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蒼い背中  作者: kagedo
EP.8 本部急襲編
152/160

幕間 その声は、巡り廻って 




* * *




 夜霧を払う風が窓枠を揺らす。復旧中の執務室の窓越しに流れてくるのは、外壁を伝う喧騒だけだ。今は多くの隊員が本部の修復で夜通し作業をしており、今晩は第五部隊がその当番になっていた。消えた牙雲や澪の話を聞かされてから、気持ちがささくれたようになっているのは事実だ。特に夜は部屋で一人だから思い詰めてしまう。それもあって、他の誰かと手を動かす仕事に励みたいと考えていたところだった。


「ん? 何の音だろ」


 部屋から埃を逃がそうと、大きな窓を開けた時。鳥の(さえず)りにも似た何かが風に乗って、近づいては遠ざかる。執務室に早めの到着をしていたこともあり、作業開始までにはまだ余裕があった。不思議な音の出どころを探しに、紅葉は静まり返った廊下へ足を踏み出した。


 外へ通じる扉を潜り、本部と監視塔をつなぐ吹きさらしの鉄橋を歩く。山岳地帯の夜は底冷えするような空気だ。ただ、風が出ているので霧はかなり薄らいでいた。月明かりを頼りに先へ進むと、微かに耳にした音が大きくなる。


「――、~~、……――」


 霧の合間にあったのは、外套と緩く波打つ金髪をなびかせている天音の姿だった。その周囲で流れる清らかな音色。伸びやかなハミングに聞き惚れる。深く息を吸い、月冴に照らされた舞台で、その歌が響こうとした時だった。


「……、――ッ!」


 その場で身を屈めた彼女が両手で喉を押さえる。


「天音ちゃん! 風邪引いちゃうんで、こんな寒い所にいないで中に、」

「っ!」


 肩へ触れた途端、彼女がびくりと全身を跳ねさせた。こちらを見たヘーゼルの瞳がひどく潤んでいる。しまった。心を痛めている彼女には、普段のように接するべきではなかったか――


「……ごめんね、心配してくれたのに」


 か細い声音。だが、確かに意味を持った言葉が耳に届く。


「アレ? そういや、この間まで話せないって聞いてたんスけど……しゃべれるようになったんスか?」

「ええ、今日の午後にやっと声を出せるようになったばかりなの。でも、」


 夜霧の向こうを呆然と見つめている彼女に、今は気の利いた言葉をかけられる自信がない。このまま歌唱を使えなければ、彼女はドラーグドにいられなくなる。


「今は無理しないでいいと思いますよ」

「……ありがとう。来てくれたのが紅葉でよかった。アタシ、澪のことでどうしても謝りたくて」


 立ち上がった天音が真っ直ぐにこちらを見つめた。


「あの子には、アタシの歌が届かなかった。もしそれが届いていたら、牙雲くんだってここにいたかもしれないのに」


 ――「ごめんなさい」。嗚咽交じりに吐き出された感情が、閉じようと思っていた自分の唇を抉じ開ける。


「思い出すのも辛いのは、わかってるんスけど。あの襲撃で何があったのか、聞いてもいいですか」

「ええ、全て伝えるわ」


 夜霧の中で告げられた当時の出来事に、紅葉はじっと耳を傾けていた。彼女の声は不思議だ。聞いているだけで、その場にいないはずの自分にも、仲間の悲痛な叫びや、牙雲が持っていた怒りや覚悟、澪の淡々とした仕草が鮮明な画として浮かぶ。苦しくて、やり切れなくて。それでも理不尽に抗おうとした彼らの心の声が、自分の聴覚でも再生された。


「喉を潰されかけたのは、やっぱり澪のせいだったんですね」

「……悲しいけど、否定はできない。ただ、牙雲くんを攫うのが目的だったのなら、現場にいたアタシをこうして生かす理由はないはず。少なくとも、完全に喉を潰さなければ、こうしてしゃべれるようになるのは分かっていたんだし」

「でも、澪は奪えなかった」

「ううん。多分、あの子は“奪わなかった”んだわ」


 多くの隊員の命を奪った行為は、決して許されるべきではない。だが、本心では、やはり彼女の言葉を信じたい気分だった。


「アイツはずっとこの戦争を終わらせたいって言ってました。普通なら無理でしょって思ったんですけど、澪が言うならそれもできるような気がして。オレも協力するって伝えたんです」

「澪はどうしてもこの戦争を止めたくて、ドラーグドに来たのね。アタシも彼と同じ気持ち。こんな争いは続けるべきじゃないわ」

「そう、ですよね。だから、なんでこんなことをしたのか、オレは直接会って聞きたいと思ってます」


 左耳に戻ってきた黒環にそっと触れる。澪は自分の大切な物を捨て置かなかった。彼自身も、亡くなった姉の形見を常に身に着けているような性格だ。それなのに、どうして彼は味方を虐殺するような行動を取らざるを得なかったのか。


