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蒼い背中  作者: kagedo
EP.8 本部急襲編
143/160

-人形劇-




* * *




 明滅する光線が廊下を飛び交い、着弾点に焦げた跡を残す。きりきりと音を立てる六輪が黒い迅雷を撃ち落とした。だが、視界の端で異なる魔力の輝きを捉える。


「その首、頂戴する!」


 旋風が床を走った。石畳を剥がしながら迫る凶刃が脚へ吹きつける。撃ち込んだ光線で相殺すると、風圧で分厚い扉が吹き飛ばされた。


「参ったな。どうやらあまり歓迎されていないようだ」


 並んでいた黒衣の一団を前に、聖は肩をすくめる。輝月に警戒を促した後、急ぎ下層階へ戻ろうとした途中で『暴走した隊員を止めてほしい』という救援要請を受けた。上層と中層の間には避難先として開放された区画がある。そこに位置する一室には、多くの負傷者や非戦闘員が匿われている――はずだった。


「暴走した者がいるとは聞いたが、まさか大暴れしていたのが敵だったとはね」


 既に流血の惨状と化していた現場へ足を踏み入れた途端、退路を塞がれて今に至る。敵の侵入が確認されたのは中層階までだと思っていたが、伏兵がいたらしい。鉄錆の匂いに錫杖を握る手に力が入る。すると、黒衣たちの間で蒼い軍服を纏っていた一人が口を開いた。


「我々はお前を討つ機会を狙っていた。この姿はお前を誘き出すためだ」

「スマイリーがお前たちのような《内通者》を事前に処理できなかったということは、忠告が一足遅かったか」

「他人の身を案じている場合ではないぞ」


 大佐の位ともなれば、混乱に乗じて刺客が来たとしても驚きはしない。対峙する人影は五人。問題は、惹きつけた相手が頭数以上の戦力だったぐらい、か。


「ふむ。確かに私も《覚醒》した複数の竜人を同時に制圧したことはない。ただ、経験がないゆえに攻略が不可能と断言するのも尚早だな」


 白磁の面をした彼らは、自身と同じように《覚醒》しながらも理性を保っている。しかも、顔の見えている《内通者》に至っては、牙雲たちとそれほど変わらぬ若さだ。だが、内乱の直後、謀反人や裏切りの兆候を見せた者たちはスマイリーが例外なく闇に葬っている。自分を含めた当時の将校たちも、生存者は全てドラーグドに残っていた。


 そして、本能と結びつく《覚醒》を発現させるのは、薬だけでは不可能だろう。耐えられる器がなければ、暴走して命を落とす。現に自分が下層で処理してきた者たちは長く持たなかった。これほど強靭な肉体や精神を持つ者ばかりが、楼玄の元へ集まったのには仕掛けがあるはずだ。


「考え事か。大佐ともなれば、目を閉じていても我々に勝てると?」

「そういうお前たちは何者、いや、一体《何》だ」


 説明のつかない異分子が、その問いに乾いた笑いだけを漏らす。


「答えが知りたいなら、我々の口を抉じ開けてみろ」

「ああ、長らく籠っていたせいですっかり戦の礼儀を忘れていたな」


 互いの持つ四肢の鱗がぶわりと逆立つ。ぎらつく瞳を覗かせた相手に、聖も竜の容貌を見せた。


「こんな老兵でよければ相手になろう。だが、あまり悠長にはしていられない。どうせならまとめて来たまえ」

「こちらも一騎討ちなどするつもりはない」

「いいだろう――では、始めようか」


 死臭に満ちた戦場ならば遠慮は不要だ。しゃん、と鳴る鈴の音が闘争の合図となった。


 きりきりと回る銀環から極光を乱れ撃つ。触れた有象無象を灰燼に帰す光芒に、開始数秒で一人が貫かれた。しかし、敵は消えた同胞を顧みることもなくこちらに向かってくる。彼らはどんな犠牲を払ってでも目的を果たすつもりだ。だが、多くの者を率いてきた自分にはそれが奇妙に映った。


