。結構待ってますけど、ホントに敵が来るんスか?」

「戦況分析の結果、今日の夜間から深夜にかけて襲撃が発生する可能性が高いと言っただろ」

「もしかしたら、昼間に出た部隊が敵をごそっと倒しちゃったのかもしれませんよ」

「いくら獣人が隠遁を得意とするとはいえ、彼らも全軍をこの近辺に潜ませてはいない」


 前線基地を出た翌日の作戦会議でもそんな話をされた覚えがある。だが、実際には風がそよぐばかりだ。これでは溜まっていく辛気臭さを払えない。


 そっけない上官の返事へ軽口を叩こうとした時、不意に茂みの奥から蒼い軍服が現れる。


「牙雲少佐、偵察から報告が届いています。右に送った小隊の消耗がかなり激しいようです」

「ふむ。まずは下がって陣形を立て直すように伝えてくれ。彼らが撤退する際の援護は手厚くしなければ」

「今、ここから動かせる人員は限られています。どの隊を充てますか」

「――合流地点に到着次第、ここにいる俺の直属部隊が最前線へ向かう。すぐに準備させろ」


 漏れ聞こえた上官たちの会話を聞くに、そろそろ自分たちの出番らしい。


 牙雲は経験のない自分を本隊の前衛に配置していた。人員の関係で渋々の判断だったようだが、こちらも生真面目な上官の小言付きで雑務をこなすのは性に合わない。


 自身も軍の養成機関で敵との交戦を想定した訓練は何度もやっていた。集落の自警団にいた父親から手ほどきを受けていたことで、実技の成績は同期でも上の方だ。一対一なら獣人、精霊族(エルフ)、人間のどの種族にも高い勝率が出ていた。


 唯一負けたとすれば――精霊族とのルックス勝負ぐらいか。


「はあ、どーせ相手するなら精霊族の方が良かったな」

「精霊族も獣人と同じく厄介な相手だが?」


 隣にいた牙雲が自分のぼやきに怪訝な声を返す。


「や、噂では美女が多いって聞いたんで、近くで実物を見てみたいというか」

「間近で見る前に銀矢で針山になるぞ。お前には下心しかないようだな」

「もー、ちょっとした冗談っスよ! そんな冷たい目で見ないでくださいってば」

「こんな状況なのに緊張感の欠片もない。本隊に持ってきたのは間違いだったか」

「大丈夫、大丈夫。ちゃんと少佐の言うコト聞いてガンバリますから。こう見えてオレ、お兄ちゃんなんスよ? 敵前で尻尾巻いて帰ったら、家に置いてきた弟や妹に笑われますって」


 軍に志願する理由は人それぞれだ。命懸けである点を差し引けば、ここではある程度の生活水準が保たれる。貧しい集落で敵襲や戦火に怯え、ひもじく暮らすよりかは従軍する方がマシだという者も多い。


 そして、当の自分はドラーグドの隊員に命を救われたことがきっかけで、いつかはこの蒼い軍服に袖を通したいと思っていた。



『――君たちが大きくなる前に、きっとこの戦争は終わる。怖い思いをするのは今だけだから』



 唯一覚えているのは、幼い自分を導く蒼い背中と、穏やかに告げられたその声音だけ。ただ、顔も名前も知らない恩人がくれた黒環の耳飾りは、今も大切な自分の“お守り”だ。


 当時の記憶は朧げで、相手が自分を覚えているかも分からない。探す当てもない以上、今度は自身が誰かを助けることで恩を返せればいい。軍へ入る時、身内にはそんな大義名分を話していた――英雄として周りからチヤホヤされたい気持ちが同じぐらいあったとは、口が裂けても言えないが。


 それでも誰かを守ることに、人一倍の使命感を持っているのだけは確かだ。


「言っておくが、俺たちのいる前衛は最も激しく敵とぶつかり合う場所だ。腕の一本ぐらいくれてやる気概を持て」

「わかってますよ」


 飛んできた小言につい溜息が漏れる。多少の脅しも含んでいるが、前衛にタフさが求められるのは間違いない。聞けば牙雲も隣で前衛を務めるらしいが、あの体格で腕っ節の強い獣人に敵うだろうか。疲弊した味方を鼓舞するのが目的ならば、中衛で指揮を執っても良いはずなのに。


 新米一人のためにそこまでするなんて、真面目な上に責任感が強い。生きるのが窮屈そうな性格だと勝手に思う。そういう彼の方こそ、無理をして死ななければいいが――


「……ここは訓練場とは訳が違う。俺も最善を尽くすが、命の保証はできない。下がるなら今しかないぞ」


 突き放すような言葉。だが、それは迷いを断たせる彼なりの優しさだ。


「まさか。小言を言う相手がいなくなったら、しょーさも寂しいっしょ?」

「調子のいい奴め。それだけ口が立派なら問題なさそうだ」

「オレがビビって逃げ出すとでも思ってたんスか? 心外だなぁ」


 ニヤリと笑えば、逸らされた輪郭に伸びた銀の毛先がかかる。口調こそ武骨な軍人だが、そこにあるのは雪色の肌と凛とした顔立ちだ。洗練された横顔を飽きもせずに眺めていると、涼やかな青の眼差しが鬱陶しげに細められる。


 つい惹かれて口説こうとした相手が年上の男、しかも上官だなんて。入隊式の直前で輸送班にさらわれ、いきなりここへ連れて来られた以上の災難だ。


 些細な不幸を嘆いていた最中。偵察から帰ってきた別の兵が牙雲へ何かを耳打ちする。少しもしないうちに、武器を手にした彼がこちらを振り返った。


「これから移動を開始する。獣人は地上戦、特に障害物が多い場所での夜戦を得意とするため、普段以上に警戒を怠るな」


 指揮官の先導で蒼い群れが動き出す。前衛の隊員たちに続き、紅葉は上官の後を追った。


 優れた五感と強靭な体躯を誇る獣人たちは、《アルーフライガー》と呼ばれる軍事組織を構成している。彼らは大陸の西方を主な領土としているが、豊富な資源を求めて東側にある自分たちの土地に目をつけたのだろう。


 そして、夜目の利く彼らは夜間に奇襲を仕掛けてはこちらを何度も翻弄してきた。物資を運ぶ輸送班だけでなく、付近に住む民間人も略奪の被害に遭っている。そうした経緯もあり、牙雲は今晩で戦の決着をつけようと目論んでいた。


「日中、領土内の伏兵を我々の分隊が炙り出し、工作を防いだという報告があった。奴らもこちらがあえて不利な夜間帯に本隊を置くとは想定していないはずだ。視覚の優位を保って油断しているところを一気に制圧する」


 策を聞いた紅葉は、彼が戦の後のことまで考えられる良い指揮官だと思った。敵が得意とする戦法を封じ切れば、プライド高い彼らはしばらくここを襲ってこない。本隊に多少の負荷はかかるものの、疲弊した拠点を立て直す意味でも優れている。


 伝令兵が各所への伝達で忙しなく動き始めた。静かだった空間がざわめき出す。そして。


「――付近に敵影を確認! 総員、今すぐ構えろ!」


 鋭い号令が耳朶を打つ。その力強さに紅葉は思わず肩を跳ねさせた。


 その間にも軍服と同じ色の旗が次々と掲げられる。先陣を切った牙雲の背に続き、前衛の隊員たちが隊列を固めた。吹きつけた一陣の風が、蒼い軍旗に描かれた竜を躍動させる。


「必ずここを守り切るぞ!」


 若き将の檄へ呼応する自軍の咆哮。紅葉の耳にはそれがいつまでも聞こえていた。

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