 ここに来るまで、ずっと抱いてきた問いがまた脳裏に浮かぶ。澪の考えを理解することが、15年前に《内乱》を起こした恩人の行動にもつながるような気がしていた。


「……本当は争いを望んでいない人がほとんどのはずなのに。もっとアタシの声が届けば、少しは何かが変わるのかしら」

「そういえば、天音ちゃんってオレたちみたいに養成機関を出た人じゃないって噂を聞きました。なのに、どうしてドラーグドに入ることになったんスか?」

「それはね、アタシのやりたかったことが全部叶うと思ったからよ。今の立場になるまでには本当にたくさんの偶然が重なってきたわ……少し長くなるけど、付き合ってくれる?」


 頷いた自分の前で、彼女は連絡橋の手すりに身を寄せた。


「アタシ、昔からとっても耳が良かったんだ。人の発する声や言葉から色んなことを感じ取っちゃうし、戦争の音は誰かの怒りや苦しみ、悲しみが溢れてて、本当に苦手だった。アタシが住んでた家は中央区画に近かったせいで、毎日そんな音がしてたの。だから、小さい時は怖がりで塞ぎ込みがちだったわ」

「今の姿からはぜんぜん想像できないっスねぇ」

「ふふ、そうよね。それからしばらくして、アタシのいた集落の近くにドラーグドの新しい拠点ができた。その時、民間人も交えて大々的な催し物を行うって話を聞いたの」

「へえ! 炊き出しに合わせて、拠点に常駐してる人が交流も兼ねてお祭りみたいなことをやってますもんね。オレも集落にいた時、顔出したこともあります」

「そういう催し物の余興として、アタシも歌でみんなを楽しませようと思ったの。その時はあまり人前で披露したことはなかったけど、歌には自信があったから!」

「昔からこういうふうに歌ってた訳じゃないんスか?」

「ええ、アタシの歌は身内以外にひけらかさないでって家族に言われてたぐらいだから」


 天音の話では、彼女の一族は歌唱や奏でる楽器の音色を人の心に強く作用させるという、特殊な技法を受け継いでいるらしい。しかし、彼らは争いにまったく関心がなく、ひっそりと芸を極めている者がほとんどだったという。


「でも、家で教わったものは古臭い言葉遣いとか音ばっかりで、ぜんぜん興味が持てなかった。そのうち、いつしか由緒正しさが嫌になっちゃって。ちょっと燻ってたところに好きな歌を自由に歌える場があったから、親に黙ってそこに参加したのよ。娘がいらない危険を買うようなことをするのはもってのほかだったんだけどね」


 親の目を盗めたことが偶然の一つだったのだろうか。当時は家族の愛娘でワガママ放題だったわ、と彼女が小さく笑う。


「でも、歌を披露する当日に、トラブルがあって。実は、アタシが歌い出した直後に会場へ獣人が攻め込んできたのよ」

「え、最悪のタイミングじゃないっスか!」


 当然ながら、敵に新たな拠点を築かれる前に潰して撤退させようと目論む敵も少なくない。ただ、天音の行動は不幸に見舞われただけで終わらなかった。


「その時、舞台の上から襲撃で怖がってる人たちの様子と、酷くなる音を見聞きして、どうしてもそれを止めなきゃって思ったの。歌なんか歌ってる場合じゃないのに、だんだん自分の声が大きくなっていって――この気持ちを伝えて、早く落ち着かせなきゃって考えで頭がいっぱいだった」

「そっか! 天音ちゃんの歌の効果が、偶然にも上手く働いたんですね」

「最初は自分の心が痛くなる音を聞きたくなかっただけで、アタシが他人をどうこうしようとは思ってなかったんだけど。ふと我に返った時に目の前で広がっていたのは、争いをやめて歌うアタシを見ていた人たちの姿だった。言っておくけど、アタシの歌はあくまで自分が伝えたいことを、強く相手の心に届けられるだけなのよ? だから、アタシの言葉が響かなければ効果は出ない」

「つまり、ホントは誰も争いなんて望んでなかったってことですよね」

「そういうこと。証拠に獣人たちも武器を下ろして、そのままどこかに帰って行ったわ」


 もし、その場に特殊な歌声を持つ彼女がいなければ、会場は間違いなく惨劇の舞台になっていただろう。軍事衝突を起こさずに敵を退けた彼女の存在は、多くの命を救う僥倖となった。


「でね、それを見て思ったの。『アタシがやりたかったことはこれだ!』って。自分の言葉で、この色んな気持ちを、ずっと誰かに届けたかったんだって」


 自分の肩を抱いた天音が、長い巻き髪を夜風になびかせる。歌声はなかった。だが、当時の彼女が魂のままに歌った音を、その風が奏でているような気がした。


「ドラーグドでは自由な気持ちで、みんなに大好きな自分の歌を聞いてもらえる。時には戦わなきゃいけないけど、ちゃんと敵を追い払う役目だって果たせるし。こう、ガチっとハマった感じっていうのかな? とにかく、ココはアタシのやりたかったことが全て実現できる場所だった。だから、アタシに入隊を打診してくれたスマイリー大将には感謝してるのよ」

