-守る者、守られる者-
強く肩を引かれ、紅葉はやっと深く息を吸い込んだ。早まっていた鼓動が落ち着き始めた所で、牙雲が崩れ落ちた青年の前で跪く。
「本当に多くの苦労をかけて、すまなかった。兄弟の弔いもできぬまま、この戦に身を置かせてしまったことをまずは詫びたい」
「謝罪なんかされても納得できない。どうしてお前は軍に入ったんだ。お前を守って来たおれたちの想いがわからなかったとでも?」
「いや。俺一人のために多くの犠牲があったのを知っているからこそ、俺はドラーグドへの入隊を決めた」
牙雲の口からは青年の求める物と矛盾した答えが吐き出された。だが、続く台詞に周りの者がはっと息を呑む。
「この地域は水資源が豊富で、過去にもそれを狙った敵から襲撃を受ける機会が多かった。その度に我々が一丸となって敵を退けてきた歴史がある。だが、この代は知っての通り世継ぎが俺だけになってしまった。
当時、一族は幼かった俺を守ろうとして庇護の道を選んだらしい。俺もある時までそれに甘んじていたのは事実だ。だが、このまま戦が続けば分家に皺寄せが行くし、お前のような不満を持つ者が多くなると宗家は危惧していた。
それを知った俺は、自ら志願兵としてこの軍服を着た。軍で名将として広く名を馳せれば、一族の責を負いにここへ戻って来た時、敵の侵攻に対する抑止力になる。それにドラーグド本部の退役軍人として軍とつながっておけば、万が一の際に支援要請も可能だ。そうすれば、宗家の立場としてこの地に住む皆を十分に庇える」
牙雲が軍に入った理由。そして、そこでたゆまぬ努力を続けてきた理由。それを聞いた分家の青年は、瞬きも忘れて澄んだ青い瞳を見つめていた。
「……では、貴方が軍に入ったのは、この土地や分家の者を最小限の犠牲で守るために?」
「そうだ。俺は口が上手くないから、誤解されるのが嫌で今の話を誰にも伝えて来なかった。それゆえに、多くの者へ宗家に対する懸念を抱かせてしまったのは、申し訳なく思っている。
生憎、俺は不器用でこの身一つしか扱えない。協力する宗家の兄弟もいない中、どうやったら最も多くの命を救えるのかを俺は必死に考えた。『ドラーグドの名将となること』――これが家の反対を持ってしても果たしたかった俺の目標であり、お前たちと共に戦う水神の当主としての責務だ」
最も多くの者を守るため、牙雲は人一倍の献身を自身の責としていた。そして、それは身内だけでなく、軍の者に対しても同じだった。
彼が進軍を慎重に行っていたのも、規律に厳しかったのも、小言ばかり言っていたのも。何よりも仲間のために、己のやるべきことを貫こうとしていたからだ。
「俺はここでお前たちに立場の上下をつけるつもりはない。だから、仲間として共に戦わせてくれ。お前たちが大切に守ってきたものと同等の存在を、俺にも守らせてくれ!」
牙雲が傷付いた彼の手を両の掌でしっかりと握った。青年が静かに頷く。周囲にいた分家の者も皆、牙雲の決意を受け止めていた。
「まだ立てるか。俺と仇を討ちに行こう」
「っ、……はいっ!」
手を引かれた青年がゆっくりと立ち上がる。先まで彼に対してひどく腹を立てていた紅葉も、すぐに肩を貸した。身体を預かった自分に、青年がばつの悪そうな顔で囁く。
「さっきは悪かった。牙雲様が分家のことをそこまで考えているとは一切知らず……お前の言っていたことが正しかったようだ」
「わかってもらえればいいっスよ。まあ、一番悪いのは牙雲少佐がホントに口下手なことなんで。色々考えてるんだから、こうして皆にちゃんと言えばいいのに」
「はは、それがあの人の良い所なのかもしれない」
「そうっスね。不言実行ってヤツか。カッコいいな」
「……なんだ、お前たち。俺の後ろでコソコソと」
「へへ、しょーさの悪口です」
「相変わらず良い度胸だ――ああ、そうだ。忘れかけていたが、お前はさっさと救出作戦に回れ」
「嫌ですよ! というかオレのこと追い返すんスか? 少佐だって逃げろって言われたの突っぱねたじゃないっスか。それなのに少佐を庇ったオレを引っ込めたら、それこそ立場ないっスよ?」
「お前は本当に口の減らないことばかりだな! これは上官の命令だぞ」
「少佐とオレは上官と部下以前に、ドラーグドの《仲間》なんスから。毎回言いくるめられてましたけど、今日はオレも横で戦います。ドラーグドの隊員だったら、仲間が困ってるのを放っておけないでしょ?」
「……仕方ない、今回は戦闘参加を許可してやる。だが、戦うならお前はずっと俺の横だ。離れていると何をするのか心配で、戦に集中できない」
「ふーん、特等席ってことね。ヤル気になってきました。誰かに守られてばっかじゃ、やっぱカッコ悪いし」
にやりと笑えば、牙雲は洗練された顔立ちを露骨にしかめた。部下を守ろうと躍起になっていたことを見透かされ、内心では気まずかったのだろう。
晴れて掃討作戦に参加を許された紅葉は、牙雲と共に出撃を待つ本陣の先に向かった。