-反転攻勢-
* * *
「遅せぇぞ、牙雲。どこをほっつき歩いてたんだ」
本陣の幕内で紅葉たちを出迎えたのは、腕組みをした時平の姿だった。その後ろには飛翼をはじめ、各部隊の隊員たちが整然と並んでいる。
「待たせて悪かった。兵の状況はどうだ」
「……救出作戦の指示がてら陣内を回ったが、前にいるヤツらはケガ人ばかりで話にならねぇ。オレと飛翼が説得して、重傷者は最前線から急いで退却させるように言った。本陣もドラーグド側で引き継ぐことにして、ここにはテメェの身内で何とか戦えるヤツだけを残してる」
「分家の者がいればもう少し頭数が揃うと思ったのだが」
「こっちで戦える人員はざっと数えて500だな。救出作戦に回ったヤツらを足しても800に満たない。対する向こうはどうだった、飛翼?」
「はい、ぼくの飛んだ範囲では、森林に潜んでいる敵を含めると1000名程度かと」
「ついでにもう一つ悪い報せがある。この場所に陣を置いたことが原因で、今は敵から一方的に攻撃を受けるしかない状況になった」
「なぜだ?」
「そこ、なのですが。ぼくの方から説明します」
陣内の机に広げられた地図を囲む上官たちの前で、飛翼がやや上擦った声で話し始めた。
「ええと、今、ぼくたちがいるのは水神池の畔の東側で、最前線はこの畔の西側――ちょうど木々が生い茂っている湿地帯の中です。敵はその奥に陣を置いていました。
前線からぼくたちの本陣までは池の淵を沿うようにしか退路がなく、張り出た部分へ差し掛かった時に、敵の伏兵から矢で狙い撃たれています」
「成程、池の形のせいで本陣を行き来する経路が狭まっていたのか。ここは視界が開けているから、余計に狙われやすいのもあるな」
唇を噛み締める牙雲の横で、時平も苦い表情を浮かべている。
「だが、今更この陣を大々的に動かすのは無理だろ。退路はオレらが気合入れりゃあどうにか作れるが、代償としてこの水源を敵に明け渡すことになる」
「とはいえ、このままだと好転の兆しは皆無だ。今の人員を使ってできることを考えなければ」
地図上の盤面を俯瞰しながら、牙雲が駒を手に取った。
「これまで戦っていた分家の者たちは、長射程の相手になす術がなかった。ここから、後衛を手厚くして応戦できる体制にすべきだ。また、攻守の要となる後衛を守るために、中衛も増やして幅を取らなければ。
しかし、遠距離で単なる撃ち合いになっていては限界が来る。湿地帯へ前進しつつ、機を見て強力な前衛が一気に突入し、敵の本陣を叩く必要があるだろう」
「ま、妥当な判断だな。接近戦ならオレらの方が有利だし、そこまで持ち堪えれば攻勢に出られるはずだ。ただ、問題は後衛の頭数か」
「……時平、その件で折り入って頼みがある」
畏まった台詞と共に、牙雲が腹を決めた顔を見せる。
「救出作戦に宛てた後衛の全てを掃討作戦に回せば、最低限の人数が揃う。その穴をお前の部隊に埋めてもらえないだろうか」
時平はしばらく視線を伏せていた。戦での活躍を至高とする第六部隊にとって、今の頼みは聞き入れがたい内容だろう。やりとりを見ていた紅葉は、時平がその申し出を拒むと思っていた。だが、一度口にした手前、牙雲も後には退けない。
「俺に千の敵を焼くような力があれば話は別だが、今回は皆に手を貸してもらわなければ、窮地を脱することができない状況だ。俺は私情で命の優劣をつけたりしない。この場にいる軍の皆を、ここで戦う家の者と同様に守りたいと思っている。お前が俺を嫌っているのは知っているが、もし俺が頭を下げるだけで済むのならそれも厭わない。だから、」
「――いいのか。テメェの頼みはそれだけで」
「どういう意味だ」
渋い顔をした相手に牙雲が聞き返す。時平はこれでもかと眉間に皺を寄せていた。
「だから、交換は後衛の分だけでいいのかって聞いてんだよ。どう見たって中衛も足りてないだろ。頼みの内容が違うんじゃねぇのかって話だ」
「まさか、俺の部隊の代わりに、第六部隊のほとんどが救出作戦へ回ると?」
「オレは意地になって兵を犬死にさせるような真似はしない。こんだけ言ってやったんだ、後はテメェの判断に任せる」
「そんな! 時平少佐、おれらは戦いに出られないってことですかッ」
あろうことか、時平は部隊の目の前で人員配置の全権を牙雲に委ねると告げた。だが、第六部隊の何人かは不満の声を上げる。すると、ざわめきだした彼らに時平が一喝した。
「何をバカな勘違いしてやがる! 牙雲のヤツがグズグズしてっから、オレらが民間人の保護をちゃちゃっと片付けてやるだけだ。その任務が終わったヤツらから即刻参戦に決まってんだろ! 文句あんのかコラッ!」
「あっ、ありませんッ! さすがは時平少佐、他の部隊のフォローまでするなんて完璧です!」
「当たり前だ。オレはデキる指揮官だからな」
「……それは自分で言わない方が……」
「あ? なんだって?」
「いえ! 時平少佐は最高にデキる指揮官ですっ!」
上官から脅し――否、窘められた隊員たちはすごすごと大きな身体を縮こまらせた。
「ま、そういう話だ。テメェだけだと頼りねぇから今回は協力してやる。オレに頭まで下げるなんて話で腹括ってんのは分かったし、さっきテメェが軍に来た覚悟も知ったからな」
向き直った時平が鋭い眼光を放つ眦を僅かに緩めた。飛翼からの報告を共有しようと牙雲の姿を探していた彼は、分家の者とのやり取りを遠巻きに眺めていたらしい。
「これまではテメェを世間知らずで見栄っ張りなお坊ちゃんだと思ってたが、今は本物の指揮官として認めてやってもいい。故郷でカッコつけさせてやるんだから、オレに感謝しやがれ」
「ああ! 礼を言うぞ、時平!」
掃討作戦の指揮を牙雲に預けると、時平は自身と第六部隊の精鋭以外を救出作戦へ回すことを決めた。訓練を積んだ彼らが民間人を護衛しつつ、行き来で敵の斥候を排除してくれれば、背面から挟撃される可能性が格段に下がる。
そして、牙雲の方も、突破力のある時平たちを活かすための部隊編成をすぐに思索し始めた。
元々、第五部隊は役割のバランスと統制が整っている組織だ。ただ、牙雲が慎重派だったこともあって前衛の機能が弱かった。そこに豪胆な性格の時平と彼の率いる屈強な精鋭が入り、攻勢寄りの編成を組めるようになったのだ。
「紅葉、お前は時平の精鋭と組んで一緒に仕掛けろ。士気が高い分家の者も何人か連れて行く。俺も前で指揮を執るが、混戦になった場合は時平の指示に従って構わない」
「了解っス。あと、時平さんが飛翼を上空で待機させているから、必要なら使ってくれって言ってました」
「承知した。これで攻撃、守備、後方支援の全てが揃ったな」
盤面に刻んだ布陣から顔を上げた牙雲が、待機していた全員に号令をかけた。
「配置が決まった。各自、持ち場について俺からの指示を待て――合図と共に出陣だ!」