「マジっスか……天音ちゃんをドラーグドに誘ったのって、スマイリーさんだったんだ」

「そうよ。しかも、ライブがある時にはいっつも楽屋にキレイなお花を贈ってくれるの! わりと設備面で無理も通してくれるから、助かってるわ」

「まあ、ライブで資金の元手は回収してるんだろうけど……」


 とはいえ、彼女がいつも輝いている理由には何度も頷きがこぼれる。スマイリーの元の狙いは、軍の広報活動を中心として彼女に協力してもらうことだったらしい。ただ、結果的に軍の将校まで駆け上がった彼女には、歌で平和を実現したいという強い情熱があったのだろう。天音自身が本心からやりたいと望んだ行いと、人々から求められた役割が、ドラーグドの中で形として結びついたのだ。


「こんな時代にやりたかったことを実現できるって、色んな偶然が重なってる奇跡なのよね。ドラーグドはそうしてアタシにチャンスをくれたから、少しでも恩返しがしたい。みんなの可能性を守りたいから、アタシはまだココで、誰かのために歌いたいの」

「けど、今回みたいなことがあったのに。無理してるところもあるんじゃないっスか?」

「……本部の人たちが殺されたり、澪と戦った時は、本当に心から傷付いたし、苦しかったわ。他にも戦場で軍の将校としての視点に立つと、ときどき善悪の境界がファジーになる。だって平和な世界で人殺しは大罪なんでしょ? けど、目の前で起きてる戦争(コト)は、アタシたちにとっての現実で、イヤでも立ち向かわなきゃいけない。だから、それを乗り越えられるように、もっと自分を強く持たなきゃって思ったの。弱い自分、怖がりな自分、みっともない自分。色んな自分がいるけれど、アタシは全部受け入れる。そうすれば、いつか同じ気持ちを持った誰かに『大丈夫』って声を届けられるから」

 

 ――大丈夫。きっといつか、アナタは前を向ける。ふわりと笑った彼女が、その声を取り戻せた理由が分かった気がした。


「アタシは今の自分が大好きだし、ドラーグドにいるみんなも同じぐらい愛してる。誰にも辛い思いはしてほしくないから、アタシはこの舞台で、できることを精一杯やる。戦いがあってもなくても、アタシは自分が一番輝ける世界を目指したい。それがきっとみんなの幸せにつながってるって、信じてるから」

「そうっスね。オレも、また天音ちゃんの歌が聞きたいっス。呼んでくれたらいつでも観客になるんで!」

「んー、誰かひとりのために歌うなら、やっぱり相手は牙雲くんがイイかな」

「ウソだろ、ココでフラれるとは思わなかった……!」


 しばらく凪いでいた夜風が、霧の海を天まで運んでいく。月が前よりもいくらか高く登っていた。つい話し込んでしまったらしい。


「付き合ってくれてありがとう。おかげで元気になったわ」

「オレも知りたいことがわかってスッキリしました。っと、そろそろ夜勤なんで、執務室に戻ります。天音ちゃんもお大事に!」


 鉄橋の中央で手を振る彼女の元を後にする。扉に辿り着けば、また澄んだ音が風に乗って聞こえていた。今の調子なら、彼女に声をかけてくれる人も増える。人と触れ合うのが好きな彼女には、周囲との会話が一番の薬だ。きっと遠くないうちに歌を取り戻せるだろう――その時までには、必ず自身の上官を横に連れて来なければ。


「あとは、今度こそ自力でS席チケット取りに行かないとな」


 どこからともなく響いたキエェ、という声だけは、聞こえなかったふりをした。






fin.

いつも作品をご覧いただき、ありがとうございます。

先日、この次の章にあたるEP.9をようやく書き終えました。

全体はおよそ12章程度で考えているので、今回で3分の2は終わったと思います。

復帰は9月以降となりますので、よろしくお願いいたします。

(2025/8/17時点)

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今回は天音のお話でした。

彼女が来てくれると、重めのストーリーが続いた時の清涼剤になって助かります。


エピソード内にも片鱗がありますが、昔の天音はかなり引っ込み思案で、人見知りの性格でした。

ただ、今では明るい方に振り切れて、時には同僚(?)のウェスカーに突っかかったり、突っかかられたりしながら仲良くやっています。

ちなみに女性上官である白銀とも仲良しです。

二人とも遠征が多いため、たまに一緒に街へ行った時にお忍びでお茶会を楽しみつつ、聖やウェスカーの愚痴(?)を言い合ったり、少佐から下の隊員たちの出来を褒めていたりします。平和だ……。

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