 ――これは、兵としてあまりに『理想的』過ぎる動きだ。


 抱いた違和感を阻むように、ばしゃん、と眼前で水飛沫が爆ぜた。接近してきた一人がまた燐光の灰と化す。彼らの動きは盤面で淡々と進められる駒のようだ。恐怖や激昂する様子はおろか、情緒の振れが全くない。


「お前たちは楼玄の下にいた《強化体》か?」

「その答えに辿り着いたならば、まだ耄碌していないようだな。だが、我々は以前に生み出された『出来損ない』たちとは格が違う」


 この刺客たちは、ドラーグドを去った楼玄が直々に力を与え、それに適合した存在なのだろう。


「ここにいたのが君でなくて良かったよ、紅葉隊員」


 過去に己が告げた台詞を思い返す。彼らはまさに『通常ではあり得ない能力を持つ者たち』だ。しかし、無理に力を呼び起こしているのであれば、必ず限界が来る。大きな力ほど消耗が激しいはずだ。勝算があるとしたらそれしかない。しかし。


「食らえ」

「ぐッ……!」


 眼前で爆ぜた雷光が足元へ着弾した。結界を敷いたつもりが、全身に焼ける痛みと痺れが走る。直前で床を濡らした激流の飛沫に、水弾を纏って突進してきた敵の意図を悟る。それでも追撃を阻もうと銀環を飛ばす。交差する無情の光が相手に引導を渡した。残っているのは、もう一人の黒衣と蒼い軍服だけだ。


「っ、私を殺す役を得ただけのことはあるな」


 後方から迫る風に足を掬われかける。麻痺した身体が思うように動かない。武器を支えにどうにか耐え忍んだ。だが、敵の動きが想定よりも早い。前線から退いた身で持ち堪えられるだろうか。いや、もし彼らを解き放てば、この場にいた以上の隊員が殺される。


「死ね」


 姿勢を崩したところに左胸を狙う高速の刺突が迫った。銀環を盾に一撃を防ぐ。あまりに躊躇いのない特攻だ。ここまで死を恐れぬ動きができるとは。ああ、過去に相対した好敵手たちの顔を思い出す。だが、今相手にしている者には、組織に対する忠義も、味方を殺された恨みも、生に対する執着も感じない。死線を潜り抜けた己の心を揺さぶるような魂がなかった。


 これは悪趣味な人形劇だ。だが、この命を明け渡すのであれば、せめて抜け殻ではない相手を選びたい。


「老兵にはそろそろ役を降りてもらおう」

「生憎だが、人から勧められた隠居は断るよ」


 紅玉の瞳がぎらりと輝く。呼び寄せた六輪がきりり、と鳴く。交錯する紫紺の光源。向かい合った爪の先が隊章を掠めた。同時に無機質な面の側頭部へ風穴が空く。人の肉が焼けた匂い。蹴り飛ばした遺体の奥で、残った蒼い軍服が静かに構えていた。


「あれは……!」


 渦を巻く黒い霧が敵の周囲から立ち上る。ひどく既視感のある魔力に聖は息を呑んだ。刹那、血塗られた石畳から伸びる影が自分のそれと同化する。まずい。身体が『縫われた』。これは決して抜け出せない。それを知っている理由は他でもない。


「自身も扱う力で死ぬとは、皮肉なものだな?」


 乾いた声を上げた人形が、笑みのような顔を見せた。光と闇。背反する二つを有していたことで自分は今の位を得た。だが、闇の力は使い手が大きな代償を支払う魔法だ。


 ――この力は《内乱》で本部を急襲した楼玄に対して使ったのが、最初で最後だった。しかし、発動を彼に妨害された覚えがある。そのせいで彼を道連れにできなかった。


「お前は、やはり我々を潰すつもりなのか」


 呑まれた身体が深みに落ちていく。影の牢獄からは逃れられない。だが、影法師の先にいる相手もまた、この闇を永遠に彷徨うことになる。しかし、知っていたところで目の前の相手が行使を迷うはずがない。


 歪な人形劇の幕が降りる。閉ざされていく光。どこからか流れてくる安息の音色だけがやけに大きく響いている。視界の全てが、そうしてゆっくりと黒に消えていった。

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